Prelude
愁水
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シナリオ形態
ショート
難易度
Easy
判定方法
カジュアル
参加制限
総合600以上
オプション
参加料金
100 SC
参加人数
3人~6人
優先抽選
50 SC
報酬
160 EXP
4,000 GOLD
8 FAVOR
相談期間
3日
抽選締切
2021/03/28 10:30
プレイング締切
2021/03/31 10:30
リプレイ完成予定
2021/04/16
関連シナリオ
-
  1. オープニング
  2. -
  3. -
  4. 結果
  5. リプレイ

 忘れられない想い出を連れて向かった先は、ting a ling――



**



 林檎のベルを奏で、優しい夜色の扉を開くと目の前には、煌めく幻想曲が広がっていた。

「わ……素敵な空間……。色と形の、洪水みたい……」

 まろやかに垂れた目尻の紅が、きぅ、と、眩そうに双眸を細める。そうした彼女――魅朱(ma0599)を先に店内を通すと、脇にずれドアを開けていたルナール・レルム(ma0312)が、次いで中へ入った。

「おや、レディーファーストかい? 紳士じゃあないか、素晴らしい」

 迎えたファルセットが顎を斜めに上げて感嘆の声を上げる。何を、と、言ったように、短く吐息を漏らしたルナールは、

「紳士であろうと日々心がけているだけだ」

 凜然とそう告げた。
 生を受けた世界と時代が、と言うよりも、礼儀やマナーを学び込んできた者として、相手を大切に思う心遣いの延長線上でもある。それに、と二の句――

「淑女が美しく咲こうとするなら、それをより引き立たせようとするのは紳士として当然であろう」
「へえ? そいつぁお手並み拝見だな」

 ルナール達よりも先に来店した参加者を案内していたのだろう、フィッティングルームから長身の男性が姿を現した。

「貴殿が此度の依頼主か」
「おう」
「ふむ……ジルバ殿の腕は確かだろうな? レースもフリルも技術が必要だ」

 見定めるようなルナールの視線を平然と受けながら、ジルバは「自分の目で確かめてみな」と、口の端に緩い笑みを湛えた。

「ふ……いいだろう」

 片目を眇めたルナールは「行くぞ、魅朱嬢」と、呼びかけ、フィッティングルームへ向かう。

「はーい……。あ……ジルバにファル、だよね……今日は、よろしくお願いします……」

 すれ違い様、魅朱は身体を二人の方へ向けぺこりと頭を下げると、足早に夜色の背中を追いかけていったのであった。




 夕闇に沈む欠片。
 揺蕩う光。

「これに袖を通す事ができるなんて、ね」

 星降る海――。



 花柄のプチポワンが美しいアームチェアに楚々と腰をかけ、形の良い顎を引いて姿勢を正すのは、白羊宮と同じ名を持つ彼女――アリエス(ma0727
 膝の上に手を重ね、余韻を残したドレスの裾から見える細い脚は膝を揃え、斜めに傾ける。

「美しい。まるで絵画のモデルのようだ」

 双眸を細めて情緒的に言葉を漏らすファルセットに、アリエスが礼を含めた微笑みを浮かべた。「さぁて――」と、椅子にどっかりと腰を落としたジルバが膝の上に肘を据え、指を組む。

「聞かせてくれるか? お前の物語を」

 そう促されるのを待っていたかのように、アリエスの手の平が胸元へ添えられた。そして、静かに口を開く。

「その身は皇帝の剣であれ――私の生家での家訓です。そう言われ、私は育ってきました」

 意思を帯びた緩慢な瞬きをひとつ。
 澱みのない水宝玉の瞳が、想いを馳せる。

「私は女性として生まれついてしまいました。けれど、その家訓のままに武人として生きてきました」

 家訓に背かず。
 信念を穢さず。

「可愛らしいレースをあしらった扇を手にするより、無骨な柄を握っていました。催しの場で踊るよりも、私は戦いの場で躍っていたのです。それが私の“常”でした。ですが……あの日」

 忘れもしない、アリエスが十六を迎えた日。

「お父様から贈り物をいただきました。そう、このドレスです」

 一度、ジルバへ据えた双眸が、ふ、と、下ろされる。花弁を追うかの如きその視線は、暗い紫みの青――自らが纏う装いへと留まった。

 月下の水面が海の様に深く揺蕩う、濃紺のドレス。
 眺める角度で表情を変えるその色合いは実に上品で、知的――そして何より、アリエスの透き通るような魅力を一層引き立てていた。
 裾には色の美を纏う石が散りばめられており、夜空に瞬く星の様な煌めきと彩りを模している。

「剣は我が家の象徴――」

 胸元に据えられていたままの手の平が、するり、と、下ろされ、控えめに紡がれた剣の刺繍が露わとなった。

「この象徴をあしらったドレスを用意することで、お父様は私に軍人としての道以外の道筋を用意してくれたのでしょう……」

 唯、唯、皇帝の為に――。
 常々そう口にしてきた父の何時も通りの気難しそうな顔に、その日隠れていたのは見慣れない気恥ずかしさ。そして、そんな父の想いが籠もったドレスを受け取った時の、抱いた時の、あの喜び。

「その時の気持ちは、今この瞬間であっても鮮明に思い出せます」

 睫毛を伏せ、アリエスは、ほう、と、温んだ吐息を漏らす。

「それが、嬉しいわ」

 綻ぶ頬。
 綻ぶ心。

「親父さんに“会えた”ようでよかったな」

 そう話しかけるジルバに、アリエスは「ええ……ええ、本当に」と、感慨深げに二度顎を引くと――

「ありがとう。この機会をくれた貴方方に感謝を」

 唇のほとりに“十六”の少女らしい微笑を浮かべたのであった。




「生前の話? へぇ、そんなこと聞きたいんだ?」

 開口一番、快活な声音が通る。

「聞きたいんす」
「ま、いいさ。もうどれくらい前の話かな。数えるのもバカらしいくらいだけど」

 昔々――

 そう語り始めたのは、昔も今も冒険を繰り広げている華麗なる女性騎士、ロザーリア・アレッサンドリ(ma0458)だ。
 用意された椅子には見向きもせず、金刺繍の縁取りが施されたバーミリオンのマントを威勢よく翻すと、細い腰に両手を当て――

「あたしは元々聖獣が守護する世界で生まれた、冒険活劇小説の精霊でね」

 芝居がかった様に店の中央を陣取り、物語の主人公は先を続ける。

「その主人公――ロザーリアの顔と名前を持ってる。この服も、挿絵のまんまなんだよ」
「あ?」
「え? だから、いつものカッコだよ。ここ来た時も同じカッコだったでしょ?」
「あー……そういやそうな」
「やばいくらい見た目は生まれた時から変わってないよ。いやー、でもさ、いい生地使ってくれたねー」

 ロザーリアは白手袋の指で銀のモノクルを正し、改めて自分の身形に視線を落とす。

 目に明るく鮮やかなフレッシュオレンジ色のトップスに、丈の短いスカート。
 すらりと伸びた脚には薄手の白タイツにレザーのロングブーツで颯爽とした印象を際立たせ、細腰には騎士道精神の象徴とも言えるレイピアを挿している。そして、頭にはロザーリアのトレードマークとも言える赤薔薇をあしらった羽帽子――。

「ま、不思議な世界で着たウェディングドレスとか、他にも色々あるんだけど」
「そこんとこ詳しく」
「それは又の機会があればね。――さ、続けていいかな?」

 ジルバが目で頷く。

「あたしは本の持ち主だった子供の無い老夫婦の養子になってね」

 ロザーリアは帽子のブリムを掴むと僅かに持ち上げ、遠くを見据えるような眼差しになった。銀――そして白金を併せ持つ純粋無垢な瞳が、綴られた頁を遡るかのように情緒深く細められる。

「あたしは剣士ロザーリアの物語がある限り、この姿のまま生き続ける。姿も服もほとんど変わってないのは、そのせいかな。何十年も経つと、みんないなくなっちゃってさ。だからあたしは、冒険の旅に出たんだ」

 そうしたら、何時の間にか越えてしまっていたのは海や空どころではない。世界であった。

「何番目の世界かな。あたしを呼んだ女の子と、世界を狙う化け物と戦ってたんだよ。異世界の“英雄”と召喚者が一緒に戦う世界だったんだよね。その子? 近くにいると思うよ」

 気さくでお転婆で、可愛らしい“お姫さま”がね――ロザーリアはそう口にすると、懐かしそうに頬を綻ばせた。

「でさー」

 途端、ころっと表情を変えたかと思えば、両の手の平をやれやれと言ったように広げ「聞いてよ」と、椅子の方へ戻ってくる。

「どしたよ」
「いやね、どっかの世界から移動しようとしたら死んだ扱いされてここに呼ばれちゃってさー」
「あー、なるほどな。勝手に殺さねぇで欲しいわよね」
「でしょ? ひどい話だよねぇ」

 そう話す彼女の、なんと自由なこと。

「ま、あたしのやることを変わらないけどさ」

 自分を見失わない物語の主人公――ロザーリアは、この世界を越えた“次”の冒険をも見据えているのだろうか。




「改めまして……月読 結です。今日はよろしくお願いします」

 物静かにそう名乗った少女――月読 結(ma0552)が、深々とお辞儀をする。
 用意されていた椅子にちょこんと腰を下ろした彼女はまるで、アンティークドールのように洗練された美しさを醸し出していた。

「お前の髪、純度の高ぇ黒なんだな。服との色合いがよく映えてるぜ」
「ふふっ……ありがとうございます。藤色とか紫系というか……落ち着いた色合いが好きなんです」

 結は、風を受けた花がふわりと揺らいで香るような穏やかな微笑みを浮かべると――

「この服は、私が前世で袖を通す事はありませんでした……」

 そう前置きをして、語り始めた。

 地球と呼ばれた惑星の、日本という国に住んでいた結。
 両親を早くに亡くし、遠縁の後見人と二人で暮らしていた。その頃、彼女は十一歳の小学五年生。この場で語る結と変わらぬ見目であっただろう。
 その日は三学期の最終日――つまり、小学五年生の修了式のことだった。

「朝、登校前に彼……後見人からこの服を見せられました」

 結の目線と顎が、ふ、と、僅かに下へ傾けられたので、ジルバも釣られてその後を追う。

 言うなればそれは、着物風のワンピースであった。
 上半身は清らかな白地で小袖風に仕上げ、袂には藤色の蝶の刺繍が優美に施されている。

「ちょう立ってみ」

 結はジルバに促されるままやおら立ち上がった。すると、小豆色の袴風スカートがそよりと揺れ、裾にあしらった白のレースが、可憐な花の輪郭のように踊る。腰の部分にはスカートと同色のサッシュベルトを、リボン結びで可愛らしく巻いていた。

「ん、やっぱ似合ってんな。後見人は趣味がいいじゃねぇか」
「はい……。来年、卒業式の時に着る服だから……帰ったら袖を通してサイズ調整をしましょう、と……彼は言っていました」

 今も、大好きに想う後見人。
 その人の手縫いであり、自分の為に作られたという事実は心から嬉しくて、誇らしくて。

「私は浮き立つ気持ちで家を出ました。けれど……」

 その日、結のいた世界は光に溶けて消滅した。
 結も。
 彼も。
 世界から“消えた”のだ。

「もう一度彼に会えたら、この姿を見せたい……。そう、彼に……」

 不意に、結の瞳が茫とした色を帯びる。

「……? 彼とは、“誰”……?」

 思い起こすのは、摘み取られてしまった幼い日。
 記憶。
 いや、違う。手繰り寄せなければいけないのは――

「あぁ……そうだ……私は、後見人であった“彼”にもう一度逢っていた……! 同居人の彼こそが……“彼”だった……」

 日常となった“今”だ。



 結は波打つ心臓を包む込みかのように上からそっと手の平を添えると、長く息をついた。

「いただいたこの服、このまま着て帰っても良いですか……?」

 ジルバが「勿論」と快く顎を引くと、結は円らな瞳に幸福を湛える。

 この姿を見た彼は、どんな顔をするだろう。
 ああ、彼に会いたい。



 “誰”ではなく、大好きな彼に。




「ごきげんよう♪」

 愛嬌のある声に、花が開いたような笑顔。

「わぁあ♪ 改めて見ると、素敵なお洋服がいっぱい!」

 ふわり。
 ひらり。

 ワルツを踊っているかのようにドレスの裾を翻すのは、リムナンテス(ma0406)だ。

「うふふ♪ オシャレするのって、楽しいわよね。ねぇ、あなた。どうかしら? わたくしのドレス。きっとわたくし、こんなお花のドレスを着ていたんだと思うの♪♪」

 ――覚えてはいないけど。

 その一言は心の内に仕舞っておいた。
 覚えていない生前のことより、可愛い洋服を着たい。拘ったお洒落をしたい。

「たぶん、お花の国のプリンセスだったんじゃないかしら。よく覚えていないけど、きっとそうよ。だってそんな気がするんだもの♪」

 髪を結わえて綺羅を纏い、頬に紅を差して素敵に装えば、曇り空でもハッピーな気持ちになれる――それがリムナンテスのモットーだ。

「リムナンテスのデザイン画見ていて思ったんだがよ……お前、デザイナー向きの絵描くのな」
「あら、嬉しい。将来はスタイリストさんなのよ。いえ、それともいっそ自分でお洋服をデザインしてしまおうかしら?」
「おう、その才能はあると思うぞ」

 ジルバは顎に指を添えると、職人のそれで彼女を眺める。

 薄紅、白、黄色、薄紫といった、春の野原をイメージしたコサージュでたっぷりと飾ったドレスは華やかで、咲き誇る花弁のように重ねた布地は、ふんわりとしたボリューム感が実に魅力的であった。

「ああ、でも、そぉねぇ……生地はもう少し、しっとり瑞々しくて、きめ細かい方がいいかしら」
「なるほどな」
「それからね、裾やリボンが風にそよぐと、ふわっと甘い香りがするの!」
「香りか。そうなるとフレグランスを……」
「その香りに蝶々やハチドリが誘われてくるのよ。ね、素敵でしょう?」
「あー……あ? もしかしてお前、生花で考えてんのか?」
「もちろん。けれど、お花って、最後は枯れちゃうのよね……。でもそれはダメ! 枯れないお花にしてちょうだい?」
「……ドライフラワーで手を打つってぇのは――」
「わたくし、妥協はしないの!」

 ふわり。
 ひらり。

 何時か、ファッションでときめき溢れる世界を。
 可愛らしい小さな花、“リムナンテス”は、清く正しく美しく――今日も我がアイデアを行く。




 用意されたのは二脚の椅子。
 フィッティングルームから足並み揃え姿を現したのは、月と花――ルナールと魅朱だ。

「はわ……ルナールはやっぱり、夜を溶かした色合いが素敵だね……」
「ハッ、俺が似合うのは当然だ。それより、貴女も良く似合っている」

 二人はルナールの邸宅のコンサバトリーで出会った仲だ。魅朱は彼が所有するガーデンの世話を任されている身ではあるが、二人は主従関係ではない。対等な立場もとい、関係を崩したくないという彼女の“我儘”であった。

「(ルナールが触れてきた世界……どんな色をしていたんだろう……)」

 そわそわ、そわり。

 椅子に腰を下ろした二人をジルバは交互に見やると、何かを察したように「――んじゃ、先ずはお前がリードしてやんな」と、ルナールへ視線を据えた。

「いいだろう」

 彼の意図に気づいたのかそうでないのか、口の端を僅かに上げたルナールが長い脚を組み、背もたれに身体を預ける。

「俺の衣装は生前の普段着だ」

 つまり、公爵らしい装いであった。それでいて、軍服のように洗練されたデザインでもある。
 襟元は大きく、立てられたシャツの襟は繊細なレースやフリルをあしらっており、豪華で波の豊かなジャボを巻いていた。且つ、彼の髪や瞳に調和する金刺繍が施された華美なジャケットコートは、背面の切れ込みやタックも忠実にデザイン画を模している。
 ボトムスはタイトなスラックスにロングブーツを合わせ、胸元には私物の栄典――彼が生きてきた“形”とも言える勲章を印していた。

「俺は製菓業を営む貴族だったのだが、王からの命を受け、狐狩り……マフィアを駆逐していた。その際も、新作チョコレート菓子の企画会議をする際もこの衣装だったな」

 夜に浮かぶ月のような双眸が、記憶を探るように細められる。

 鼓動の奥。
 空蝉の翳。
 刹那の淵――。

 壊し、壊され、未来がほどけた瞬間ほど、夜が闇へと表情を変えるのだ。

「そも、咎人の記憶は当てにならん。何を忘れたかも曖昧だ。だが、思い出した状態がどれほど続くかも予測不能となれば……いや――」

 ルナールは、ふるり、と、不毛な念を振り払うかのように首を横へ振る。

「貴族社会で俺が俺らしく生きる為、俺の動きを妨げず、誉れをこの身に纏うのに最適な衣装がこれだったという訳だ。――俺の話は以上になる」

 ルナールはそう言い終えると、鼻から短く息を抜いた。

「随分歯切れがいいじゃねぇか」
「フン……振り返ってばかりでは今が蔑ろになる」
「なるほどな」

 ニッと八重歯を覗かせたジルバが「さて――」と、視線を彼の横へ移す。

「ラストダンスはお前だぜ」

 そう示された彼女――魅朱は、は、と、我に返ったように瞼を膨らませた。頬杖をついたルナールの横顔がこちらを向き、小さく微笑んでくる。魅朱は頷くように彼から目線を外した後、ひと呼吸置いて、語る言の葉を紡ぎ出した。



「私の世界……と言うより、私が“生きてきた”世界は……夢語りすら、許されなかった……」

 僅かな光が生まれても、偽りのない真実が潰していった。
 それでも彼女の心が枯れなかったのは、涙の代わりに曇りのない彩りが彼女の心を潤していたからだ。

 空が綺麗だった。
 花が美しかった。
 動物があたたかかった。

 只単純で、唯特別だった。

「私ね……夜になって漸く、自分の呼吸が出来たの……」

 何時も傍にいてくれたのは、父でも、母でも、双子の兄でもない。
 夜だ――。
 逃げ道を探して折檻をされた時も、明日を願う哀しみに襲われた時も、夜は魅朱を抱擁し、月は傷口を癒してくれた。

「夜を彩る、優しい月……決して触れられないけど……私を照らしてくれた……」

 只、時折、真っ赤に滴っている苺のように映り、とても恐かったのを憶えている。

 泣いていたのは月だったのだろうか。
 哭いていたのは私だったのだろうか。

「この着物はね、私が生前仕立てていたの……」

 宵闇色の生地に星の川が流れ、その川を渡るように羽ばたくのは、一匹の朱色の蝶だった。

「けど……一度も袖を通せず、仕上げることも出来なかったのは……私が哀しみを捨てて心を失うことが出来なかったから……」

 だから魅朱は、“今”この世界にいる。

「私の心残り……川を渡れたかな……」



 星屑を指先で撫で追憶を辿る魅朱の瞳は、蕾む哀色に揺らいでいたのだった。




「あなたのその格好、とってもよく似合っているわ♪」

 全員の語りが終わり、フィッティングルームで待機していたリムナンテス達が、店内へと戻って来た。
 女性達が互いの装いに花を咲かせる中、腰を上げたルナールがジルバに声をかける。

「ジルバ殿。貴殿の腕を見込んで、今度うちの使用人の制服の仕立ても頼めないだろうか」
「お、認めやがったな?」
「ふ……さて、な。――ああ、これは土産にと焼いたマカロンだ。食べれば良案が浮かぶのではないか?」
「実際、アイデアは充分なほどもらったけどよ。茶でも淹れっか。みんなで食おうぜ」

 腰を浮かせたジルバは軽くウインクをすると、アトリエの方へ歩いて行った。

 薄く目笑をしたルナールの視線が、ふと、思いを巡らすように宙へ留まる。
 生前の自分に思いを馳せることで、懐古の欠片は僅かでも形を成しただろうか。
 前を向き、歩む土台を据えられただろうか。

「“良案”、か……」



 独白と共に漏らした吐息が、彼方へと消えていったような気がした。


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