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翠鈴(ma1446)はアネットからワークショップのチラシを受け取ると、大きな瞳を丸くさせてじいっと見入った。
「マスコットにぬいぐるみ、人形……色々作れるって、マジ?」
「ええ、私のアトリエにある素材で作れるものなら何でも。デザインに応じて布を染めたり粘土を混色したりもできますよ」
「わっ、それなら何だってできちゃうってことだよねっ! それなら参加決定、お邪魔しちゃうっ。やっほー! ジェードでーっす! アネットさんヨロシクねー!」
翠鈴の性格は至って明朗快活、楽しそうと思ったことには一も二もなく挑戦する女性だ。
その良い意味でシンプルな判断力にアネットは驚きながらも「こちらこそ、ぜひよろしくお願いします」と微笑みを浮かべた。
さてさて、アネットのアトリエには――既に先客がいた。以前から翠鈴と友情をはぐくんでいる子犬、ステラ・フローライトとフィー・フローレである。
ステラとフィーはフェルトに綿を詰め、互いの顔をモデルにしたマスコットを作っているようだ。その様子に翠鈴が目を輝かせる。
「スーちゃん(ステラちゃん)とフィーちゃんもいたー! モデル頼んでもいーい? アタシ、ふたりのぬいぬい作りたいのっ」
「わーい、じぇーどだー! じぇーどもおにんぎょうつくりにきたの? しかもすてらたちのぬいぬいなんててれちゃうの……うれしいけど!」
「ウフフ、ソレジャ私達ハオ礼ニ翠鈴ノマスコットモ作ロウカナ? 私達、小サイカラネ。フェルトノマスコットガ一番作リヤスイカナッテ思ッテ……後デ鎖ト輪ッカヲ付ケテ、キーホルダーニスルノヨ!」
「えっ、それホント!? 超うれしー、それじゃアタシも……あは、おしゃべりするけどさ、楽しく作って、ちゃんと完成させたーい!」
どうやら交渉成立したようだ。早速アネットがぬいぐるみ用の素材を詰め込んだ箱を翠鈴へと運んでくる。
「こちらにぬいぐるみ用のファー生地とさし鼻、さし目が入っています。刺繍でも目は作れますし、そちらの方が目の形の個性も出やすくなりますけれど……立体感はさし目の方がぷっくりした可愛さが出ますね。どうします?」
「んー……いきなり最初から難問っ! でもスーちゃんとフィーちゃんってよく見ると、ちょっと顔の雰囲気違うんだよね。スーちゃんはタヌキ顔でフィーちゃんはキツネ顔というか……刺繍の方が、目尻の雰囲気が出る……かな?」
「そうですね、さし目はその中間というかまん丸な形が主となっていますから。もし翠鈴さんが頑張ってくださるのなら、私もお手伝いします!」
アネットが刺繍用の針と糸を並べて拳を握る。ひとりなら難しくてもふたりならきっと――翠鈴はにっと笑うと「よろしくね、センセ」と裁縫道具へ手を伸ばした。
そんな翠鈴だが実をいうと、ぬいぐるみを作った記憶が全くない女性だ。アネットと協力してステラとフィーの型紙を作ったものの、子犬ならではの顔のパーツがなかなか再現できない。
「耳やマズルや指は鉗子を使って、丁寧に裏返してくださいね。そうすると綿を詰めた時に綺麗に仕上がりますよ」
「えっと、鉗子ってのはこの鋏みたいな奴だよねー? 挟んだ時に布を切ったりしない?」
「大丈夫です、刃先は丸いので切れません。ただ、ファーが抜けたり切れないように優しく丁寧に……時間はたっぷりありますからね」
アネットはそう助言しながら、皆が落ち着いて制作できるようにと飲みやすいハーブティーとクッキーを並べた。
そこで翠鈴がぽろりと本音を漏らす。
「ホントはさー、ジブンのお人形とかも一緒に作るのもいーかなって思ったんだけど。でも顔とか見えないからジブンのはムリっぽ! でもカワイーの作ってぎゅーってやりながら寝たらぐっすりいけそうだよねー?」
「そうですね、ぬいぐるみには心を落ち着ける効果がありますから」
「ふふっ、だよね! たださー、やっぱりアタシはぬいぬいとかジブンで作るのたぶん初めてみたい! 記憶ないってタイヘンだよねー?」
「そうなんですか……翠鈴さんも……」
「あっ、そんなに重く考えないでほしいんだよねっ。この世界のヒト、大体そんな感じらしいしさっ。それよりも……アネちゃんは作ってる時楽しい? アタシはすっごいたのしー!」
――いつの間にか翠鈴のぬいぐるみは素体が完成し、後は顔の刺繍と服を着せるだけとなっている。もっとも、刺繍も服の作成もそれぞれ難しいのだけれど。
「そう……ですね、私は可愛いもの、キレイなもの、不思議なものが好きで。それを自分で形にできることが幸せでした。今はその……御役目との間で、悩んでますけど」
「そっかー。でも難しく考える必要はないんじゃないかなー? やりたいことがあるってスゴいことなんだよー? 実はアタシさ、こーいうぬいぬいとかスキだけど、自分だけじゃ作れなかったよ。それに今までは記憶なくてテキトーに色々してるだけだったから、この時間がちょー楽しい! そしてこの楽しみが今、新しい『やりたいこと』になってる。それってすごいことじゃない!?」
「それは……! ありがとうございます」
「何よりこのぬいぬいズってばヤバい! アタシってばけっこーできてない? イケてるでしょ? ねっ、ねっ!」
活き活きした表情でぬいぐるみを抱き上げ、得意気に笑う翠鈴。そして顔の刺繍をアネットとの共同作業で終え、服を着せると……最高の笑顔を見せた。
「アタシとしては200点まんてん! ひとつ100点で合わせて200点! やっぱり今度はジブンのぬいぬい作ってみたいなー? また来るね!」
ステラとフィーと手作りのキーホルダーを交換して、軽い足取りでアトリエから去っていく翠鈴。
当然、彼女の小脇には可愛らしい子犬のぬいぐるみが抱えられていて……アネットは「また是非いらしてください! 翠鈴さん!」と叫ぶと入口の前でそっと指を組んだ。
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魅朱(ma0599)と唯塚 あまぎ(ma0059)が幼体パジャモの『すあま』と『ギン』を連れてそぞろ歩いていたところ、アネットがワークショップの勧誘に歩み寄ってきた。
そこでどうしようかと顔を見合わせる魅朱とあまぎ。しかし小さなパジャモ達はすっかり心が定まっていたようで……。
「じゃもじゃもぱじゃじゃ、じゃももー!」
白い羽毛の中に鮮やかな青い羽が際立つギンが主とすあまの顔を一瞬振り返りながら甲高く嘶き、アトリエに突撃していく。その様は『ぼく、すあま人形がほしい。いくぞー!』と背中で語っているようだ。
すると魅朱のすあまも「がー」と甘えるように主を見上げる。ちらちらと、ギンの背中を目を負っているあたり『ままー。ぼくも、あにきぶんとおそろいの、ほしいー』と言いたいのかもしれない。そして間をおかずして、すあまもギンの後を追ってちょろちょろ駆け出した。
ならば放っておくわけにもいくまい。
あまぎが「おい、ギン、すあま、待て」と言いながらまるで幼子を追う父親のようにアトリエに駆けこんでいく一方で、魅朱は「アネット……今日は、お世話になります……」と母親のような面持ちで一礼するのだった。
さて、アトリエにふたりが足を踏み入れたところで――おや、と揃って足を止めた。ギンとすあまが羊毛フェルトで作ったマスコットや壁掛けに見惚れているのだ。
(なるほど……ギンは弟分が幼体白パジャモのリュックやぬいぐるみとか持っているからな。前から「お揃い」をやりたかったんだろう)
あまぎがギンとすあまを両手で抱きかかえ、「こういうのがいいのか?」と尋ねると、ギンはマスコットの方を見つめてこくこくと頷いた。すあまも兄貴分に倣い、翼をぱたぱたとマスコットへ向ける。
そのいとけない動きに魅朱はくすりと微笑んだ。
(以前……私が夜なべして作ったギンちゃん人形があるのだけれど……お揃いの人形が欲しくなったのね……? それだけギンちゃんのことを慕っているのね……)
そこであまぎが「……羊毛フェルトだったかな、こういう毛玉を作るときは」と呟くと、魅朱は「そうだね……すあまもギンちゃんも羽の色に移り変わりがあるから……ファーで一色になってしまうぬいぐるみより、羊毛で丁寧に作った方がいいかも……?」と唇に指を押し当てた。
そこで早速アネットに羊毛フェルトの作り方を教わることにするふたり。
羊毛フェルトとは染色した羊毛をフェルティングニードルという針で絡め、形を成形していく手芸である。
そこであまぎはすあまを手招きすると、すあまは『ぼくをよくみてねー』と言いたげに、モデル気分でしゃきーんと丸いボディの背筋を正した。
何しろすあまは濃茶一色ではなく羽の一部にやわらかな桃色が差し色のように入っている個性派パジャモなのである。
(ん……すあまは普通の黒パジャモとは色が違うからな……)
あまぎはそう考えながら、すあまの頭や羽にフェルトを翳したりしては本物に近い色をいくつか選別していった。ギンのおねだりに付き合ってやろうという温かい気持ちが彼にそうさせるのだろう。
一方で魅朱もギンのマスコットを作るべく、フェルトの色選びを終えるとマスコットの表情を作るべくスケッチを行った。
そこで思い浮かぶのは――やはりギンの子供らしいやんちゃな顔で。
(…………。頭いっぱいに、ギンちゃんのドヤ顔が浮かんでくる……)
真っ白な紙にさらさらと描かれるのは、得意気に笑うギンの顔。それをベースにフェルトを裁断し、パーツを並べるとギンは満足そうに嘴をほこっと開いた。
そんな中、材料を選び終わったあまぎはすあまの頭を一撫ですると「もう大丈夫だ、楽にしていい」とやわらかな声をかけた。途端にぺたんと腰を下ろし、両の翼を広げるすあま。
その様子を眺めつつ、あまぎは魅朱の隣の席に座るとさりげなく恋人のやわらかな髪を一撫でした。
このささやかな悪戯めいた愛情表現に、作業への没頭していた魅朱は慌ててきょろきょろと周囲を見回し「……? 今……何か、した……?」と問うも、あまぎは口元を緩めるだけ。早速マットの上にフェルトとニードルを並べたケースを置き、作業に没頭し始める。
その作業の間、あまぎは真剣そのものだった。掌大になるだけのフェルトを手に取ると、くるくると巻き、黙して針を刺し始める。
(俺はこういう手作業となると……何かと意外と思われがちだが、慣れている。基本はバランスが崩れぬよう、全体を纏めよう。原料は羊毛だからな。完全に形が定まるまでは指でもある程度調整はできる。そうだ、何から何まで小難しく考える必要はない。ただ無心に形を理想に近づけていくだけだ……)
あまぎの心は既に静寂の世界に踏み入っていた。どこまでも穏やかで、それでいて真実に対して誠実であり続ける世界。ものづくりとはそういうものなのだろう。
魅朱もそんな彼の職人めいた仕事ぶりに「すごいね……あまぎ……私も頑張ろう……」と呟くと、既に作り上げたギンのボディに翼となるフェルトを針で固定し始めた。
(一針一針丁寧に……大好きな相手を思う形って、何時も傍にいるような気持ちになるから……安心するよね)
もしこれで上等のフェルトマスコットが完成したら、ギンもすあまもあまぎも喜んでくれるだろうか。願いが叶うように祈りながら、針を打ち続ける。
そして互いにマスコットが完成したその時――ころんと主の掌の上で転がる義兄弟にすぐさまギンとすあまが抱き着いた!
「じゃも!」
「がー、ががー」
鳴き声の意味こそわからないが、どうやらお気に召したらしい。弟分や兄貴分の分身を翼で撫でたり、頬ずりしている様から既に愛着が生まれていることが明らかだ。
「よし、終わり。すあま人形、気に入ったか?」
「じゃもじゃも、じゃじゃもー!」
ギンはすあま人形と何度もジャンプした。どうやら主に感謝の意を伝えたいようだ。
すあまもギン人形の翼と自分の翼を繋ぎ、ご機嫌の様子。もっともギン人形は飛行できないのだけれど、ふとした時の寂しさを癒してくれる良き相棒になってくれるだろう。
この結果にアネットは満足した様子で「もし他にも大切なお友達のドールが必要になりましたらいつでもお声をかけてくださいね」と朗らかに告げた。
だがそこで――魅朱が「あの……もうひとつ、教えてもらいたいことがあるのだけれど……」と控えめに願い出る。
それはビスクドールの製作方法を教えてほしいというものだった。
「ビスクドール、ですか? それはもちろん喜んで対応させていただきますけれども、作品のイメージはどのような感じでしょうか。アンティーク調から、今風の華奢でディフォルメされた意匠までありますけれど」
「それが……ね……ちょっと変わった話、かもしれないんだけど……」
魅朱が言葉を濁しつつ、スケッチブックに描いたドールのデザインはどこか魅朱に似た雰囲気のある少女だった。
アッシュピンクの髪をカントリースタイルのホーステールに纏め、赤い尖晶石の円らな瞳が印象的な人物。猫耳フードを被っているあたり、可愛らしいものを愛する無邪気な人物なのかもしれない。
「あの、ね……最近……夢に見る女の子なの……。笑顔が眩しくて……幸せそう、で……。どうしてこの子を遺そうと思ったのか、わからない……。けど……他人じゃないような、気がして……」
「魅朱さんはこの女の子を形にしたい、傍にいてほしいと思ったのですよね? それはきっと、魅朱さんにとって大事なヒトなんですよ。失いたくないから、ヒトは思い出を絵や文章にする……人形だってきっと、そう。協力させてください、私にも」
道端で勧誘活動していた頃の弱気だったアネットのまなざしは、今に至って強いものとなっていた。それは魅朱の願いを叶えたいと思っていたから。
そこでそれまで幼いパジャモ達の世話をしていたあまぎが振り返りざまに袖捲りをする。
「たしかビスクドールは泥漿という粘土を焼いて作るんだったな。石膏に注いだ後の作業は経験者でなければ難しいと聞くが、泥漿の攪拌作業なら俺でもできるだろう」
「あまぎ、手伝ってくれるの……?」
「夢に出てくる人物なら何らかの縁があるのかもしれない。それを形にすることで魅朱が穏やかな気持ちになるのならそれが一番だ」
「……ありがとう、あまぎ……」
それからの作業はとかく忙しいものだった。
何しろ既製品の石膏型では魅朱の求めるドールと面立ちが全く異なるため、アネットが一旦スケッチをもとに石膏型を作成。
この型にあまぎ手製の泥漿を注ぎ、型抜きしたパーツに柔らかさが残っているうちに目や耳、関節部などに穴を空け、陰干しをする。
もっとも陰干しには数日を要する。その間に魅朱とあまぎは依頼をこなし、ついに本格的に火を通す日がやってきた。
「ね、あまぎ……ドールに着せる服、作ってきたの……。これですぐに家にお迎えできるねって思って……」
「これも夢で見た服、か。不思議なものだな、ここまで細かく印象に残るとは」
「ん……どうしてなのかはわからないけど……でもね、あの子にはずっと幸せに笑っていてほしいって思ってたから……だから、今日がとても楽しみだった……」
顔をほんのり赤く染めて、アネットのアトリエに向かう魅朱達。そこでは既に窯から素焼き後のドールを取り出したアネットの姿があった。
「大丈夫だった……? アネット……」
「ええ、この通り模様や亀裂が入ることなく綺麗なお嬢さんに仕上がっていますよ。あとはクリンナップという作業があります。粉が舞うのでマスクをつけて頑張りましょうね!」
早速研磨と目の周りなど穴となる部分の仕上げに取り掛かるあまぎと魅朱。
続けて本焼き後にアネットの指導のもとふたりでメイクを施し、睫毛やグラスアイを嵌め、ウィッグやボディをセッティングすれば……愛くるしい少女人形が作業台の上に慎ましく座した。
そして最後に魅朱のハンドメイドドレスを着せると、夢の中で微笑んでいた少女が魅朱に笑いかけるように顎をかくん、と上に上げる!
「……あ……!」
その時――ぽろっと、魅朱の頬へ涙が零れ落ちた。その理由はわからないけれど、自分の中に何か温かいものがすとんと降りてきたような……そんな気がしたのだ。
「どうした、魅朱」
「わ……わかんない……でも、嫌な気分じゃないの……。なんか、なんかね……自分の中でいなくなっていた部分が、帰ってきたような……そんな、懐かしい感じがして……」
魅朱はそう言うと自分もまたこの人形のように笑っていることに気がついた。
その姿にアネットは思う。もしかしたら今の自分の役目は、咎人が失ってしまったものに手を伸ばすためのきっかけをつくることなのかもしれないと。
一方で魅朱はあまぎと幼いパジャモ達を連れて帰途につくさなか……鞄の中で座らせた小さな友達に心の中で語り掛けた。
(この子は誰かの……幸せの形だったのかな……私も誰かの……幸せの形に、なれたら……)
大切な誰かを幸せにしたい、傍にいることで幸せを分かち合いたい。そう思うことは我儘? それとも……。
魅朱はあまぎの手をそっと握ると「今日は、良かったな」と返してくれる彼に笑顔で頷いた。
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ワークショップの勧誘を受けたアルマ(ma0638)は、チラシに目を通すと丁度居合わせたフリーデリーケ・カレンベルクことフリーデに向けて目を輝かせた。
「わふ、わふーっ。フリーデさん、いっしょにやるです!」
「人形づくりを、か?」
「です! ぬいぬい、つくるです? きっとたのしーです! わふ! おしゃべりしながら、たのしくつくりましょー」
「そうだな、お前となら賑やかに手作業を楽しめるだろうな。……アネットといったか、よろしく頼む」
この挨拶にあわせてアルマが自慢のハットを脱ぎ一礼すると、アネットは「こ、こちらこそ!」と顔を真っ赤にしてアトリエにふたりを案内した。
さて、何を作ろうか……フリーデは展示されている品々を見回し、小首を傾げる。するとアルマがフェルトに綿を詰めた可愛らしいマスコット付きキーホルダーを差し出す。
「あのですね、ぼくはますこっとをつくりたいです! いちばんがんじょうそうで、きっともちあるいてもだいじょうぶなのです!」
「ふむ……確かに。木像や陶製の人形は持ち歩けぬしな……それでは、裁縫の時間としようか」
「はいです! いっしょにちくちくするですよー!」
わふふ、と子犬のように笑い早速張り切って作業を始めるアルマ。
とはいえ体が小さいため台の上に座布団を敷き、フリーデと向き合っての作業となった。しかしこの状況にもご満悦の様子。
「えっと、まずはかたがみをつくるです! おからだのべーすをつくってから、それにかみのけやおかお、ふくをかさねてぬいつけるですよ」
「ああ、必要な分の生地を切り抜いたら、綿が抜けないように縁をブランケットステッチで縫うのだったか」
「そうですー。でもはりにはごちゅーいですっ。なくしたらあぶないです!」
常人にとっては些細なサイズの針でも、扱いを誤れば凶器となる。ましてや小さなアルマだからこそ、その針先は危険なものと認識できるのだろう。
その真剣さはまるで初めて針仕事に挑戦する娘に対する親のようでもあり、フリーデは「わかった、わかった。十分に心しよう」とアルマの頭を何度も撫でてから針に触れる。
一方でアルマは型紙を作り、布を裁断するための大鋏を全身で操りながらフェルトを裁断していく。
(むむ、ぬいぬいをつくるのはいがいとむずかしーです。でもがんばりますです。ただ……ぼくは『ぎし』ですが、きかいのあつかいとはまたちがうやつですよ……ぐぬ!)
ようやく裁断を終えるや、えいやっと針に糸を通し、小さな手で糸の流れを調整しながら生地を縫い付けるアルマ。その様子をフリーデが感心したように見守る。
「なるほど、小さな指だからこそ糸を堅実に手繰り寄せてあるべき形へ近づけるのだな。私も集中してやってみるか」
「わふ、でもいきぬきはだいじです。ぼく、ずっとこれをつづけてたらきっとばったりです。だからたのしくおしゃべりもするですよー。わぉん。たたかいのなかでも、こーいうのこそ、だいじですっ」
「……そうだな。どんな状況でも、本当の心を見失ってはいけないな」
フリーデはそう応えると、アルマに近況を尋ねながら針を動かす。
それは依頼の話であったり、家族や友達の話であったり、ささやかな笑い話や不思議な出来事の報告だったりと……本当に他愛のない話の積み重ね。
でもそれができるという幸せに、アルマはほんの少し大人びた笑みを浮かべる。
(よかったです。きっとフリーデさん、こーゆーのもおすきかとおもいまして……いままでせんじょうでがんばってましたもん。たまにはこういうおじかんもひつようです。みんなずっとたたかってばっかりだと、いきがつまっちゃうです!)
アルマは普段は無邪気な子犬のような精霊を装っているが、本心では数多の世界の危機を悟っている。
しかし厳しい現実ばかりに心が呑み込まれては、咎人がただの戦争のための道具になってしまうことをアルマは知っている。ゆえにフリーデの心を日常に繋ぐため、このワークショップへの参加を決めたのだ。
どうか彼女が人間でありつづけるようにと、紡ぐ糸に願いを託して……。
そして。
「えっと、さいごはここでたまどめをして……っと。これでぼくのはかんせいです!」
ちょきん――アルマが糸切鋏でマスコットの帽子を飾るリボンの処理を終え、キーホルダーの金具を取り付ける。
ほぼ同時にフリーデも作品を作り終えたようで、レースをマスコットに巻き付けるや青いリボンで飾り付けた。
その様子を見上げるアルマは(フリーデさん、なにをつくったんでしょう……?)と目をきょとんとさせるも、すぐに満面の笑みを浮かべて自慢の作品を差し出す。
「わぅっ。フリーデさん、あげますですっ。もっててほしーです!」
「私に、だと?」
普段は鋭い目を珍しく丸くするフリーデ。何故ならそれはデフォルメしたアルマの姿をした小さな人形だったからだ。
「わふふ。ぼく、フリーデさんのことだいすきですので!」
「それは……嬉しいが、私なんかでいいのか?」
「フリーデさんだからこそ、です! それにぼくはだいたいおたすけマスコットですが、ごいっしょできないこともありますですので……そういうときは、これをぼくだとおもってくださいですー。ついでにぼくのこともだっこするとよいです!」
なんだろう、まるで小さな弟のように思っていたのにこれでは……自分を守ってくれる騎士のようではないか。
フリーデは自分の中にこみ上げてくる奇妙な感情に目を潤ませると、アルマに自作のフェルトフラワーを抱かせた。
「あおい、ばらのはなたば……?」
「青い薔薇は過去に不可能と言われていたそうだ。しかし諦めなくば夢は叶うと……今は奇跡や、神の祝福を表す花となっている。お前の旅の道程もそうあれかしと……」
「……! ありがとうございます、フリーデさんっ! でもそのみちはぼくだけじゃだめですよ。フリーデさんと、ぼくと、みんなであるくみちですっ!」
まあるい顔をくしゃくしゃにして、フリーデに抱き着くアルマ。フリーデもまた、そんな彼を『失いたくない』と強く感じていた。
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いつもは異世界探求に励んでいる黒鷹(ma1460)が天獄界に戻ってきた時、アネットが配布しているチラシを拾い――ふと、足を止めた。
異世界の文化に触れるのも面白いが、原点回帰とでもいうべきか……時には咎人と純粋に交流するのも楽しかろう。
そこで彼はアトリエに向かうと早速ワークショップへの参加を申し込んだ。
「今日は宜しく、アネット嬢。黒鷹というものだよ」
「こちらこそよろしくお願いします、楽しんでいっていただけると嬉しいです」
アネットは些か緊張しているようだ。しかし黒鷹は興味津々といった様子で棚に展示された人形達を眺めていく。
「人形作り……か。色々な人形があって迷うね。技量と相談もしないといけないかな」
「あっ、それは大丈夫です。まずはご自身が作りたい作品第一で。慣れが必要な部分は私がお手伝いしますので」
「それは助かるね。でもできるだけ自分で挑戦してみたいという気持ちもあるんだ。そうだな……至らない点があったら教えてもらえると助かるよ」
そう言って黒鷹が隻眼を優しげに細めると、アネットは安心したように肩を撫でおろした。
きっとこのヒトは旅だけではなく様々な体験を楽しんでいたのだろうと。
そこで早速角材と木彫り用のナイフセットを卓上に並べたアネットは、黒鷹に何を作りたいのかを尋ねた。すると彼は少しの間だけ目を瞑り、作業台の上に指を滑らせる。
「そうだね……この世界に来てから縁のできた子供達がいる。その子達の姿を木像にしてみたい」
「まあ、素敵ですね! それでは簡単に形をスケッチして、それを角材に写していきましょう。様々な角度の絵をお願いします」
「了解。どこまで現実の形にできるか……楽しみだ」
すぐさまスケッチブックにさらさらとステラとフィーの姿を描いていく黒鷹。するとアネットが「あら」と口に手を当てた。
「何か?」
「いえ、このお子さんたち……以前、ワークショップでフェルトマスコットを作っていった参加者さんにそっくりだったので」
「そうなのか。……そうだな、あの子達は好奇心が強いから。会えなかったのは残念だが、アネット嬢と既に縁があるのなら心強い」
きっとふたりの無邪気な表情を知っているだろうから――黒鷹はそう胸のうちで呟きつつ、アネットの指導のもと角材に絵を写していく。
そこからの作業は順調そのものだった。黒鷹は木工に造詣が深く、ノミで大胆に木を削り取る時にも迷いがない。
むしろ彫刻用のナイフを動かしながら自然と歌を口ずさんでいた。
(何だろうな……不思議だ。このように木へ腕を振るう自分に違和感を覚えない。もしかしたら過去に関わっていたのかもしれないな。そう思うと、この作業に深みを感じる。もしかしたら他の経験も重ねることで、過去の自分に近づくことができるのかもしれないな)
しみじみと想いを巡らせながらも、彼の手は止まらない。アネットはそんな黒鷹の様子に驚きながら、せめて一息つけるようにと茶を淹れた。
すると――黒鷹がおもむろにアネットへ言葉を紡ぎ始める。
「ところでこの人形に色は付けるべきか、そのままか……悩むね、どうだろう?」
「そう、ですね……ステラさんもフィーさんも可愛らしい体つきですので、木目のやわらかい雰囲気を活かして着色なしというのもいいと思います。でもお洋服の愛らしい色遣いや、毛並みの艶やかさを際立たせるために色をつけるのもいいですね」
「そうだね……本当に、悩みどころだ。存在の魅せ方というものは、ただひとつに限られたものではないからね」
そう言うと彼はナイフをケースに戻し、アネットへ視線を投げかける。
「自分もこの世界に来たばかりで、暢気に世界を歩いて回っている身でね。少しアネット嬢と似て……いや、何かを生み出していない分、かなり出遅れているかな。でも、気持ちは解る気がするよ。焦燥も、懊悩も」
「でも、私は……黒鷹さんのようには……」
「なに、戦場ばかりが咎人の生きる場所ではないさ。自分は過去に菓子を集める、資源回収という仕事もしたんだよ。色々あるね」
「お菓子を集める? 楽しそうな依頼ですね」
「つまり依頼とは神のために戦うものばかりではないということだよ。自分の力が活かせそうな分野、やりたいことから始めればいい。やがて自信がついた時に誰かのために力を揮うのも選択肢に入る……そういうものさ」
黒鷹は紅茶を一杯呷ると、穏やかに笑った。きっと『あの子たち』もそうだからと呟いて。
「でも、元気なステラ嬢達を見ていると、気が楽になる。続けていれば、何かに出会う、今日という日のように。だから頑張って続けて行くと良いのではないかな……いつか、それが自分にとっての道標になるかもしれない。偉そうに何かを語る前に、自分も道標を見付けないといけないのだけれど」
この言葉を受けたアネットの目尻には涙が溜まっていた。
きっと行き所のなかった心の在処が見つかったのだろう。膝の上に置いた手に涙がぽろぽろと落ちていく。
そこで黒鷹はハンカチを手渡した後、密やかに制作していた人形を差し出した。
腰に彫刻道具を挿したベルトを巻き、左手で布、右手で針を持った芸術の天女像だ。
「これはきみという存在を表現したものだ。専門家の作品と比べれば拙いだろうけれども……良かったら今日の礼として受け取ってほしい。自分が人形師を謳うにはまだまだだけれど、今日は楽しかったよ。お互い、これからも頑張ろう」
「ええ、ええ! このお人形、ずっと大切にしますね。来てくださって、本当にありがとうございます!」
何度も黒鷹に感謝の言葉を口にするアネット。そこで黒鷹少し考える素振りを見せると、「ああ」と何かを思いついたようで口を開いた。
「そうだ、その内、人形師というロールだって生まれるかもしれないね。今まで踊りや歌といった文化がロールとして開花しているんだ。人形だって誰かを守る為の力になるかもしれない。だからきみの愛する力を捨ててはいけないよ、これからも大事にね」
そうだ、この世界はあらゆる奇跡を現実にしている。何でもできる世界なら、きっと。
黒鷹がアトリエのドアを開いた時、雲ひとつない青空がふたりの顔を明るく照らしていた。
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麻生 遊夜(ma0279)と鈴鳴 響(ma0317)がアネットのアトリエを訪れたのは、彼らが何年連れ添うとも愛情薄れぬ恋人たちだったからである。
ワークショップのチラシを見た響が「……ん、面白そう……ぬいぐるみなら、ボクでも作れそう?」と首を傾げたのをきっかけに、生前子供達を相手に手芸作品や手作りの玩具を送っていた遊夜も創作活動への意欲が再燃。
「生前の作品は全部我流だったからなぁ……正式な知識を仕入れておくのも良かろう。よし、せっかくだからビスクドールの指導して貰おう、ガチンコの!」
「……ん、ビスクドール?」
「ああ、陶器の肌の人形だから仕上がりに艶があるんだ。ほら、西洋の屋敷に飾られているような……」
こう解説しながらも、胸のうちではビスクドールに機械を仕込んでみたいなあとも思う遊夜。
彼は現実に生前、木製ながら合体変形まで可能としたロボットを作り上げている覚えがある。それは男性……いや、心の中に男の子がいるからこその浪漫なのだ。
とはいえ郷に入っては郷に従え。ましてや割れ物であるビスクドールには無理はさせられまい。アネットに教えを請うた遊夜は白紙に向かいながら響の顔をじいっと見つめた。
「……ん、ねえ? ……ユーヤはどんなドールを作るの?」
「そういう響はどうするんだ? ぬいぐるみといっても色々あるだろう、動物とかキャラクターとか」
何ともなしに問い返してみる。すると響は見せつけるように自分用の生地を遊夜の前に広げ、クスクスと笑った。
「……ん、生地に黒い布が多いから本当はわかっているんじゃない? ……モデルはユーヤ……カッコよく作る、乞うご期待……クスクス。……抱きやすい大きさで、ニヒルな感じの笑みを浮かべたのを作りたい……」
「俺がモデル? ふむ、なら俺も響をモデルにするか……初めてだからこそ、慎重に気合を入れて創れるものだしな」
何となくイメージはしていたものの、互いに嫌悪感はなく安堵。響の髪を優しく撫でた遊夜は早速、ビスクドール製作の教本を読みながらアネットに指導を受ける。
そこで素体は遊夜が、ウィッグやグラスアイなど製作に専門的な技術を要するパーツをアネットが担当することで流れが決まった。
「暗記には自信があってな、一度手掛けてみればコツまで掴めるだろう。例え失敗しても糧にしてみせる」
愛しい響を模した人形だ、例えトライ&エラーを重ねようとも最高のものを作ってみせると遊夜は張り切ってジャケットを脱ぐ。まず目指すのは石膏型の成形だ。
一方で響は針に糸を通し、アネットと相談したうえで作った型紙どおり切り抜いた布の前で小さく唸った。
(……ユーヤに作って貰った事はあるけど自分で作ったことはない。……でもユーヤがいるし、先生もいるから大丈夫……だよね? ……人並みに器用なつもりだし、あとは直感で何とかなるかな? ……がんばろ)
彼女はぬいぐるみの素体を鋭敏視覚でしっかり確認し、まずは顔の刺繍を開始する。
とはいえシンプルなストレートステッチと異なり、唇など目立つ線を表現するチェーンステッチやバリオンステッチ、頬のほのかな赤みを表現するために面を繕うロング・アンド・ショートステッチなど、ほぼ初心者の響にとっては難しいと思うものが教本に並んでいる。
そこでうーん、と眉間に小さく皺を寄せると、遊夜が「お」と声を漏らした。
「どうした?」
「……えと、この鼻の部分……少し立体的に見せたいんだけど、まっすぐ縫うだけじゃ綺麗にできなくて……」
「ああ、ここはこうすると良い。うむ、上手いぞ。なあ、アネット先生?」
手芸上手の遊夜の手ほどきでまずはひとつ技術をマスターした響。その頑張りにアネットも嬉しそうに手を叩く。
「そうですね、本当に! それでは次はこの部分を縫ってみましょうか。針はこうして持って、気持ちはリラックスさせて……」
「……ん、あれ? ……先生……ここ、上手く行かない」
「あ、そこは先に作った縫い目に引っ掛けるんですよ。そうすれば綺麗な縫い目に仕上がります」
「……ん、本当……出来た……ね、ユーヤ見てみて」
響が遊夜とアネットから裁縫のいろはを学ぶたび、可愛らしい遊夜ぬいぐるみの表情が生き生きとしていく。それがただ嬉しくて、遊夜は時に手取り足取りで響の手芸体験を応援するのだった。
その間にもモデル確認と称して、遊夜とお喋りを楽しんだり動きを見つめたりするのはパートナーの特権。
ましてや遊夜は戦場で盾役を務めることが多い立派な体躯の男だ。肩幅をやや広く足腰もがっしりとさせた型紙のため、布の裁断前に無理なくポージングできるように調整していく。
(……ん、これぐらいがっちりしてるとユーヤって感じがする。……でも顔や肩回りはぬいぐるみっぽく丸くして……クス、かっこいいけどちっちゃいユーヤって感じだね……)
後は素体に綿を詰め、髪の毛や服のパーツを縫い付けていくだけだ。
そんな中、ビスクドール響の石膏型が乾き、泥漿を注ぐ流れとなった。
実はこの泥漿の量の調節と乾燥具合が後に強く影響する。何しろ人形の肌そのものであるため、量を誤れば割れやすくなったり望まぬ形で奇妙な紋様が入ってしまうのだ。そのため遊夜は一旦石膏型を泥漿で満たすと深くため息を吐いた。
「どれぐらい待てばいいのかな?」
「この時期は乾燥していますから数分で大丈夫です。泥漿は型に数ミリ程度残れば十分ですので」
「わかった。ところで排出した泥漿はどうすればいい?」
「排出したものはとっておきますよ。石膏型から外す時、お人形の顔はまだ少し柔らかいんです。その際に擦って傷つけてしまうこともあるので、小さな傷を直す時に役に立つんです。あと、お人形の顔で手直ししたい部分があればその時にも使いますね」
「なるほど……それにしても先生は人形のこととなると楽しそうに話すんだな。やはり転職ということか」
「……うう、私はこれぐらいしかできないので……皆さんのように悪者退治とか、人命救助とか、うまくできないので、これぐらいは……」
「ああ、いや。別に悪い意味で言ったんじゃないって。な、響。俺は過去に孤児を養っていたんだが、その時に人間は実利や使命だけでは生きていけないと学んだんだ。俺の作る他愛のない玩具でも子供達は喜び、大人になっても古びた玩具を抱いて幸せだと振り返ってくれた。先生が作る人形もそういう誰かの『大切』になるものだと思うぜ? 実際に俺が今作っている人形だって、俺と響にとっては宝物になるわけだしな」
遊夜はそう言うなり時計を見上げ、そろそろじゃないかとアネットに確認。途端にはっと顔を上げた彼女は急いで余分な泥漿を除くや、遊夜と響へ頬を真っ赤に染めて「ありがとうございます」と一礼した。
それからしばらくして、響は見事に遊夜ぬいぐるみを完成。ひとまず帰途に就く中、彼女は黒いスーツを着こなした小さい男前を抱きしめて満足そうに口元を吊り上げる。
「……ん、ふふっ……上手く縫えた、可愛い……次はボクの、作ろうかな?」
「おお、本当に良く縫えているな。不敵そうな顔をしているのが我ながら小憎らしいというか」
「……ん、クスクスっ……だって、強敵と戦う時ほどユーヤって頼れる顔になるもの……そういうの、かっこいいって思う」
「何を言ってるんだか……それにしても、今度は響のぬいぐるみも作るのか。やる気満々だな?」
「……ん……だって、ユーヤひとりじゃ寂しいもの。……ビスクドールも本当は対にしたいけど、ボクにはまだ難しいみたいだし。……だからぬいぐるみだけでも、一緒にしたい」
どうやら響も今日一日の体験は楽しかったようだ。遊夜と手を繋ぎながらも、左手ではしっかりとぬいぐるみを抱きしめている。
「……ん、ビスクドールの完成までは何日かかかるんでしょう? ……それなら競争、だね。……ボクがボクのぬいぐるみを完成させて、ユーヤのぬいぐるみの隣に並べるの。……その後ろにはビスクドール、きっと皆驚く……ふふっ」
全く、可愛いお姫さまだ。遊夜は響をいつものように背負うと、上機嫌で夕闇の街を歩いていった。
――それから数日。依頼の合間にふたりはアトリエに通い、ビスクドールの手入れやぬいぐるみの製作と忙しい日々を送っていた。
しかし遊夜と響の顔に疲労の色はない。こののどかな時間にこそヒトらしい幸せを感じているからだ。そして最終日……。
「さて、今日は塗料も乾いただろう。ドレスアップをさせて完成だな!」
これまで鋭敏視覚や物体透視といった能力をフル活用し、傷ひとつないようビスクドール響を製作してきた遊夜が満を持して鞄にドレスや髪飾り、靴といった手作りのアウトフィットを詰め込んでいく。
いつもの黒と赤の妖艶なドレスだけではなく、白とオレンジを基調とした爽やかなドレスも用意していることからも仕上がりが本当に楽しみなのだろう。
かたや響も自分そっくりのぬいぐるみを手にし、にっこりと笑った。
何しろ遊夜ぬいぐるみと響ぬいぐるみの手にはマジックテープが縫い付けられており、普段から手を繋げるようにしているのだ!
「……ん、ふふっ……並べて飾るの、楽しみだね……ユーヤ?」
「そうだな、家も掃除したから迎えの準備は万端だ。可愛がってやらないとな?」
「……ん、飾るならやっぱり……玄関? リビング?」
「そうだなあ……和式の家だから居間がいいかもしれないな。見ていると心が安らぐ、というか。玄関でも家族が出迎えてくれるようでいいだろうけれどな」
「……ん、それならお迎えした後に決めようか。……きっと居心地のいい場所っていうのもお人形にはあると思うから……」
そう言ってふたりのぬいぐるみの手をぎゅむっと握る響。小さなこの手が離れぬようにと願いながら。
そんな中、完成したビスクドールを手渡された遊夜は早速服を着付けし、その仕上がりに満足した。
「……良し、手応えありだ。これは最高の出来ではなかろうか。流石開催者だ、指導が良い。見栄えの良い場所に揃えて飾ろうな」
「いえ、元より遊夜さんの人形の扱いが素晴らしかったのです。遊夜さんも響さんも、お相手のことを大切に思っているからこそ、愛情で人形を造り上げられたというか……私も、そういう方ができたらいいなと……」
思わぬ言葉に遊夜と響が顔を見合わせる。その時、アネットの顔は熟れたリンゴのように赤く染まっていた。
何故なら彼女はこの数日間、幸せなふたりを見守って憧れを抱き始めていたのだから。
●
川澄 静(ma0164)はフィーと揃ってアトリエを来訪すると、丁寧に一礼した。
「アネットさま、本日はよろしくお願いしますね」
「い、いえ、こちらこそ! よろしくお願いします! ところで静さんはどのような作品をお作りになりますか? ……あっ!」
朗らかな静達とは逆に、アネットからはまだ緊張感が抜けきっていないようだ。焦って手作りのカタログを差し出すも、手を滑らせてテーブルの上に散乱させてしまう。
そこで静はカタログを手早く集めるとフィーにそれを見せ、一方でアネットの心のこわばりをほどくように柔和に微笑む。
「フィーさまは、何をつくられますか? 私はペンギンさんですっ」
「ペンギン?」
「ペンギンは丸みがあってわかりやすい姿をしているでしょう? フェルトマスコットのモチーフにはピッタリだと思うのです。娘もペンギンが好きですしね」
「ソウナンダ! ソレジャ、私ハ白熊サンノマスコットヲ作ル! オ友達ニスルノ!」
わいわいきゃいきゃいと盛り上がるふたり。その様子を前にアネットは安堵したようだ。
「わかりました、フェルトマスコットですね。キーホルダーを付けてバッグなどに飾れるようにしますか?」
「それは助かります、ぜひご指導くださいね」
「オ願イシマスナノ!」
うふふ、と静の隣にぴったりくっついて微笑むフィー。まるで仲良し姉妹のようだ。
そこから始まるワークショップは至極和やかなものだった。
静には元より裁縫の心得があるが、それでもぬいぐるみのような愛玩用の小物を作ったことはない。
だからこそアネットにマスコット用の針遣いを学び、丁寧に縫っていく。
「ふふ、アネットさまは本当にお人形がお好きなのですね。教え方も上手ですし、好きって気持ちがこちらにも伝わって参ります」
「いえいえ、そんなことは……それよりも静さんの針仕事は丁寧ですね、昔からお裁縫の嗜みが?」
「生前は旅をしていたものですから。道中に傷めた着物を修繕したり、雨よけの羽織りを仕立てたりしていました。ですので自然と和裁が身についたといいますか……」
「なるほど、だからこそしっかりとした縫い目ができるのですね」
感心したように目を細めるアネット。かたやベースとなるボディに綿を詰めた静が手の上で作りかけのマスコットを転がしながら目を瞬かせる。
「これは、娘が作ったら、ヘンテコなのか虹色のものができますね……」
「えっ、静さんにはお嬢様がいるのですか!? しかも虹色!?」
「え、ええ。互いに咎人ですから外見の年齢は近いのですけれど……不思議なことに娘に何かを作らせると、特殊な道具を使っているわけでもないのに物を虹色に染めたり光らせたりするのです」
「それって咎人の能力なのでは? ほら、咎人には花火を上げる力とかあるじゃないですか」
「いえ、そういうのではなくて……なんというか……」
例えるなら、娯楽小説で不器用なヒロインが作る奇妙な料理のような……そう言いかけるも、母親である自分も理解しきれずにいるのだからと静はあえて言葉を呑み込んだ。
そしてひとつ作れば慣れたもの。
「あの方にも作って差し上げて、お揃いのキーホルダーにしましょう」
そう言って同じサイズのマスコットを作るべくフェルトを裁断した。ただし今回のペンギンは笛を持つようだ。茶色の布を細く切り、穴を刺繍で表現するとくるっと巻き付け――腕に握らせる。
「あの方は笛を吹くのがお上手ですから。私の方には扇子でも握らせましょうか」
クスクス微笑みながらマスコットを作っていく。フィーも頑張っているようで、真っ白なフェルト相手にうんとこうんとこ針先を運んでいる。
そうしているうちに夕闇が迫り……最後には静の前に4体のペンギンがころんと座っていた。
「フィーさまとアネットさまもどうぞです! お揃いですよ~」
「えっ、いいのですか?」
「イイノ!?」
「アネットさまのご指導がなければマスコットを完成させることはできなかったですから。ささやかなお礼です、本当に今日は楽しかったです」
静のまっすぐな感謝に胸が熱くなるアネット。だが静は作業中の会話でアネットが咎人として行き詰まりを感じているのを悟っていたため、にこやかに手を差し出す。
「あの……それと、もしよければですけれど。依頼に行く時はお手伝いしたり、練習にお付き合いしますよ。初めはどなたでもこの不思議な世界と運命に戸惑いを覚えるものです。ですから、お礼にお手伝いさせてください」
この提案にアネットは一瞬目を丸くするものの、顔を上気させた。
きっとこの女性とならどんな苦難も良い経験にさせてくれるだろうという予感が胸によぎったからだ。
●
(……今欲しいものがあるけれど、使用用途を知られるのは気恥ずかしいんですよね。さて、どうしたものか……)
不破 雫(ma0276)はアネットのアトリエに据えつけられたショーウィンドウの中を覗いて小さくため息を漏らした。
彼女の望みは『ぬいぐるみ』。
それはうら若い女性なら部屋にいくつ置いていても違和感のないものだ。
しかし彼女は生前から多くの戦いの中を駆け抜けてきた歴戦の勇士でもある。
ゆえにぬいぐるみを――就寝時の友としていることを知られることに抵抗感があり、ウィンドウの前を何度か往復しては小さく唸った。
「先程勧誘を受けたワークショップは基本的にマンツーマン形式のようですし、そんなに心配することでもないのでしょうけれど」
そうぽつりと呟いたところで、アトリエのドアが開く。そこではっと振り向くと、アネットが「来てくださったんですね」と嬉しそうに目を細めた。
「え、ええ……ぬいぐるみを作ってみたいと思いまして」
こう返しながら雫は思考を巡らせる。
(この機会にまずは……手堅く小型の縫いぐるみを作るか。いや、教えてくれる人がいるから大型の縫いぐるみに挑戦するか……う~~ん、でもドールって言うのも面白そうなんですよね)
ウィンドウに飾られている作品はあまりにも多様で、年頃の娘の瞳には魅力的に映るものばかり。
だからこそいくつも挑戦してみたいと思うのだが――考えるほどに思い浮かぶものはただひとつ。やはり自分の傍にいてくれるものがいい。
「あの、できれば大型のぬいぐるみを作りたいんです。ただ、絵心がないので自信が無くて……それでも作れますか?」
「それはもちろんです。レシピ集の写しを使っていただいて結構ですよ。あと、私のでよければですけれど……過去作品の型紙もあります」
「それは助かります、好きな形の子を作りたかったので」
雫は普段多弁といえる少女ではない。しかし訥々と語る言葉の中で僅かに弾むような声音があることにアネットは安心した。
「それではこちらへどうぞ、道具や材料は一式用意していますからお気軽に」
――さて、早速無数のレシピ本やファイルされた型紙を前にした雫はそれらを捲り、いくつかの候補をピックアップした。
抱き心地と手入れのしやすさを考えるならばやはり可愛らしさとシンプルさを併せ持つ動物型だろうか。果物や野菜といったデザインもあるが、愛着がわく対象といえばやはり愛らしい顔がついているものがいい。
しかし。
(ふ~~む、貰った型紙を拡大してみたけど……何かバランスが狂ってる様な気がする。抱くのではなくて飾ることが前提のデザインだから、かな)
拡大コピーした型紙に裁断前の布を待ち針で合わせてみて、考え込む。
まずは頭が立体的で大きい。これでは寝る時に、頭から下に縋るような形になってしまう。
そこで雫は小さく挙手。アネットに恥を忍んで本当の願いを打ち明けることにした。
「アネットさん……あの、その……え~っとですね。この子を抱き枕として持ち帰りたいのですが、詰め物との材料ってどんな物が良いんでしょうか?」
「抱き枕、ですか?」
「その……少し恥ずかしいのですが……寝る時にぎゅっとできると安心できるので……」
表情が控えめな中に僅かな戸惑いを見せる雫。しかしアネットはそれを真摯に受け入れると、得心したとばかりに深く頷いた。
「なるほど、大型のぬいぐるみを希望されたのはそういったご事情なのですね。それならばお顔全体を立体的にせず、目や鼻はプラスチックパーツを使わずに刺繍で仕上げましょう。あと中に詰める素材はビーズにしましょうか?」
「ビーズというと、枕に入っているような穴の空いている?」
「そうです。通気性もいいですし、ぬいぐるみの形に合わせてくれます。多少の手間はかかれど、中身とカバーとしてのぬいぐるみを別々に作れば肌に触れるぬいぐるみを洗えるようになるので長持ちするかなって」
「そうか……それなら部屋に置いていても綺麗なぬいぐるみとして違和感なく飾れますね」
ほっと溜息を吐いて、アネットが淹れた紅茶に口をつける雫。その様子にアネットが小首を傾げた。
「あの……ところで、どうして抱き枕の所有に戸惑いを抱かれるのですか? 今は睡眠の質を上げるために大人の方でも愛用している方がいると聞いていますよ」
すると雫がいやいや、と言いたげに首を横へ振るう。
「だって……未だに眠るときに抱えてるなんて言えないじゃないですか。それに縫いぐるみを持ってると知られると揶揄されそうだから実の妹にも秘密にしてるんですよ」
「妹さんにも、ですか?」
「ええ。姉としての矜持があるのです」
妹や仲間の前では凛とした女性でありたい。
見た目こそ少女でも、雫には強い意志があるのだ。
その気高さにアネットは心をうたれ「それではかけがえのないやすらぎの時間のために、心を込めて作りましょう」と雫が望む抱きぐるみの型紙をざっと描き上げた。
――それから夕刻を迎えるまで、ふたりは1mほどの背丈のある抱きぐるみを作っていた。刺繍など細かい部分はアネットが、大まかなボディラインは雫が丁寧に縫い上げていく。
その仕上がりは見た目が猫。やわらかな毛並みに包まれながらも、肉球には弾力のある特殊繊維を用いた一点ものだ。
「わ……凄い、です。今回の催し、本当にありがとうございます」
「い、いえいえ! 作業中に聞かせていただいた雫さんのお話に私も勇気づけられました。こちらこそ、ありがとうございます。それとこの子のお見送り、私にさせてくださいね」
そう言うとアネットは荷運び用の台車に包装済みの抱きぐるみを乗せた。どうやら雫の家まで荷の正体を隠して運ぶつもりのようだ。
そこで雫が「重ね重ねありがとうございます」とはにかんだ時、本人の意図せずところで見た目相応の可愛らしさが浮かんだ。
「それと、アネットさん作の子も欲しいので通販的なのがあると助かるのですが……」
「えっ、私のですか!?」
「ウィンドウを眺めていた時から素敵な子がいるなって……お友達は多いほどいいんじゃないかなって。今も強い咎人であり続けたいという心はあります。でもそれと同時に自分にも素直でありたい……今日はそう思えるようになったんですよ」
この言葉にアネットは満面の笑みを浮かべた。これまでやってきたことは無駄じゃなかった、こうして喜んでくれる人がいるのだから……。
幸せに満ちたマジックアワーが流刑街を照らす中、ふたりの少女は穏やかな表情でそぞろ歩いていった。
●
侍衆の女性陣はアネットの勧誘を受けると、ステラとフィーも連れてワークショップに参加することを即決した。
アトリエには人形やぬいぐるみ、置物がずらりと並んでいる――それを真っ先にイサラ(ma0832)が眩しそうに見上げる。
「こーやって見てっと、色んな人形があるんスね。アネットさん。あ、アタシはイサラっス! アネっちって呼んでもいーっスか?」
「は、はい。でもそう呼ばれるのは初めてですね……正直、驚いています」
「そうなんスか? あ、商いには独特の距離感があるからスっすかね?」
「そう、ですね。お客様や材料の取引先がお相手となるとどうしても……ましてやこのような性格なので、友達もどこか一歩距離があるような」
眉尻を下げて笑うアネット。とはいえそれは困惑の証ではなく、自分がイサラの厚意にどう応じれば喜んでもらえるか考えているかのようだ。
そこで折り目正しい所作の白綾(ma0775)が前に出る。
「お人形作りは初めてですね。本日は宜しくお願い致します。私のことは白綾とお呼びください」
「は、はい! こちらこそよろしくお願いします!」
白綾は真面目な女性で、自分語りを得手とはしていない。だからこそアネットの戸惑いを励ましという形で拭い去りたいと考えているようだ。
早速展示されている作品の中から、手のマネキンにはめられた指人形を見つけると「可愛らしいですね、指先で人形劇ができそうです」と感心したように頷く。
一方で藍紗(ma0229)と紅緒(ma0215)はアネットの前に並んで柔和に微笑む。
「本日は素晴らしい機会を頂いた、アネット殿。良しなにの」
「今日はよろしくね、あねっと! すてらとふぃーも!」
優美な藍紗と快活な紅緒。アネットはふたりを前にしてやや緊張した様子で言葉を選ぶと「今日は一緒に素敵な作品を作りましょうね、よろしくお願いします」と挨拶する。
そんな緊張をよそに、ステラとフィーはボールのように弾みながら「がんばる、がんばる!」「可愛イノ、作ル!」と大騒ぎ。
すると藍紗が「時に、ステラとフィーも人形を拵えに来たのかの? 何を拵えるのじゃ?」と尋ねた。実はステラもフィーもワークショップに何度か足を運び、マスコットを作っているのだが――これで最後だからと互いの姿のぬいぐるみを作ることにしたようだ。
「すてらとふぃーのぬいぐるみかあ。お店で売っているような、毛がふさふさしてるの?」
「そうだよ、おめめはまんまるのおめめびーずをつかうの!」
「中ニハフカフカノ綿ヲ詰メルノヨ! 抱ッコデキルヨウニ、抱ッコ紐モ作ルノヨ!」
この答えを受けた紅緒は、自身の顎に指先を這わせる。
「そっかー……すてらとふぃーが抱っこできる大きさなら作りやすいかもね。あたしはどうしようかなあ。手のこんだお人形は難しそう……簡単だけどかわいいの……わがまま?」
「そんなことはありませんよ、例えばフェルトマスコットなら手直ししながら作れます」
「ふぇると?」
「繊維同士を針で絡め、形を作る手芸です。また、その繊維を不織布にしたものもフェルトと呼ばれているんですよ。フェルト生地は切りっぱなしでもほつれることのない扱いやすさが魅力になっています。こちらでぬいぐるみを作るのもお手軽ですよ」
「そうなんだ、それならふぇるとますこっとに挑戦してみようかな! 難しいところも、教わってできると達成感があるわよね!」
屈託なく笑う紅緒に思わずアネットも相好を崩す。藍紗も義妹の屈託のなさを愛しているようだ。紅緒の頭を撫でながら口角を吊り上げる。
「紅緒はマスコット、ステラとフィーはぬいぐるみか。ならば私はぬいぐるみを作ってみよう、抱えられる程度の大きさが良かろうか」
「わかりました、藍紗さんはぬいぐるみですね。ご希望のモチーフはありますか?」
「うむ。時に……型紙から作ることは可能じゃろうか? 私は紅緒のぬいぐるみを作りたく、思っておる」
「えっ、あたしを? 藍紗、それ本当!?」
「これからも数多の戦があろう? それを無事に潜り抜け、帰るべき場所に帰った時に迎えてくれる者がいる。互いの無事を願う、祈りの器よ」
藍紗は偽りの言葉を吐かない。だからこそ紅緒は義姉の想いを実感し「……ありがと」と頬を染めた。
そんなふたりを羨ましそうに眺めるも、早速アネットは書棚から数冊のファイルを取り出して彼女達の前で広げてみせた。
「それなら既存の人型の型紙からお好みのものを探して、それを基に顔立ちや髪型、デフォルメした飾りとお着物で飾って紅緒さんらしさを出していきましょう」
ぱらりと頁を捲ってみれば、さまざまな意匠のぬいぐるみの型紙が並んでいる。顔立ちは文化人形のようなレトロなものから、街中で見かけるアニメ風のものまで様々だ。
(紅緒は目が大きい、愛くるしい娘じゃ。明朗快活さを感じさせるものがよいのう……)
フェルトを手にし「うわ、すっごいふわふわしてる!」と大騒ぎする紅緒。藍紗はその隣に座り、サービスの紅茶を飲みながらデザインを考える。
この義姉妹の姿に青桐(ma1371)は思わず頬を緩ませた。
「紅緒さん人形なら、夜中に歩き出しても怖くありませんよ。……さて、ワタシもお人形を作りましょうか」
彼女は布製の人形を作ろうとしているようだ。
青桐は見た目こそ幽鬼だが、本来は家庭的な性質である。
裁縫にも心得があるのか布人形の制作指南書より素体を紙に写し取り、続けて刺繍の案と縫い付けていく服の型紙を描きこんでいく。
その手慣れた動きに玄那(ma1251)が目を丸くした。
「あら、青桐は布でお人形を拵えるのね。着物の意匠から察するに、あのふたりかしら?」
「はっ、はい……! ワタシは想像力が欠けているので……傍にいるヒト達をもとに作りたいと思いまして。藍紗さんに怒られてしまうでしょうか? 大丈夫ですよね? ね?」
最後の一言は心持ちひそやかに。
しかし藍紗は青桐の強張った声を聞き逃しておらず、ちらりと視線を青桐の鉛筆が奔った白紙に送るや……「構わぬ、むしろ『もうひとり』も喜ぶじゃろうて」と返した。
その反応にほう、と安堵のため息を漏らす。何しろ彼女の布人形は藍紗と紅緒がモデルなのだから。
かたや玄那はその答えを事前にわかっていたかのようにふっと微笑むと、棚に乗っているビスクドールを抱いて「今日は少し手の込んだもの……ビスクドールを拵えてみようかしら。……アネットさん、あたしを基にしたビスクドールって作れるのかしら」と呟いた。
この一言にアネットが顔を輝かせる。
「それはもちろん! 玄那さんはメイクとドレスがよくお似合いですから、クラシック風からディフォルメモデルまで完成度の高い作品が作れると思いますよ」
「そう……ありがとう。焼き物のお人形は作るのが大変と聞いたけれど、あたしは手先が器用な方なのよ。アネットさんに協力してもらえたらきっと良いものが作れるわね、いいえ、作るのよ。改めてよろしくね、よろしくお願いするのよ」
玄那はこの世界にやって来てから『ものづくり』に強い興味を示すようになったが、今日は格別のようだ。早速型を取るべく、アネットと共に作業に入る。
そんな中、のんびりと作業を楽しむのはイサラと白綾だ。
「皆も色んな人形こさえてるっスね、アタシも負けられねーっス」
「その意気ですよ、イサラさん。私も皆さんから許可をいただきましたので……侍衆の皆さんの指人形を作ります」
イサラは口が開くハンドパペットを作っているようだ。自分の左手を画用紙に起き、その周りを包み込むように線を……パペットの本体となるラインを引いていく。
布はアネットが推奨したフェルト生地を使うそうで、切りっぱなしでいいとの言葉から安心したのか大胆にカットするようだ。
かたや白綾もフェルト生地を手に取って小首を傾げる。
「指人形はフェルトで作るのが良いでしょうか……先ずは師匠から……」
どの指にもはめられるよう、やや大きめにカットした生地に刺繍糸を用いて顔を作っていく。涼しげな目元と艶やかな唇は藍紗を表現するうえで欠かせないものだ。
「へえー、白綾っちは器用っスね。こんな小さな布に糸で顔を描くなんて!」
「そんな、布製の指人形ですから……お顔で表現できるのは眉毛と目と口ぐらいです。だから皆さんの特徴を掴まないとって、今は頭がいっぱいになっているんですよ」
「またまたー、涼しい顔しちゃって。でもこっから髪とか服とか作るんっスよね? アタシ、ガチで凄いって思うっスよ」
「ありがとうございます。この子達は指人形ですから作るのは胸元までですけれどね。それでも……いつか皆さんと指人形で遊べたら嬉しいです」
そう言って刺繍したばかりの布を指にあて、首を揺らすように動かす白綾。
彼女には表情というものがないように感じられるが、それでもこのような遊び心を露わにするあたり胸のうちでは楽しんでいるのだろう。
イサラは「それならアタシのパペットも負けないぐらい面白いヤツにするっス!」と気合を入れ直し、今度は口の中に仕込むフェルトの裁断を始めた。
――そうして秋の陽がやや傾き始めた頃。白一色と黒一色のフェルト玉を掌大に仕立てた紅緒がそれぞれを手に乗せて「じゃーんっ」と藍紗とステラ達に得意気に見せた。
「ほう、綺麗な球ができたの……時に、この色合いは?」
「藍紗ならわかるんじゃない? すてらとふぃーよ! ふたりとも小さくてころころしているから、これから目と鼻と口を付けるの。耳はふわふわに仕上げるわ!」
途端にきゃいきゃい盛り上がるステラとフィー。その一方で紅緒が「あとはね」と呟く。
「できれば藍紗のますこっとも作りたいな。他の皆のますこっとも……でも時間あるかなあ」
ほんの少し不安そうな顔で針を動かし続ける紅緒。
だがそこに型の乾燥のため休憩中の玄那が顔を出した。
「あたしのビスクドール、完成までは最低でも一週間近くかかるんですって。完成までアトリエを自由に使ってとアネットが話していたわ」
「えっ、本当!? それは嬉しいけれど、びすくどーるって時間がかかるのね」
「焼き物の人形はそういうものなのですって。肌が薄すぎても厚すぎても壊れやすくなるし、それに自然の風で乾かす時間が必要だから……楽しみだけれど、辛抱が必要なのよ、必要なの。もっとも、その間に鬘や服の支度をするのだけれどね」
「そうなんだ、粘土の人形っていうと形を作ったら乾かして終わりなのかなって思ってた」
「ふふ、手足が動くお人形だから。でも紅緒や藍紗達の作品も楽しみにしているのよ。どんな可愛い子を作るのかしらって。フワフワちゃんが拵えたものも後で見せて欲しいわ。欲しいのよ」
クスクス笑い、藍紗が手にしている紅緒人形の素体にあたたかな視線を投げかける玄那。
藍紗は既に顔の刺繍を終え、淡い紫の太い糸を髪として頭部に縫い付けている。後は素体に綿を詰め、着物を作って髪を大きな簪とリボンで結い上げるだけだ。
「それでは私は一層心を込めて作らねばの。髪飾りはちりめんで仕立て、着物は艶やかに織られた紬の端切れを用いて……達者な者がおると、作業も捗るのう。楽しさも二重三重増しじゃ」
――戦場では見ることのない、穏やかで優しい面立ちの仲間達が集まる時間。
交わす言葉は少なくとも、ただ近くにいると感じられるだけで心が温かくなってくる。
そんな中で青桐も楽しそうに、かすかに憶えている針仕事の歌を口ずさみながら作業を進めていく。
「記憶はありませんけど、身体が覚えている事ってあるんですよね。……今日は皆さん、黙々と作業されていらっしゃる感じでしょうか」
「そんなことないわ。作業を楽しみながら勧めることも大切だけど、躓いた時には互いに助け合うことも大事だもの」
玄那が人形用のウィッグネットに髪を縫いつけながら穏やかに答える。
白綾もこくりと頷き、指人形藍紗の隣に指人形紅緒をちょこんと並べた。
「それぞれ得意なことが違いますからね。こうすればもっと綺麗にできますよ、とか……このやり方なら手早く仕上げられるとか……教え合ったり、時間がある時にはお手伝いしたりできますよね。息抜きにお喋りを愉しんだりとか。私もできるかぎり、お力添えします」
白綾はやはり真面目な女性だ。まっすぐなまなざしに仲間達は「そうだね」「うむ、そうじゃの」「当然っス」と返し、微笑みあう。
……この仲間同士のやわらかな空気に、アネットは「いいなあ」と不意に呟いた。それは単純な憧れではなく、どこか切なげな響がある。
そこでイサラが「どうしたんっスか?」と首を傾げれば、彼女はそっと目を伏せた。
「あの……皆さんにお聞かせするのは心苦しいのですが……」
「いやいや、気にせずっスよ。アネっちに何か抱えていることがあるなら、アタシ、相談に乗るっスよ。せっかくの縁っス……あ、その、話しづらいことなら無理強いしないっスけど。ただ、寂しそうなのが気になるっス」
両手を慌てて振った後、慎ましく肩を竦めるイサラ。
その心遣いにアネットは黙したまま、参加者の数だけ綺麗なカップを並べて紅茶を淹れた。
そして作業台を兼ねたテーブルにそれを並べると、椅子に座り――膝の上で拳をぎゅっと握る。
「あの……私、咎人として役に立てなくて。魂を拾ってくださった神様に恩返しをしたいと思いますし、いくつもの世界を守らないといけないことはわかってるんです。でも……戦いになると、すぐにやられちゃって」
この言葉に『ああ、なるほど』と侍衆の面々が顔を見合わせた。現在、邪神勢との戦いは激化の一途をたどっている。独自の動きを見せている強力な勢力もあり、咎人となったばかりの者が戦場に出るには危険な状況が増えているのだ。
もっとも、必ずしも死線を越えねばならないわけではないのだが……使命感を抱くことも善し悪しだ。
「それでですね、私……傷の手当てや距離をとって魔法で攻撃すればいいのかなって思ったんですけれど。でも力が足りないから、ここぞという時に同行してくださった皆さんの足を引っ張ってしまって……」
アネットの声音はひどく重い。しかしこのようなことは咎人にとって『よくあること』である。第一線で活躍している切れ者でさえ、強力な敵対者に狙われれば大きな傷を負うことがあるのだ。時には理不尽な力に苦しませられることもある。
それを実体験や神殿に纏められた報告書で学んでいる侍衆の乙女たちは紅茶のカップで針仕事で疲れた指先を温めながら口を開いた。
まずは白綾が顔を上げる。
「私はこの世界に来て、大きな存在に戦いを命ぜられるものが咎人と伺って……やはりここは無間地獄なのではないかと思っていました。ですが、此処には無限の生があり、様々なものがあります」
「様々なもの、ですか?」
「それは戦いのみではなく、美味しいものや楽しい事もあって、尊敬出来る人も沢山いらっしゃるということです。アネットさんのお姿を拝見していると、失礼かもしれませんが何時かの私自身の姿に重なります……私も同じように考えていました」
「白綾さんも昔はそうだったのですか?」
「生前は狩人でしたから、敵を仕留めることが役割だと思っていたのです。ですが、色々な事を経験して、自分自身を育てて行くのは戦いだけではないのだと気付きました」
そこで白綾は藍紗に柔かなまなざしを向ける。風流を感じていくこと、つまりは生の素晴らしさと幸せを教えてくれた師に感謝を込めて――。
「戦い以外で学んだ事が、主神の為になる事だってあるかもしれません。私は、アネットさんを応援します。戦いだけでなく、資源回収や……物拵えのお仕事もあります。アネットさんが望んで出来る事だって、きっと沢山ありますよ」
「資源回収やものづくり、ですか。私にできるでしょうか?」
「そのような依頼では、花の冠や刀を拵えた事もあるんですよ。花編みならアネットさんの得意分野なのではないでしょうか。それに全てをひとりでやるわけではありませんから……様々な考えを持つ方と交流することできっと道が拓けてくるはずですよ。そうですよね、師匠」
藍紗に問いかければ、しっかりとした頷きが返ってくる。
そこに小さな希望の火が灯った気がして、アネットは固く結んでいた唇を緩めた。
一方でウィッグ製作に励んでいた玄那は植毛用の太い針を一旦ソーイングボックスに戻すと、一言一言選びながら言葉を紡ぐ。
「あたしもこの世界に来て、色々忘れてしまっていて。でも、何かを作るという事に興味を持って、新しい何かを色々と学んでいるのよ。……あたしは一緒にいる皆の事すら思い出せていないの。あたしを朧げにでも覚えてくれている子だっているのに」
「玄那さん……」
玄那は『誰かからの想いにまっすぐに応えられないこと』に哀しみを抱いているのだろう。気に入りのドレスに小さく爪を立てる。
けれどそこで一旦目をぎゅっと瞑ると、凛とした表情でアネットを見つめた。
「だから新しい事をたくさんするのよ、たくさんするの。自分の心に触れる何かがあるかもしれないと思いながら……何かをした事で誰かがあたしの過去の姿を見付けてくれるかもしれないから。作る事は生み出す事だわ。生み出す事は何であれ、咎められる事ではないと思うのよ」
「咎められることでは、ない……」
「だってこれが許されない事なのだとしたら、今にでも雷が落ちているわ。アナタのお人形だって、きっとそう。誰かと誰かを繋ぐ縁の糸になるかもしれないと、そう思うの」
いつの間にか声に力が入っていたようだ。胸も熱くなった感覚に、玄那が「やれやれ、だわ」と自嘲的に笑う。
「いやね、長々と語ったりして。お年寄りになった気分ね。ふふふ」
しかしその胸のうちではほろ苦い想いがあった。
(今日あたしがドールを作ろうと思ったのは……あたしがいなくなった後のため。例えあたしが倒れても、仲間の誰かにこの子を見てもらえた時に思い出して貰えるかもしれないでしょう?)
玄那は戦闘能力に優れた咎人のひとりだ。
ゆえに戦場に出ればどのような運命が待ち受けているかわからない……けれど自分を憶えてくれる誰かには報いたいと思っている。
その想いの断片をやや憂いの帯びたまなざしから感じたのか、イサラは下唇を軽く噛むも敢えて満面の笑みを浮かべた。
「人形作りって、アタシがいつも撮ってる写真に似てる気がするっス」
「写真、ですか? イサラさんは写真撮影がお好きなのですね」
「そうっス。撮影でワイワイするのも好きっスけど、同時に『形に残す』ってとこが。写真は、咎人が経験するっていう死に戻りで記憶を失った時に、何かを思い出すキッカケになれば、って思ったのもあるんスよ」
「そういえば……私は運よく記憶を失わずに済んでいますけれど、大きな戦では魂まで傷つけられた方がいらっしゃると……本当なんですね」
「そうなんス。だから皆の道程を残すために写真を撮って、アルバムにして、時々仲間内で見て思い出を振り返ってるってワケで」
「……」
「アネッちが気を使って大事にこさえた人形も、何かあった時に役に立つかもしんないじゃねっスか。だって手作りなら尚更……可愛くて、忘れらんねーっス。絶対悪い事じゃねーっスよ」
イサラはそう言うと後は服を縫いつけるだけとなった自作のパペットの口をぱくぱく動かし、アネットの二の腕に甘噛みさせた。
「パペットって遊んでも楽しーっスよね! こうしてガブッて食い付いたり、心の声を喋らせたり。辛い時って本音をガチンコでぶつけんのは難しーっスけど、こういうのだったら笑って話せそうっス。この子は名付けて『イサラ2号』! 作るのに何度針を指に刺したか忘れたぐらい大変だったっスけど、もう少しで完成っス。絶対アタシに負けないぐらいお喋りになるっスよ」
あまりにもあっけらかんとした話しぶりだ。その様子に藍紗が「イサラなら何を隠すこともなかろうて」とくすっと笑う。
「私は写真撮影や記憶をものに写すというようなことはできぬが、感じたことを『歌』にしておる」
「歌というと、即興で音曲を作られるのですか? 凄い……!」
「いや、私の歌はより古典なものよ。限られた音で詩を詠む、とでも云うべきか。言の葉として、短けれども心に刻める歌……今の心を表すのならば……『みせだなに おもひつつみし たなごころ おもひおけども こころおきなく』というところじゃ。その掌で思いを込めて拵えたものを並べし店、心置きなく続けるが善しじゃ」
「私は人形店を続けていていい、と?」
「それを最終的に決めるのはアネット殿よ。しかし咎人の生は無限ではあるが、死よりの蘇りには忘却という難儀が付き纏う。その時に、此処で拵えた人形が何かを思い出す為の一助になるやもしれぬ。仮に思い出せずとも、記憶や生の証と成ろう」
「そう、ですね……今までここを訪ねてきてくださった方も思い出や気持ちを形にしたいという方が多い印象でした。きっと……それは何よりも大切なものなのでしょう」
「左様。確かにアネットの言う通り、此の手は主神に仇為すを討つ為のものであるやもしれぬ。じゃが――我等が我等たり得る為のものであっても良い筈じゃ。主神の命を護り、己という存在を己で護る為のものでもあるのではないかと思うのじゃ。咎人は主神に従うものなのやもしれぬ、じゃが、物拵えに勤しむアネットも否定されるものでは無い筈じゃ。悩む心を否定は出来ぬが、私は今の儘で良いと思うがの。ふふ」
藍紗の優しさにアネットが触れる……その時、不意に肩を震わせて涙を零した。
その様子に紅緒が慌てて、いたわるように優しい声を掛ける。
「あねっとが作るお人形、みんなかわいいし、きれいだし、素敵よ。あたしにはこういう技術がないから、すごいと思う」
「……ありがとうございます、紅緒さん」
「ねえ。これはね、あたしの想像なんだけど……咎人って、名前はあれだけど、歌が上手とか、何かを作る事ができるとか、色々な場面で色々な事ができるように、色々な人が集められたんだと思うの。あたしは難しい事はぜんぜん分からないし、他の人みたいに大したことは言えないけど……」
「そんなことは……」
「あたしね、あねっともすごいと思う。あたしが負けないのは、たくさん食べること位だし。でもね、ものを作る楽しさも覚えたの、色々なところで。だから今日のお人形作りも楽しい」
こう明るく言い放つと、紅緒は大輪の野花が花開くような笑みを浮かべて刺繍やフェルトを接ぎながら顔を作った2つのマスコットを掌に乗せてアネットに見せる。
それはイサラと同じく、指先を時折傷つけながらの作品だったけれど……確かな温かみがあった。
「ありがとうございます、紅緒さんのマスコットは人となりが出ているというか……ぬくもりがありますね」
「こちらこそありがと! でもまだまだこの子達に髪飾りとか拵えないといけないの。だからいっぱい教えてね!」
にっこり笑い、作業台にマスコットを並べる紅緒。そのやる気にアネットは「ええ、もちろんです」と笑みを返した。
そこで――それまで大人しくカップを傾けていた青桐も口を開いた。慎重に、それでいて長い黒髪の合間からアネットを労るように。
「この世界へは、記憶はおろか何一つ持たずに来てしまいましたからね。不安で不安で仕方なくて、異性に怯えたり人を完全に信じる事ができなかったりもして……何も持っていない上に、不安感や違和感がたくさんあって。本当にしんどかったんです」
「それは……」
「ですが……ですが紅緒さん達に出会って、ステラさんやゼハイルさんといった人達に出会わせて貰って……色々なものを新たに手に入れる事ができて、不安感も薄れて来たんです。ほら、今日だって、可愛らしいお人形を手に入れる事ができました。ワタシにとっては、小さなお人形も大きな何かの一つです」
先程とはうってかわり、青桐が得意気な顔で作業台の上に仮衣を纏わせた紅緒人形を座らせる。
髪は刺繍糸で作ったため胸下で揺れているが、今日中には結い上げられ、明日中には着物をあわせることもできるだろう。
そんな青桐は悪戯めいた笑みを浮かべると指を立ててみせた。
「今はですね、誰かにゴチャゴチャ文句言われたら『うるさいな!』って言っちゃいますよワタシ。今なら言えます」
ああ、青桐もひとりの心持つ存在として成長したのだろう。藍紗をはじめ仲間達が柔かな眼差しをなげかける。
それはアネットにとっても同じことで……自分なりの矜持を貫くこともまた正しいことと悟る機になったのだった。
――さて、それから数日後。
紅緒はステラ達のマスコットの他に藍紗の顔のマスコットを完成させてご満悦だった。
「ますこっと、できた! 間に合ってよかった! ねえ、かわいくできたわよね?」
「そうじゃの。何というか……自分の顔が細工物になっているのを見るのは嬉しくもあるが、ほんの少し恥ずかしいのう」
「だって藍紗があたしのぬいぐるみを作ってくれたお礼をしたいって思ったんだもの! そうだ、この次は、もうちょっと難しい人形に挑戦してみようかな?」
「それならばぬいぐるみなど作ってみるか? 私でよければ指南するぞ。侍屋敷に戻るまでに材料を揃えよう」
「うん! それにしても……藍紗が作ったぬいぐるみ、本当にきれいよね。抱き心地もいいし」
「うむ……此の紅緒人形が有れば、此の先で何が有ろうとも必ずや思い出すからのう、力も無意識に入るというものじゃ」
――実はビスクドールという選択肢もあったのだけれど、敢えてぬいぐるみにしたのは添い寝をしたいから。
そんな裏事情を隠し、藍紗は紅緒人形を左腕でひしと抱く。
白綾も仲間の姿をひと揃えした指人形に満足した様子だ。
「可愛らしく作る事が出来ました。アネットさんのおかげです」
「そんなことは決して……白綾さんのご友人への想いが成した作品ですから」
アネットが微笑めば、白綾も僅かにまなざしを和らげる。互いに道半ば、なればこそ新しい幸せに手を伸ばすこともできるだろうと。
一方で玄那はアネットに「いざ完成してみると、少し気恥ずかしいような……似ている、かしら?」と完成したビスクドールを見せていた。
デザインは玄那自らによるもの。
彼女のこだわりがどことなく大人びた美しさを湛えたドールの完成に繋がったのだが、ヒトの心を見透かすようなオブシディアンのドールアイに吸い込まれてしまいそうな気分になる。
けれど。
「素敵な作品ですよ。玄那さんらしい、優しくてまっすぐな心がお顔に表れています」
そう言われると、頬が赤くなってしまうもので……玄那は早口で次回の開催をリクエストした。
「一度と言わず二度三度と開催して欲しいわ。開催して欲しいのよ。きっともっとたくさんのヒトが来ると思うの。思い出を形にしたいヒトは少なくないから……きっと、多いのよ」
「ありがとうございます。今後、依頼の予定を立てる時に計画してみますね」
どうやら前向きになったようだ。玄那はほっと胸を撫でおろすと、自分のドールの頭をふわっと撫でた。
そんな中、イサラが首から下げたカメラを構える。
「人形大集合っスね! 壮観っス! こーいうのも楽しくていーっスね! ささ、ここは作業台に並べて皆で記念撮影するっスよ。アネっちも一緒に!」
早速全員で――パシャリ。
画像を確認したイサラが「後で焼き増しして皆に配るっスね」と言うと、続けざま「何かあった時は、アタシらも手助けするっスよ! アネっち!」と宣言した。
このあたかな光景の中で青桐が呟く。
「こうやって、出会いを形にしていくというのは良いものですねえ」
記憶の中に留めておくことも幸せ、でも傍に記憶の断片となる宝物を置くことも幸せ。
皆の笑顔が見られてよかったと青桐もまた、黒髪に隠された顔をくしゃっと笑ませるのだった。
翠鈴(ma1446)はアネットからワークショップのチラシを受け取ると、大きな瞳を丸くさせてじいっと見入った。
「マスコットにぬいぐるみ、人形……色々作れるって、マジ?」
「ええ、私のアトリエにある素材で作れるものなら何でも。デザインに応じて布を染めたり粘土を混色したりもできますよ」
「わっ、それなら何だってできちゃうってことだよねっ! それなら参加決定、お邪魔しちゃうっ。やっほー! ジェードでーっす! アネットさんヨロシクねー!」
翠鈴の性格は至って明朗快活、楽しそうと思ったことには一も二もなく挑戦する女性だ。
その良い意味でシンプルな判断力にアネットは驚きながらも「こちらこそ、ぜひよろしくお願いします」と微笑みを浮かべた。
さてさて、アネットのアトリエには――既に先客がいた。以前から翠鈴と友情をはぐくんでいる子犬、ステラ・フローライトとフィー・フローレである。
ステラとフィーはフェルトに綿を詰め、互いの顔をモデルにしたマスコットを作っているようだ。その様子に翠鈴が目を輝かせる。
「スーちゃん(ステラちゃん)とフィーちゃんもいたー! モデル頼んでもいーい? アタシ、ふたりのぬいぬい作りたいのっ」
「わーい、じぇーどだー! じぇーどもおにんぎょうつくりにきたの? しかもすてらたちのぬいぬいなんててれちゃうの……うれしいけど!」
「ウフフ、ソレジャ私達ハオ礼ニ翠鈴ノマスコットモ作ロウカナ? 私達、小サイカラネ。フェルトノマスコットガ一番作リヤスイカナッテ思ッテ……後デ鎖ト輪ッカヲ付ケテ、キーホルダーニスルノヨ!」
「えっ、それホント!? 超うれしー、それじゃアタシも……あは、おしゃべりするけどさ、楽しく作って、ちゃんと完成させたーい!」
どうやら交渉成立したようだ。早速アネットがぬいぐるみ用の素材を詰め込んだ箱を翠鈴へと運んでくる。
「こちらにぬいぐるみ用のファー生地とさし鼻、さし目が入っています。刺繍でも目は作れますし、そちらの方が目の形の個性も出やすくなりますけれど……立体感はさし目の方がぷっくりした可愛さが出ますね。どうします?」
「んー……いきなり最初から難問っ! でもスーちゃんとフィーちゃんってよく見ると、ちょっと顔の雰囲気違うんだよね。スーちゃんはタヌキ顔でフィーちゃんはキツネ顔というか……刺繍の方が、目尻の雰囲気が出る……かな?」
「そうですね、さし目はその中間というかまん丸な形が主となっていますから。もし翠鈴さんが頑張ってくださるのなら、私もお手伝いします!」
アネットが刺繍用の針と糸を並べて拳を握る。ひとりなら難しくてもふたりならきっと――翠鈴はにっと笑うと「よろしくね、センセ」と裁縫道具へ手を伸ばした。
そんな翠鈴だが実をいうと、ぬいぐるみを作った記憶が全くない女性だ。アネットと協力してステラとフィーの型紙を作ったものの、子犬ならではの顔のパーツがなかなか再現できない。
「耳やマズルや指は鉗子を使って、丁寧に裏返してくださいね。そうすると綿を詰めた時に綺麗に仕上がりますよ」
「えっと、鉗子ってのはこの鋏みたいな奴だよねー? 挟んだ時に布を切ったりしない?」
「大丈夫です、刃先は丸いので切れません。ただ、ファーが抜けたり切れないように優しく丁寧に……時間はたっぷりありますからね」
アネットはそう助言しながら、皆が落ち着いて制作できるようにと飲みやすいハーブティーとクッキーを並べた。
そこで翠鈴がぽろりと本音を漏らす。
「ホントはさー、ジブンのお人形とかも一緒に作るのもいーかなって思ったんだけど。でも顔とか見えないからジブンのはムリっぽ! でもカワイーの作ってぎゅーってやりながら寝たらぐっすりいけそうだよねー?」
「そうですね、ぬいぐるみには心を落ち着ける効果がありますから」
「ふふっ、だよね! たださー、やっぱりアタシはぬいぬいとかジブンで作るのたぶん初めてみたい! 記憶ないってタイヘンだよねー?」
「そうなんですか……翠鈴さんも……」
「あっ、そんなに重く考えないでほしいんだよねっ。この世界のヒト、大体そんな感じらしいしさっ。それよりも……アネちゃんは作ってる時楽しい? アタシはすっごいたのしー!」
――いつの間にか翠鈴のぬいぐるみは素体が完成し、後は顔の刺繍と服を着せるだけとなっている。もっとも、刺繍も服の作成もそれぞれ難しいのだけれど。
「そう……ですね、私は可愛いもの、キレイなもの、不思議なものが好きで。それを自分で形にできることが幸せでした。今はその……御役目との間で、悩んでますけど」
「そっかー。でも難しく考える必要はないんじゃないかなー? やりたいことがあるってスゴいことなんだよー? 実はアタシさ、こーいうぬいぬいとかスキだけど、自分だけじゃ作れなかったよ。それに今までは記憶なくてテキトーに色々してるだけだったから、この時間がちょー楽しい! そしてこの楽しみが今、新しい『やりたいこと』になってる。それってすごいことじゃない!?」
「それは……! ありがとうございます」
「何よりこのぬいぬいズってばヤバい! アタシってばけっこーできてない? イケてるでしょ? ねっ、ねっ!」
活き活きした表情でぬいぐるみを抱き上げ、得意気に笑う翠鈴。そして顔の刺繍をアネットとの共同作業で終え、服を着せると……最高の笑顔を見せた。
「アタシとしては200点まんてん! ひとつ100点で合わせて200点! やっぱり今度はジブンのぬいぬい作ってみたいなー? また来るね!」
ステラとフィーと手作りのキーホルダーを交換して、軽い足取りでアトリエから去っていく翠鈴。
当然、彼女の小脇には可愛らしい子犬のぬいぐるみが抱えられていて……アネットは「また是非いらしてください! 翠鈴さん!」と叫ぶと入口の前でそっと指を組んだ。
●
魅朱(ma0599)と唯塚 あまぎ(ma0059)が幼体パジャモの『すあま』と『ギン』を連れてそぞろ歩いていたところ、アネットがワークショップの勧誘に歩み寄ってきた。
そこでどうしようかと顔を見合わせる魅朱とあまぎ。しかし小さなパジャモ達はすっかり心が定まっていたようで……。
「じゃもじゃもぱじゃじゃ、じゃももー!」
白い羽毛の中に鮮やかな青い羽が際立つギンが主とすあまの顔を一瞬振り返りながら甲高く嘶き、アトリエに突撃していく。その様は『ぼく、すあま人形がほしい。いくぞー!』と背中で語っているようだ。
すると魅朱のすあまも「がー」と甘えるように主を見上げる。ちらちらと、ギンの背中を目を負っているあたり『ままー。ぼくも、あにきぶんとおそろいの、ほしいー』と言いたいのかもしれない。そして間をおかずして、すあまもギンの後を追ってちょろちょろ駆け出した。
ならば放っておくわけにもいくまい。
あまぎが「おい、ギン、すあま、待て」と言いながらまるで幼子を追う父親のようにアトリエに駆けこんでいく一方で、魅朱は「アネット……今日は、お世話になります……」と母親のような面持ちで一礼するのだった。
さて、アトリエにふたりが足を踏み入れたところで――おや、と揃って足を止めた。ギンとすあまが羊毛フェルトで作ったマスコットや壁掛けに見惚れているのだ。
(なるほど……ギンは弟分が幼体白パジャモのリュックやぬいぐるみとか持っているからな。前から「お揃い」をやりたかったんだろう)
あまぎがギンとすあまを両手で抱きかかえ、「こういうのがいいのか?」と尋ねると、ギンはマスコットの方を見つめてこくこくと頷いた。すあまも兄貴分に倣い、翼をぱたぱたとマスコットへ向ける。
そのいとけない動きに魅朱はくすりと微笑んだ。
(以前……私が夜なべして作ったギンちゃん人形があるのだけれど……お揃いの人形が欲しくなったのね……? それだけギンちゃんのことを慕っているのね……)
そこであまぎが「……羊毛フェルトだったかな、こういう毛玉を作るときは」と呟くと、魅朱は「そうだね……すあまもギンちゃんも羽の色に移り変わりがあるから……ファーで一色になってしまうぬいぐるみより、羊毛で丁寧に作った方がいいかも……?」と唇に指を押し当てた。
そこで早速アネットに羊毛フェルトの作り方を教わることにするふたり。
羊毛フェルトとは染色した羊毛をフェルティングニードルという針で絡め、形を成形していく手芸である。
そこであまぎはすあまを手招きすると、すあまは『ぼくをよくみてねー』と言いたげに、モデル気分でしゃきーんと丸いボディの背筋を正した。
何しろすあまは濃茶一色ではなく羽の一部にやわらかな桃色が差し色のように入っている個性派パジャモなのである。
(ん……すあまは普通の黒パジャモとは色が違うからな……)
あまぎはそう考えながら、すあまの頭や羽にフェルトを翳したりしては本物に近い色をいくつか選別していった。ギンのおねだりに付き合ってやろうという温かい気持ちが彼にそうさせるのだろう。
一方で魅朱もギンのマスコットを作るべく、フェルトの色選びを終えるとマスコットの表情を作るべくスケッチを行った。
そこで思い浮かぶのは――やはりギンの子供らしいやんちゃな顔で。
(…………。頭いっぱいに、ギンちゃんのドヤ顔が浮かんでくる……)
真っ白な紙にさらさらと描かれるのは、得意気に笑うギンの顔。それをベースにフェルトを裁断し、パーツを並べるとギンは満足そうに嘴をほこっと開いた。
そんな中、材料を選び終わったあまぎはすあまの頭を一撫ですると「もう大丈夫だ、楽にしていい」とやわらかな声をかけた。途端にぺたんと腰を下ろし、両の翼を広げるすあま。
その様子を眺めつつ、あまぎは魅朱の隣の席に座るとさりげなく恋人のやわらかな髪を一撫でした。
このささやかな悪戯めいた愛情表現に、作業への没頭していた魅朱は慌ててきょろきょろと周囲を見回し「……? 今……何か、した……?」と問うも、あまぎは口元を緩めるだけ。早速マットの上にフェルトとニードルを並べたケースを置き、作業に没頭し始める。
その作業の間、あまぎは真剣そのものだった。掌大になるだけのフェルトを手に取ると、くるくると巻き、黙して針を刺し始める。
(俺はこういう手作業となると……何かと意外と思われがちだが、慣れている。基本はバランスが崩れぬよう、全体を纏めよう。原料は羊毛だからな。完全に形が定まるまでは指でもある程度調整はできる。そうだ、何から何まで小難しく考える必要はない。ただ無心に形を理想に近づけていくだけだ……)
あまぎの心は既に静寂の世界に踏み入っていた。どこまでも穏やかで、それでいて真実に対して誠実であり続ける世界。ものづくりとはそういうものなのだろう。
魅朱もそんな彼の職人めいた仕事ぶりに「すごいね……あまぎ……私も頑張ろう……」と呟くと、既に作り上げたギンのボディに翼となるフェルトを針で固定し始めた。
(一針一針丁寧に……大好きな相手を思う形って、何時も傍にいるような気持ちになるから……安心するよね)
もしこれで上等のフェルトマスコットが完成したら、ギンもすあまもあまぎも喜んでくれるだろうか。願いが叶うように祈りながら、針を打ち続ける。
そして互いにマスコットが完成したその時――ころんと主の掌の上で転がる義兄弟にすぐさまギンとすあまが抱き着いた!
「じゃも!」
「がー、ががー」
鳴き声の意味こそわからないが、どうやらお気に召したらしい。弟分や兄貴分の分身を翼で撫でたり、頬ずりしている様から既に愛着が生まれていることが明らかだ。
「よし、終わり。すあま人形、気に入ったか?」
「じゃもじゃも、じゃじゃもー!」
ギンはすあま人形と何度もジャンプした。どうやら主に感謝の意を伝えたいようだ。
すあまもギン人形の翼と自分の翼を繋ぎ、ご機嫌の様子。もっともギン人形は飛行できないのだけれど、ふとした時の寂しさを癒してくれる良き相棒になってくれるだろう。
この結果にアネットは満足した様子で「もし他にも大切なお友達のドールが必要になりましたらいつでもお声をかけてくださいね」と朗らかに告げた。
だがそこで――魅朱が「あの……もうひとつ、教えてもらいたいことがあるのだけれど……」と控えめに願い出る。
それはビスクドールの製作方法を教えてほしいというものだった。
「ビスクドール、ですか? それはもちろん喜んで対応させていただきますけれども、作品のイメージはどのような感じでしょうか。アンティーク調から、今風の華奢でディフォルメされた意匠までありますけれど」
「それが……ね……ちょっと変わった話、かもしれないんだけど……」
魅朱が言葉を濁しつつ、スケッチブックに描いたドールのデザインはどこか魅朱に似た雰囲気のある少女だった。
アッシュピンクの髪をカントリースタイルのホーステールに纏め、赤い尖晶石の円らな瞳が印象的な人物。猫耳フードを被っているあたり、可愛らしいものを愛する無邪気な人物なのかもしれない。
「あの、ね……最近……夢に見る女の子なの……。笑顔が眩しくて……幸せそう、で……。どうしてこの子を遺そうと思ったのか、わからない……。けど……他人じゃないような、気がして……」
「魅朱さんはこの女の子を形にしたい、傍にいてほしいと思ったのですよね? それはきっと、魅朱さんにとって大事なヒトなんですよ。失いたくないから、ヒトは思い出を絵や文章にする……人形だってきっと、そう。協力させてください、私にも」
道端で勧誘活動していた頃の弱気だったアネットのまなざしは、今に至って強いものとなっていた。それは魅朱の願いを叶えたいと思っていたから。
そこでそれまで幼いパジャモ達の世話をしていたあまぎが振り返りざまに袖捲りをする。
「たしかビスクドールは泥漿という粘土を焼いて作るんだったな。石膏に注いだ後の作業は経験者でなければ難しいと聞くが、泥漿の攪拌作業なら俺でもできるだろう」
「あまぎ、手伝ってくれるの……?」
「夢に出てくる人物なら何らかの縁があるのかもしれない。それを形にすることで魅朱が穏やかな気持ちになるのならそれが一番だ」
「……ありがとう、あまぎ……」
それからの作業はとかく忙しいものだった。
何しろ既製品の石膏型では魅朱の求めるドールと面立ちが全く異なるため、アネットが一旦スケッチをもとに石膏型を作成。
この型にあまぎ手製の泥漿を注ぎ、型抜きしたパーツに柔らかさが残っているうちに目や耳、関節部などに穴を空け、陰干しをする。
もっとも陰干しには数日を要する。その間に魅朱とあまぎは依頼をこなし、ついに本格的に火を通す日がやってきた。
「ね、あまぎ……ドールに着せる服、作ってきたの……。これですぐに家にお迎えできるねって思って……」
「これも夢で見た服、か。不思議なものだな、ここまで細かく印象に残るとは」
「ん……どうしてなのかはわからないけど……でもね、あの子にはずっと幸せに笑っていてほしいって思ってたから……だから、今日がとても楽しみだった……」
顔をほんのり赤く染めて、アネットのアトリエに向かう魅朱達。そこでは既に窯から素焼き後のドールを取り出したアネットの姿があった。
「大丈夫だった……? アネット……」
「ええ、この通り模様や亀裂が入ることなく綺麗なお嬢さんに仕上がっていますよ。あとはクリンナップという作業があります。粉が舞うのでマスクをつけて頑張りましょうね!」
早速研磨と目の周りなど穴となる部分の仕上げに取り掛かるあまぎと魅朱。
続けて本焼き後にアネットの指導のもとふたりでメイクを施し、睫毛やグラスアイを嵌め、ウィッグやボディをセッティングすれば……愛くるしい少女人形が作業台の上に慎ましく座した。
そして最後に魅朱のハンドメイドドレスを着せると、夢の中で微笑んでいた少女が魅朱に笑いかけるように顎をかくん、と上に上げる!
「……あ……!」
その時――ぽろっと、魅朱の頬へ涙が零れ落ちた。その理由はわからないけれど、自分の中に何か温かいものがすとんと降りてきたような……そんな気がしたのだ。
「どうした、魅朱」
「わ……わかんない……でも、嫌な気分じゃないの……。なんか、なんかね……自分の中でいなくなっていた部分が、帰ってきたような……そんな、懐かしい感じがして……」
魅朱はそう言うと自分もまたこの人形のように笑っていることに気がついた。
その姿にアネットは思う。もしかしたら今の自分の役目は、咎人が失ってしまったものに手を伸ばすためのきっかけをつくることなのかもしれないと。
一方で魅朱はあまぎと幼いパジャモ達を連れて帰途につくさなか……鞄の中で座らせた小さな友達に心の中で語り掛けた。
(この子は誰かの……幸せの形だったのかな……私も誰かの……幸せの形に、なれたら……)
大切な誰かを幸せにしたい、傍にいることで幸せを分かち合いたい。そう思うことは我儘? それとも……。
魅朱はあまぎの手をそっと握ると「今日は、良かったな」と返してくれる彼に笑顔で頷いた。
●
ワークショップの勧誘を受けたアルマ(ma0638)は、チラシに目を通すと丁度居合わせたフリーデリーケ・カレンベルクことフリーデに向けて目を輝かせた。
「わふ、わふーっ。フリーデさん、いっしょにやるです!」
「人形づくりを、か?」
「です! ぬいぬい、つくるです? きっとたのしーです! わふ! おしゃべりしながら、たのしくつくりましょー」
「そうだな、お前となら賑やかに手作業を楽しめるだろうな。……アネットといったか、よろしく頼む」
この挨拶にあわせてアルマが自慢のハットを脱ぎ一礼すると、アネットは「こ、こちらこそ!」と顔を真っ赤にしてアトリエにふたりを案内した。
さて、何を作ろうか……フリーデは展示されている品々を見回し、小首を傾げる。するとアルマがフェルトに綿を詰めた可愛らしいマスコット付きキーホルダーを差し出す。
「あのですね、ぼくはますこっとをつくりたいです! いちばんがんじょうそうで、きっともちあるいてもだいじょうぶなのです!」
「ふむ……確かに。木像や陶製の人形は持ち歩けぬしな……それでは、裁縫の時間としようか」
「はいです! いっしょにちくちくするですよー!」
わふふ、と子犬のように笑い早速張り切って作業を始めるアルマ。
とはいえ体が小さいため台の上に座布団を敷き、フリーデと向き合っての作業となった。しかしこの状況にもご満悦の様子。
「えっと、まずはかたがみをつくるです! おからだのべーすをつくってから、それにかみのけやおかお、ふくをかさねてぬいつけるですよ」
「ああ、必要な分の生地を切り抜いたら、綿が抜けないように縁をブランケットステッチで縫うのだったか」
「そうですー。でもはりにはごちゅーいですっ。なくしたらあぶないです!」
常人にとっては些細なサイズの針でも、扱いを誤れば凶器となる。ましてや小さなアルマだからこそ、その針先は危険なものと認識できるのだろう。
その真剣さはまるで初めて針仕事に挑戦する娘に対する親のようでもあり、フリーデは「わかった、わかった。十分に心しよう」とアルマの頭を何度も撫でてから針に触れる。
一方でアルマは型紙を作り、布を裁断するための大鋏を全身で操りながらフェルトを裁断していく。
(むむ、ぬいぬいをつくるのはいがいとむずかしーです。でもがんばりますです。ただ……ぼくは『ぎし』ですが、きかいのあつかいとはまたちがうやつですよ……ぐぬ!)
ようやく裁断を終えるや、えいやっと針に糸を通し、小さな手で糸の流れを調整しながら生地を縫い付けるアルマ。その様子をフリーデが感心したように見守る。
「なるほど、小さな指だからこそ糸を堅実に手繰り寄せてあるべき形へ近づけるのだな。私も集中してやってみるか」
「わふ、でもいきぬきはだいじです。ぼく、ずっとこれをつづけてたらきっとばったりです。だからたのしくおしゃべりもするですよー。わぉん。たたかいのなかでも、こーいうのこそ、だいじですっ」
「……そうだな。どんな状況でも、本当の心を見失ってはいけないな」
フリーデはそう応えると、アルマに近況を尋ねながら針を動かす。
それは依頼の話であったり、家族や友達の話であったり、ささやかな笑い話や不思議な出来事の報告だったりと……本当に他愛のない話の積み重ね。
でもそれができるという幸せに、アルマはほんの少し大人びた笑みを浮かべる。
(よかったです。きっとフリーデさん、こーゆーのもおすきかとおもいまして……いままでせんじょうでがんばってましたもん。たまにはこういうおじかんもひつようです。みんなずっとたたかってばっかりだと、いきがつまっちゃうです!)
アルマは普段は無邪気な子犬のような精霊を装っているが、本心では数多の世界の危機を悟っている。
しかし厳しい現実ばかりに心が呑み込まれては、咎人がただの戦争のための道具になってしまうことをアルマは知っている。ゆえにフリーデの心を日常に繋ぐため、このワークショップへの参加を決めたのだ。
どうか彼女が人間でありつづけるようにと、紡ぐ糸に願いを託して……。
そして。
「えっと、さいごはここでたまどめをして……っと。これでぼくのはかんせいです!」
ちょきん――アルマが糸切鋏でマスコットの帽子を飾るリボンの処理を終え、キーホルダーの金具を取り付ける。
ほぼ同時にフリーデも作品を作り終えたようで、レースをマスコットに巻き付けるや青いリボンで飾り付けた。
その様子を見上げるアルマは(フリーデさん、なにをつくったんでしょう……?)と目をきょとんとさせるも、すぐに満面の笑みを浮かべて自慢の作品を差し出す。
「わぅっ。フリーデさん、あげますですっ。もっててほしーです!」
「私に、だと?」
普段は鋭い目を珍しく丸くするフリーデ。何故ならそれはデフォルメしたアルマの姿をした小さな人形だったからだ。
「わふふ。ぼく、フリーデさんのことだいすきですので!」
「それは……嬉しいが、私なんかでいいのか?」
「フリーデさんだからこそ、です! それにぼくはだいたいおたすけマスコットですが、ごいっしょできないこともありますですので……そういうときは、これをぼくだとおもってくださいですー。ついでにぼくのこともだっこするとよいです!」
なんだろう、まるで小さな弟のように思っていたのにこれでは……自分を守ってくれる騎士のようではないか。
フリーデは自分の中にこみ上げてくる奇妙な感情に目を潤ませると、アルマに自作のフェルトフラワーを抱かせた。
「あおい、ばらのはなたば……?」
「青い薔薇は過去に不可能と言われていたそうだ。しかし諦めなくば夢は叶うと……今は奇跡や、神の祝福を表す花となっている。お前の旅の道程もそうあれかしと……」
「……! ありがとうございます、フリーデさんっ! でもそのみちはぼくだけじゃだめですよ。フリーデさんと、ぼくと、みんなであるくみちですっ!」
まあるい顔をくしゃくしゃにして、フリーデに抱き着くアルマ。フリーデもまた、そんな彼を『失いたくない』と強く感じていた。
●
いつもは異世界探求に励んでいる黒鷹(ma1460)が天獄界に戻ってきた時、アネットが配布しているチラシを拾い――ふと、足を止めた。
異世界の文化に触れるのも面白いが、原点回帰とでもいうべきか……時には咎人と純粋に交流するのも楽しかろう。
そこで彼はアトリエに向かうと早速ワークショップへの参加を申し込んだ。
「今日は宜しく、アネット嬢。黒鷹というものだよ」
「こちらこそよろしくお願いします、楽しんでいっていただけると嬉しいです」
アネットは些か緊張しているようだ。しかし黒鷹は興味津々といった様子で棚に展示された人形達を眺めていく。
「人形作り……か。色々な人形があって迷うね。技量と相談もしないといけないかな」
「あっ、それは大丈夫です。まずはご自身が作りたい作品第一で。慣れが必要な部分は私がお手伝いしますので」
「それは助かるね。でもできるだけ自分で挑戦してみたいという気持ちもあるんだ。そうだな……至らない点があったら教えてもらえると助かるよ」
そう言って黒鷹が隻眼を優しげに細めると、アネットは安心したように肩を撫でおろした。
きっとこのヒトは旅だけではなく様々な体験を楽しんでいたのだろうと。
そこで早速角材と木彫り用のナイフセットを卓上に並べたアネットは、黒鷹に何を作りたいのかを尋ねた。すると彼は少しの間だけ目を瞑り、作業台の上に指を滑らせる。
「そうだね……この世界に来てから縁のできた子供達がいる。その子達の姿を木像にしてみたい」
「まあ、素敵ですね! それでは簡単に形をスケッチして、それを角材に写していきましょう。様々な角度の絵をお願いします」
「了解。どこまで現実の形にできるか……楽しみだ」
すぐさまスケッチブックにさらさらとステラとフィーの姿を描いていく黒鷹。するとアネットが「あら」と口に手を当てた。
「何か?」
「いえ、このお子さんたち……以前、ワークショップでフェルトマスコットを作っていった参加者さんにそっくりだったので」
「そうなのか。……そうだな、あの子達は好奇心が強いから。会えなかったのは残念だが、アネット嬢と既に縁があるのなら心強い」
きっとふたりの無邪気な表情を知っているだろうから――黒鷹はそう胸のうちで呟きつつ、アネットの指導のもと角材に絵を写していく。
そこからの作業は順調そのものだった。黒鷹は木工に造詣が深く、ノミで大胆に木を削り取る時にも迷いがない。
むしろ彫刻用のナイフを動かしながら自然と歌を口ずさんでいた。
(何だろうな……不思議だ。このように木へ腕を振るう自分に違和感を覚えない。もしかしたら過去に関わっていたのかもしれないな。そう思うと、この作業に深みを感じる。もしかしたら他の経験も重ねることで、過去の自分に近づくことができるのかもしれないな)
しみじみと想いを巡らせながらも、彼の手は止まらない。アネットはそんな黒鷹の様子に驚きながら、せめて一息つけるようにと茶を淹れた。
すると――黒鷹がおもむろにアネットへ言葉を紡ぎ始める。
「ところでこの人形に色は付けるべきか、そのままか……悩むね、どうだろう?」
「そう、ですね……ステラさんもフィーさんも可愛らしい体つきですので、木目のやわらかい雰囲気を活かして着色なしというのもいいと思います。でもお洋服の愛らしい色遣いや、毛並みの艶やかさを際立たせるために色をつけるのもいいですね」
「そうだね……本当に、悩みどころだ。存在の魅せ方というものは、ただひとつに限られたものではないからね」
そう言うと彼はナイフをケースに戻し、アネットへ視線を投げかける。
「自分もこの世界に来たばかりで、暢気に世界を歩いて回っている身でね。少しアネット嬢と似て……いや、何かを生み出していない分、かなり出遅れているかな。でも、気持ちは解る気がするよ。焦燥も、懊悩も」
「でも、私は……黒鷹さんのようには……」
「なに、戦場ばかりが咎人の生きる場所ではないさ。自分は過去に菓子を集める、資源回収という仕事もしたんだよ。色々あるね」
「お菓子を集める? 楽しそうな依頼ですね」
「つまり依頼とは神のために戦うものばかりではないということだよ。自分の力が活かせそうな分野、やりたいことから始めればいい。やがて自信がついた時に誰かのために力を揮うのも選択肢に入る……そういうものさ」
黒鷹は紅茶を一杯呷ると、穏やかに笑った。きっと『あの子たち』もそうだからと呟いて。
「でも、元気なステラ嬢達を見ていると、気が楽になる。続けていれば、何かに出会う、今日という日のように。だから頑張って続けて行くと良いのではないかな……いつか、それが自分にとっての道標になるかもしれない。偉そうに何かを語る前に、自分も道標を見付けないといけないのだけれど」
この言葉を受けたアネットの目尻には涙が溜まっていた。
きっと行き所のなかった心の在処が見つかったのだろう。膝の上に置いた手に涙がぽろぽろと落ちていく。
そこで黒鷹はハンカチを手渡した後、密やかに制作していた人形を差し出した。
腰に彫刻道具を挿したベルトを巻き、左手で布、右手で針を持った芸術の天女像だ。
「これはきみという存在を表現したものだ。専門家の作品と比べれば拙いだろうけれども……良かったら今日の礼として受け取ってほしい。自分が人形師を謳うにはまだまだだけれど、今日は楽しかったよ。お互い、これからも頑張ろう」
「ええ、ええ! このお人形、ずっと大切にしますね。来てくださって、本当にありがとうございます!」
何度も黒鷹に感謝の言葉を口にするアネット。そこで黒鷹少し考える素振りを見せると、「ああ」と何かを思いついたようで口を開いた。
「そうだ、その内、人形師というロールだって生まれるかもしれないね。今まで踊りや歌といった文化がロールとして開花しているんだ。人形だって誰かを守る為の力になるかもしれない。だからきみの愛する力を捨ててはいけないよ、これからも大事にね」
そうだ、この世界はあらゆる奇跡を現実にしている。何でもできる世界なら、きっと。
黒鷹がアトリエのドアを開いた時、雲ひとつない青空がふたりの顔を明るく照らしていた。
●
麻生 遊夜(ma0279)と鈴鳴 響(ma0317)がアネットのアトリエを訪れたのは、彼らが何年連れ添うとも愛情薄れぬ恋人たちだったからである。
ワークショップのチラシを見た響が「……ん、面白そう……ぬいぐるみなら、ボクでも作れそう?」と首を傾げたのをきっかけに、生前子供達を相手に手芸作品や手作りの玩具を送っていた遊夜も創作活動への意欲が再燃。
「生前の作品は全部我流だったからなぁ……正式な知識を仕入れておくのも良かろう。よし、せっかくだからビスクドールの指導して貰おう、ガチンコの!」
「……ん、ビスクドール?」
「ああ、陶器の肌の人形だから仕上がりに艶があるんだ。ほら、西洋の屋敷に飾られているような……」
こう解説しながらも、胸のうちではビスクドールに機械を仕込んでみたいなあとも思う遊夜。
彼は現実に生前、木製ながら合体変形まで可能としたロボットを作り上げている覚えがある。それは男性……いや、心の中に男の子がいるからこその浪漫なのだ。
とはいえ郷に入っては郷に従え。ましてや割れ物であるビスクドールには無理はさせられまい。アネットに教えを請うた遊夜は白紙に向かいながら響の顔をじいっと見つめた。
「……ん、ねえ? ……ユーヤはどんなドールを作るの?」
「そういう響はどうするんだ? ぬいぐるみといっても色々あるだろう、動物とかキャラクターとか」
何ともなしに問い返してみる。すると響は見せつけるように自分用の生地を遊夜の前に広げ、クスクスと笑った。
「……ん、生地に黒い布が多いから本当はわかっているんじゃない? ……モデルはユーヤ……カッコよく作る、乞うご期待……クスクス。……抱きやすい大きさで、ニヒルな感じの笑みを浮かべたのを作りたい……」
「俺がモデル? ふむ、なら俺も響をモデルにするか……初めてだからこそ、慎重に気合を入れて創れるものだしな」
何となくイメージはしていたものの、互いに嫌悪感はなく安堵。響の髪を優しく撫でた遊夜は早速、ビスクドール製作の教本を読みながらアネットに指導を受ける。
そこで素体は遊夜が、ウィッグやグラスアイなど製作に専門的な技術を要するパーツをアネットが担当することで流れが決まった。
「暗記には自信があってな、一度手掛けてみればコツまで掴めるだろう。例え失敗しても糧にしてみせる」
愛しい響を模した人形だ、例えトライ&エラーを重ねようとも最高のものを作ってみせると遊夜は張り切ってジャケットを脱ぐ。まず目指すのは石膏型の成形だ。
一方で響は針に糸を通し、アネットと相談したうえで作った型紙どおり切り抜いた布の前で小さく唸った。
(……ユーヤに作って貰った事はあるけど自分で作ったことはない。……でもユーヤがいるし、先生もいるから大丈夫……だよね? ……人並みに器用なつもりだし、あとは直感で何とかなるかな? ……がんばろ)
彼女はぬいぐるみの素体を鋭敏視覚でしっかり確認し、まずは顔の刺繍を開始する。
とはいえシンプルなストレートステッチと異なり、唇など目立つ線を表現するチェーンステッチやバリオンステッチ、頬のほのかな赤みを表現するために面を繕うロング・アンド・ショートステッチなど、ほぼ初心者の響にとっては難しいと思うものが教本に並んでいる。
そこでうーん、と眉間に小さく皺を寄せると、遊夜が「お」と声を漏らした。
「どうした?」
「……えと、この鼻の部分……少し立体的に見せたいんだけど、まっすぐ縫うだけじゃ綺麗にできなくて……」
「ああ、ここはこうすると良い。うむ、上手いぞ。なあ、アネット先生?」
手芸上手の遊夜の手ほどきでまずはひとつ技術をマスターした響。その頑張りにアネットも嬉しそうに手を叩く。
「そうですね、本当に! それでは次はこの部分を縫ってみましょうか。針はこうして持って、気持ちはリラックスさせて……」
「……ん、あれ? ……先生……ここ、上手く行かない」
「あ、そこは先に作った縫い目に引っ掛けるんですよ。そうすれば綺麗な縫い目に仕上がります」
「……ん、本当……出来た……ね、ユーヤ見てみて」
響が遊夜とアネットから裁縫のいろはを学ぶたび、可愛らしい遊夜ぬいぐるみの表情が生き生きとしていく。それがただ嬉しくて、遊夜は時に手取り足取りで響の手芸体験を応援するのだった。
その間にもモデル確認と称して、遊夜とお喋りを楽しんだり動きを見つめたりするのはパートナーの特権。
ましてや遊夜は戦場で盾役を務めることが多い立派な体躯の男だ。肩幅をやや広く足腰もがっしりとさせた型紙のため、布の裁断前に無理なくポージングできるように調整していく。
(……ん、これぐらいがっちりしてるとユーヤって感じがする。……でも顔や肩回りはぬいぐるみっぽく丸くして……クス、かっこいいけどちっちゃいユーヤって感じだね……)
後は素体に綿を詰め、髪の毛や服のパーツを縫い付けていくだけだ。
そんな中、ビスクドール響の石膏型が乾き、泥漿を注ぐ流れとなった。
実はこの泥漿の量の調節と乾燥具合が後に強く影響する。何しろ人形の肌そのものであるため、量を誤れば割れやすくなったり望まぬ形で奇妙な紋様が入ってしまうのだ。そのため遊夜は一旦石膏型を泥漿で満たすと深くため息を吐いた。
「どれぐらい待てばいいのかな?」
「この時期は乾燥していますから数分で大丈夫です。泥漿は型に数ミリ程度残れば十分ですので」
「わかった。ところで排出した泥漿はどうすればいい?」
「排出したものはとっておきますよ。石膏型から外す時、お人形の顔はまだ少し柔らかいんです。その際に擦って傷つけてしまうこともあるので、小さな傷を直す時に役に立つんです。あと、お人形の顔で手直ししたい部分があればその時にも使いますね」
「なるほど……それにしても先生は人形のこととなると楽しそうに話すんだな。やはり転職ということか」
「……うう、私はこれぐらいしかできないので……皆さんのように悪者退治とか、人命救助とか、うまくできないので、これぐらいは……」
「ああ、いや。別に悪い意味で言ったんじゃないって。な、響。俺は過去に孤児を養っていたんだが、その時に人間は実利や使命だけでは生きていけないと学んだんだ。俺の作る他愛のない玩具でも子供達は喜び、大人になっても古びた玩具を抱いて幸せだと振り返ってくれた。先生が作る人形もそういう誰かの『大切』になるものだと思うぜ? 実際に俺が今作っている人形だって、俺と響にとっては宝物になるわけだしな」
遊夜はそう言うなり時計を見上げ、そろそろじゃないかとアネットに確認。途端にはっと顔を上げた彼女は急いで余分な泥漿を除くや、遊夜と響へ頬を真っ赤に染めて「ありがとうございます」と一礼した。
それからしばらくして、響は見事に遊夜ぬいぐるみを完成。ひとまず帰途に就く中、彼女は黒いスーツを着こなした小さい男前を抱きしめて満足そうに口元を吊り上げる。
「……ん、ふふっ……上手く縫えた、可愛い……次はボクの、作ろうかな?」
「おお、本当に良く縫えているな。不敵そうな顔をしているのが我ながら小憎らしいというか」
「……ん、クスクスっ……だって、強敵と戦う時ほどユーヤって頼れる顔になるもの……そういうの、かっこいいって思う」
「何を言ってるんだか……それにしても、今度は響のぬいぐるみも作るのか。やる気満々だな?」
「……ん……だって、ユーヤひとりじゃ寂しいもの。……ビスクドールも本当は対にしたいけど、ボクにはまだ難しいみたいだし。……だからぬいぐるみだけでも、一緒にしたい」
どうやら響も今日一日の体験は楽しかったようだ。遊夜と手を繋ぎながらも、左手ではしっかりとぬいぐるみを抱きしめている。
「……ん、ビスクドールの完成までは何日かかかるんでしょう? ……それなら競争、だね。……ボクがボクのぬいぐるみを完成させて、ユーヤのぬいぐるみの隣に並べるの。……その後ろにはビスクドール、きっと皆驚く……ふふっ」
全く、可愛いお姫さまだ。遊夜は響をいつものように背負うと、上機嫌で夕闇の街を歩いていった。
――それから数日。依頼の合間にふたりはアトリエに通い、ビスクドールの手入れやぬいぐるみの製作と忙しい日々を送っていた。
しかし遊夜と響の顔に疲労の色はない。こののどかな時間にこそヒトらしい幸せを感じているからだ。そして最終日……。
「さて、今日は塗料も乾いただろう。ドレスアップをさせて完成だな!」
これまで鋭敏視覚や物体透視といった能力をフル活用し、傷ひとつないようビスクドール響を製作してきた遊夜が満を持して鞄にドレスや髪飾り、靴といった手作りのアウトフィットを詰め込んでいく。
いつもの黒と赤の妖艶なドレスだけではなく、白とオレンジを基調とした爽やかなドレスも用意していることからも仕上がりが本当に楽しみなのだろう。
かたや響も自分そっくりのぬいぐるみを手にし、にっこりと笑った。
何しろ遊夜ぬいぐるみと響ぬいぐるみの手にはマジックテープが縫い付けられており、普段から手を繋げるようにしているのだ!
「……ん、ふふっ……並べて飾るの、楽しみだね……ユーヤ?」
「そうだな、家も掃除したから迎えの準備は万端だ。可愛がってやらないとな?」
「……ん、飾るならやっぱり……玄関? リビング?」
「そうだなあ……和式の家だから居間がいいかもしれないな。見ていると心が安らぐ、というか。玄関でも家族が出迎えてくれるようでいいだろうけれどな」
「……ん、それならお迎えした後に決めようか。……きっと居心地のいい場所っていうのもお人形にはあると思うから……」
そう言ってふたりのぬいぐるみの手をぎゅむっと握る響。小さなこの手が離れぬようにと願いながら。
そんな中、完成したビスクドールを手渡された遊夜は早速服を着付けし、その仕上がりに満足した。
「……良し、手応えありだ。これは最高の出来ではなかろうか。流石開催者だ、指導が良い。見栄えの良い場所に揃えて飾ろうな」
「いえ、元より遊夜さんの人形の扱いが素晴らしかったのです。遊夜さんも響さんも、お相手のことを大切に思っているからこそ、愛情で人形を造り上げられたというか……私も、そういう方ができたらいいなと……」
思わぬ言葉に遊夜と響が顔を見合わせる。その時、アネットの顔は熟れたリンゴのように赤く染まっていた。
何故なら彼女はこの数日間、幸せなふたりを見守って憧れを抱き始めていたのだから。
●
川澄 静(ma0164)はフィーと揃ってアトリエを来訪すると、丁寧に一礼した。
「アネットさま、本日はよろしくお願いしますね」
「い、いえ、こちらこそ! よろしくお願いします! ところで静さんはどのような作品をお作りになりますか? ……あっ!」
朗らかな静達とは逆に、アネットからはまだ緊張感が抜けきっていないようだ。焦って手作りのカタログを差し出すも、手を滑らせてテーブルの上に散乱させてしまう。
そこで静はカタログを手早く集めるとフィーにそれを見せ、一方でアネットの心のこわばりをほどくように柔和に微笑む。
「フィーさまは、何をつくられますか? 私はペンギンさんですっ」
「ペンギン?」
「ペンギンは丸みがあってわかりやすい姿をしているでしょう? フェルトマスコットのモチーフにはピッタリだと思うのです。娘もペンギンが好きですしね」
「ソウナンダ! ソレジャ、私ハ白熊サンノマスコットヲ作ル! オ友達ニスルノ!」
わいわいきゃいきゃいと盛り上がるふたり。その様子を前にアネットは安堵したようだ。
「わかりました、フェルトマスコットですね。キーホルダーを付けてバッグなどに飾れるようにしますか?」
「それは助かります、ぜひご指導くださいね」
「オ願イシマスナノ!」
うふふ、と静の隣にぴったりくっついて微笑むフィー。まるで仲良し姉妹のようだ。
そこから始まるワークショップは至極和やかなものだった。
静には元より裁縫の心得があるが、それでもぬいぐるみのような愛玩用の小物を作ったことはない。
だからこそアネットにマスコット用の針遣いを学び、丁寧に縫っていく。
「ふふ、アネットさまは本当にお人形がお好きなのですね。教え方も上手ですし、好きって気持ちがこちらにも伝わって参ります」
「いえいえ、そんなことは……それよりも静さんの針仕事は丁寧ですね、昔からお裁縫の嗜みが?」
「生前は旅をしていたものですから。道中に傷めた着物を修繕したり、雨よけの羽織りを仕立てたりしていました。ですので自然と和裁が身についたといいますか……」
「なるほど、だからこそしっかりとした縫い目ができるのですね」
感心したように目を細めるアネット。かたやベースとなるボディに綿を詰めた静が手の上で作りかけのマスコットを転がしながら目を瞬かせる。
「これは、娘が作ったら、ヘンテコなのか虹色のものができますね……」
「えっ、静さんにはお嬢様がいるのですか!? しかも虹色!?」
「え、ええ。互いに咎人ですから外見の年齢は近いのですけれど……不思議なことに娘に何かを作らせると、特殊な道具を使っているわけでもないのに物を虹色に染めたり光らせたりするのです」
「それって咎人の能力なのでは? ほら、咎人には花火を上げる力とかあるじゃないですか」
「いえ、そういうのではなくて……なんというか……」
例えるなら、娯楽小説で不器用なヒロインが作る奇妙な料理のような……そう言いかけるも、母親である自分も理解しきれずにいるのだからと静はあえて言葉を呑み込んだ。
そしてひとつ作れば慣れたもの。
「あの方にも作って差し上げて、お揃いのキーホルダーにしましょう」
そう言って同じサイズのマスコットを作るべくフェルトを裁断した。ただし今回のペンギンは笛を持つようだ。茶色の布を細く切り、穴を刺繍で表現するとくるっと巻き付け――腕に握らせる。
「あの方は笛を吹くのがお上手ですから。私の方には扇子でも握らせましょうか」
クスクス微笑みながらマスコットを作っていく。フィーも頑張っているようで、真っ白なフェルト相手にうんとこうんとこ針先を運んでいる。
そうしているうちに夕闇が迫り……最後には静の前に4体のペンギンがころんと座っていた。
「フィーさまとアネットさまもどうぞです! お揃いですよ~」
「えっ、いいのですか?」
「イイノ!?」
「アネットさまのご指導がなければマスコットを完成させることはできなかったですから。ささやかなお礼です、本当に今日は楽しかったです」
静のまっすぐな感謝に胸が熱くなるアネット。だが静は作業中の会話でアネットが咎人として行き詰まりを感じているのを悟っていたため、にこやかに手を差し出す。
「あの……それと、もしよければですけれど。依頼に行く時はお手伝いしたり、練習にお付き合いしますよ。初めはどなたでもこの不思議な世界と運命に戸惑いを覚えるものです。ですから、お礼にお手伝いさせてください」
この提案にアネットは一瞬目を丸くするものの、顔を上気させた。
きっとこの女性とならどんな苦難も良い経験にさせてくれるだろうという予感が胸によぎったからだ。
●
(……今欲しいものがあるけれど、使用用途を知られるのは気恥ずかしいんですよね。さて、どうしたものか……)
不破 雫(ma0276)はアネットのアトリエに据えつけられたショーウィンドウの中を覗いて小さくため息を漏らした。
彼女の望みは『ぬいぐるみ』。
それはうら若い女性なら部屋にいくつ置いていても違和感のないものだ。
しかし彼女は生前から多くの戦いの中を駆け抜けてきた歴戦の勇士でもある。
ゆえにぬいぐるみを――就寝時の友としていることを知られることに抵抗感があり、ウィンドウの前を何度か往復しては小さく唸った。
「先程勧誘を受けたワークショップは基本的にマンツーマン形式のようですし、そんなに心配することでもないのでしょうけれど」
そうぽつりと呟いたところで、アトリエのドアが開く。そこではっと振り向くと、アネットが「来てくださったんですね」と嬉しそうに目を細めた。
「え、ええ……ぬいぐるみを作ってみたいと思いまして」
こう返しながら雫は思考を巡らせる。
(この機会にまずは……手堅く小型の縫いぐるみを作るか。いや、教えてくれる人がいるから大型の縫いぐるみに挑戦するか……う~~ん、でもドールって言うのも面白そうなんですよね)
ウィンドウに飾られている作品はあまりにも多様で、年頃の娘の瞳には魅力的に映るものばかり。
だからこそいくつも挑戦してみたいと思うのだが――考えるほどに思い浮かぶものはただひとつ。やはり自分の傍にいてくれるものがいい。
「あの、できれば大型のぬいぐるみを作りたいんです。ただ、絵心がないので自信が無くて……それでも作れますか?」
「それはもちろんです。レシピ集の写しを使っていただいて結構ですよ。あと、私のでよければですけれど……過去作品の型紙もあります」
「それは助かります、好きな形の子を作りたかったので」
雫は普段多弁といえる少女ではない。しかし訥々と語る言葉の中で僅かに弾むような声音があることにアネットは安心した。
「それではこちらへどうぞ、道具や材料は一式用意していますからお気軽に」
――さて、早速無数のレシピ本やファイルされた型紙を前にした雫はそれらを捲り、いくつかの候補をピックアップした。
抱き心地と手入れのしやすさを考えるならばやはり可愛らしさとシンプルさを併せ持つ動物型だろうか。果物や野菜といったデザインもあるが、愛着がわく対象といえばやはり愛らしい顔がついているものがいい。
しかし。
(ふ~~む、貰った型紙を拡大してみたけど……何かバランスが狂ってる様な気がする。抱くのではなくて飾ることが前提のデザインだから、かな)
拡大コピーした型紙に裁断前の布を待ち針で合わせてみて、考え込む。
まずは頭が立体的で大きい。これでは寝る時に、頭から下に縋るような形になってしまう。
そこで雫は小さく挙手。アネットに恥を忍んで本当の願いを打ち明けることにした。
「アネットさん……あの、その……え~っとですね。この子を抱き枕として持ち帰りたいのですが、詰め物との材料ってどんな物が良いんでしょうか?」
「抱き枕、ですか?」
「その……少し恥ずかしいのですが……寝る時にぎゅっとできると安心できるので……」
表情が控えめな中に僅かな戸惑いを見せる雫。しかしアネットはそれを真摯に受け入れると、得心したとばかりに深く頷いた。
「なるほど、大型のぬいぐるみを希望されたのはそういったご事情なのですね。それならばお顔全体を立体的にせず、目や鼻はプラスチックパーツを使わずに刺繍で仕上げましょう。あと中に詰める素材はビーズにしましょうか?」
「ビーズというと、枕に入っているような穴の空いている?」
「そうです。通気性もいいですし、ぬいぐるみの形に合わせてくれます。多少の手間はかかれど、中身とカバーとしてのぬいぐるみを別々に作れば肌に触れるぬいぐるみを洗えるようになるので長持ちするかなって」
「そうか……それなら部屋に置いていても綺麗なぬいぐるみとして違和感なく飾れますね」
ほっと溜息を吐いて、アネットが淹れた紅茶に口をつける雫。その様子にアネットが小首を傾げた。
「あの……ところで、どうして抱き枕の所有に戸惑いを抱かれるのですか? 今は睡眠の質を上げるために大人の方でも愛用している方がいると聞いていますよ」
すると雫がいやいや、と言いたげに首を横へ振るう。
「だって……未だに眠るときに抱えてるなんて言えないじゃないですか。それに縫いぐるみを持ってると知られると揶揄されそうだから実の妹にも秘密にしてるんですよ」
「妹さんにも、ですか?」
「ええ。姉としての矜持があるのです」
妹や仲間の前では凛とした女性でありたい。
見た目こそ少女でも、雫には強い意志があるのだ。
その気高さにアネットは心をうたれ「それではかけがえのないやすらぎの時間のために、心を込めて作りましょう」と雫が望む抱きぐるみの型紙をざっと描き上げた。
――それから夕刻を迎えるまで、ふたりは1mほどの背丈のある抱きぐるみを作っていた。刺繍など細かい部分はアネットが、大まかなボディラインは雫が丁寧に縫い上げていく。
その仕上がりは見た目が猫。やわらかな毛並みに包まれながらも、肉球には弾力のある特殊繊維を用いた一点ものだ。
「わ……凄い、です。今回の催し、本当にありがとうございます」
「い、いえいえ! 作業中に聞かせていただいた雫さんのお話に私も勇気づけられました。こちらこそ、ありがとうございます。それとこの子のお見送り、私にさせてくださいね」
そう言うとアネットは荷運び用の台車に包装済みの抱きぐるみを乗せた。どうやら雫の家まで荷の正体を隠して運ぶつもりのようだ。
そこで雫が「重ね重ねありがとうございます」とはにかんだ時、本人の意図せずところで見た目相応の可愛らしさが浮かんだ。
「それと、アネットさん作の子も欲しいので通販的なのがあると助かるのですが……」
「えっ、私のですか!?」
「ウィンドウを眺めていた時から素敵な子がいるなって……お友達は多いほどいいんじゃないかなって。今も強い咎人であり続けたいという心はあります。でもそれと同時に自分にも素直でありたい……今日はそう思えるようになったんですよ」
この言葉にアネットは満面の笑みを浮かべた。これまでやってきたことは無駄じゃなかった、こうして喜んでくれる人がいるのだから……。
幸せに満ちたマジックアワーが流刑街を照らす中、ふたりの少女は穏やかな表情でそぞろ歩いていった。
●
侍衆の女性陣はアネットの勧誘を受けると、ステラとフィーも連れてワークショップに参加することを即決した。
アトリエには人形やぬいぐるみ、置物がずらりと並んでいる――それを真っ先にイサラ(ma0832)が眩しそうに見上げる。
「こーやって見てっと、色んな人形があるんスね。アネットさん。あ、アタシはイサラっス! アネっちって呼んでもいーっスか?」
「は、はい。でもそう呼ばれるのは初めてですね……正直、驚いています」
「そうなんスか? あ、商いには独特の距離感があるからスっすかね?」
「そう、ですね。お客様や材料の取引先がお相手となるとどうしても……ましてやこのような性格なので、友達もどこか一歩距離があるような」
眉尻を下げて笑うアネット。とはいえそれは困惑の証ではなく、自分がイサラの厚意にどう応じれば喜んでもらえるか考えているかのようだ。
そこで折り目正しい所作の白綾(ma0775)が前に出る。
「お人形作りは初めてですね。本日は宜しくお願い致します。私のことは白綾とお呼びください」
「は、はい! こちらこそよろしくお願いします!」
白綾は真面目な女性で、自分語りを得手とはしていない。だからこそアネットの戸惑いを励ましという形で拭い去りたいと考えているようだ。
早速展示されている作品の中から、手のマネキンにはめられた指人形を見つけると「可愛らしいですね、指先で人形劇ができそうです」と感心したように頷く。
一方で藍紗(ma0229)と紅緒(ma0215)はアネットの前に並んで柔和に微笑む。
「本日は素晴らしい機会を頂いた、アネット殿。良しなにの」
「今日はよろしくね、あねっと! すてらとふぃーも!」
優美な藍紗と快活な紅緒。アネットはふたりを前にしてやや緊張した様子で言葉を選ぶと「今日は一緒に素敵な作品を作りましょうね、よろしくお願いします」と挨拶する。
そんな緊張をよそに、ステラとフィーはボールのように弾みながら「がんばる、がんばる!」「可愛イノ、作ル!」と大騒ぎ。
すると藍紗が「時に、ステラとフィーも人形を拵えに来たのかの? 何を拵えるのじゃ?」と尋ねた。実はステラもフィーもワークショップに何度か足を運び、マスコットを作っているのだが――これで最後だからと互いの姿のぬいぐるみを作ることにしたようだ。
「すてらとふぃーのぬいぐるみかあ。お店で売っているような、毛がふさふさしてるの?」
「そうだよ、おめめはまんまるのおめめびーずをつかうの!」
「中ニハフカフカノ綿ヲ詰メルノヨ! 抱ッコデキルヨウニ、抱ッコ紐モ作ルノヨ!」
この答えを受けた紅緒は、自身の顎に指先を這わせる。
「そっかー……すてらとふぃーが抱っこできる大きさなら作りやすいかもね。あたしはどうしようかなあ。手のこんだお人形は難しそう……簡単だけどかわいいの……わがまま?」
「そんなことはありませんよ、例えばフェルトマスコットなら手直ししながら作れます」
「ふぇると?」
「繊維同士を針で絡め、形を作る手芸です。また、その繊維を不織布にしたものもフェルトと呼ばれているんですよ。フェルト生地は切りっぱなしでもほつれることのない扱いやすさが魅力になっています。こちらでぬいぐるみを作るのもお手軽ですよ」
「そうなんだ、それならふぇるとますこっとに挑戦してみようかな! 難しいところも、教わってできると達成感があるわよね!」
屈託なく笑う紅緒に思わずアネットも相好を崩す。藍紗も義妹の屈託のなさを愛しているようだ。紅緒の頭を撫でながら口角を吊り上げる。
「紅緒はマスコット、ステラとフィーはぬいぐるみか。ならば私はぬいぐるみを作ってみよう、抱えられる程度の大きさが良かろうか」
「わかりました、藍紗さんはぬいぐるみですね。ご希望のモチーフはありますか?」
「うむ。時に……型紙から作ることは可能じゃろうか? 私は紅緒のぬいぐるみを作りたく、思っておる」
「えっ、あたしを? 藍紗、それ本当!?」
「これからも数多の戦があろう? それを無事に潜り抜け、帰るべき場所に帰った時に迎えてくれる者がいる。互いの無事を願う、祈りの器よ」
藍紗は偽りの言葉を吐かない。だからこそ紅緒は義姉の想いを実感し「……ありがと」と頬を染めた。
そんなふたりを羨ましそうに眺めるも、早速アネットは書棚から数冊のファイルを取り出して彼女達の前で広げてみせた。
「それなら既存の人型の型紙からお好みのものを探して、それを基に顔立ちや髪型、デフォルメした飾りとお着物で飾って紅緒さんらしさを出していきましょう」
ぱらりと頁を捲ってみれば、さまざまな意匠のぬいぐるみの型紙が並んでいる。顔立ちは文化人形のようなレトロなものから、街中で見かけるアニメ風のものまで様々だ。
(紅緒は目が大きい、愛くるしい娘じゃ。明朗快活さを感じさせるものがよいのう……)
フェルトを手にし「うわ、すっごいふわふわしてる!」と大騒ぎする紅緒。藍紗はその隣に座り、サービスの紅茶を飲みながらデザインを考える。
この義姉妹の姿に青桐(ma1371)は思わず頬を緩ませた。
「紅緒さん人形なら、夜中に歩き出しても怖くありませんよ。……さて、ワタシもお人形を作りましょうか」
彼女は布製の人形を作ろうとしているようだ。
青桐は見た目こそ幽鬼だが、本来は家庭的な性質である。
裁縫にも心得があるのか布人形の制作指南書より素体を紙に写し取り、続けて刺繍の案と縫い付けていく服の型紙を描きこんでいく。
その手慣れた動きに玄那(ma1251)が目を丸くした。
「あら、青桐は布でお人形を拵えるのね。着物の意匠から察するに、あのふたりかしら?」
「はっ、はい……! ワタシは想像力が欠けているので……傍にいるヒト達をもとに作りたいと思いまして。藍紗さんに怒られてしまうでしょうか? 大丈夫ですよね? ね?」
最後の一言は心持ちひそやかに。
しかし藍紗は青桐の強張った声を聞き逃しておらず、ちらりと視線を青桐の鉛筆が奔った白紙に送るや……「構わぬ、むしろ『もうひとり』も喜ぶじゃろうて」と返した。
その反応にほう、と安堵のため息を漏らす。何しろ彼女の布人形は藍紗と紅緒がモデルなのだから。
かたや玄那はその答えを事前にわかっていたかのようにふっと微笑むと、棚に乗っているビスクドールを抱いて「今日は少し手の込んだもの……ビスクドールを拵えてみようかしら。……アネットさん、あたしを基にしたビスクドールって作れるのかしら」と呟いた。
この一言にアネットが顔を輝かせる。
「それはもちろん! 玄那さんはメイクとドレスがよくお似合いですから、クラシック風からディフォルメモデルまで完成度の高い作品が作れると思いますよ」
「そう……ありがとう。焼き物のお人形は作るのが大変と聞いたけれど、あたしは手先が器用な方なのよ。アネットさんに協力してもらえたらきっと良いものが作れるわね、いいえ、作るのよ。改めてよろしくね、よろしくお願いするのよ」
玄那はこの世界にやって来てから『ものづくり』に強い興味を示すようになったが、今日は格別のようだ。早速型を取るべく、アネットと共に作業に入る。
そんな中、のんびりと作業を楽しむのはイサラと白綾だ。
「皆も色んな人形こさえてるっスね、アタシも負けられねーっス」
「その意気ですよ、イサラさん。私も皆さんから許可をいただきましたので……侍衆の皆さんの指人形を作ります」
イサラは口が開くハンドパペットを作っているようだ。自分の左手を画用紙に起き、その周りを包み込むように線を……パペットの本体となるラインを引いていく。
布はアネットが推奨したフェルト生地を使うそうで、切りっぱなしでいいとの言葉から安心したのか大胆にカットするようだ。
かたや白綾もフェルト生地を手に取って小首を傾げる。
「指人形はフェルトで作るのが良いでしょうか……先ずは師匠から……」
どの指にもはめられるよう、やや大きめにカットした生地に刺繍糸を用いて顔を作っていく。涼しげな目元と艶やかな唇は藍紗を表現するうえで欠かせないものだ。
「へえー、白綾っちは器用っスね。こんな小さな布に糸で顔を描くなんて!」
「そんな、布製の指人形ですから……お顔で表現できるのは眉毛と目と口ぐらいです。だから皆さんの特徴を掴まないとって、今は頭がいっぱいになっているんですよ」
「またまたー、涼しい顔しちゃって。でもこっから髪とか服とか作るんっスよね? アタシ、ガチで凄いって思うっスよ」
「ありがとうございます。この子達は指人形ですから作るのは胸元までですけれどね。それでも……いつか皆さんと指人形で遊べたら嬉しいです」
そう言って刺繍したばかりの布を指にあて、首を揺らすように動かす白綾。
彼女には表情というものがないように感じられるが、それでもこのような遊び心を露わにするあたり胸のうちでは楽しんでいるのだろう。
イサラは「それならアタシのパペットも負けないぐらい面白いヤツにするっス!」と気合を入れ直し、今度は口の中に仕込むフェルトの裁断を始めた。
――そうして秋の陽がやや傾き始めた頃。白一色と黒一色のフェルト玉を掌大に仕立てた紅緒がそれぞれを手に乗せて「じゃーんっ」と藍紗とステラ達に得意気に見せた。
「ほう、綺麗な球ができたの……時に、この色合いは?」
「藍紗ならわかるんじゃない? すてらとふぃーよ! ふたりとも小さくてころころしているから、これから目と鼻と口を付けるの。耳はふわふわに仕上げるわ!」
途端にきゃいきゃい盛り上がるステラとフィー。その一方で紅緒が「あとはね」と呟く。
「できれば藍紗のますこっとも作りたいな。他の皆のますこっとも……でも時間あるかなあ」
ほんの少し不安そうな顔で針を動かし続ける紅緒。
だがそこに型の乾燥のため休憩中の玄那が顔を出した。
「あたしのビスクドール、完成までは最低でも一週間近くかかるんですって。完成までアトリエを自由に使ってとアネットが話していたわ」
「えっ、本当!? それは嬉しいけれど、びすくどーるって時間がかかるのね」
「焼き物の人形はそういうものなのですって。肌が薄すぎても厚すぎても壊れやすくなるし、それに自然の風で乾かす時間が必要だから……楽しみだけれど、辛抱が必要なのよ、必要なの。もっとも、その間に鬘や服の支度をするのだけれどね」
「そうなんだ、粘土の人形っていうと形を作ったら乾かして終わりなのかなって思ってた」
「ふふ、手足が動くお人形だから。でも紅緒や藍紗達の作品も楽しみにしているのよ。どんな可愛い子を作るのかしらって。フワフワちゃんが拵えたものも後で見せて欲しいわ。欲しいのよ」
クスクス笑い、藍紗が手にしている紅緒人形の素体にあたたかな視線を投げかける玄那。
藍紗は既に顔の刺繍を終え、淡い紫の太い糸を髪として頭部に縫い付けている。後は素体に綿を詰め、着物を作って髪を大きな簪とリボンで結い上げるだけだ。
「それでは私は一層心を込めて作らねばの。髪飾りはちりめんで仕立て、着物は艶やかに織られた紬の端切れを用いて……達者な者がおると、作業も捗るのう。楽しさも二重三重増しじゃ」
――戦場では見ることのない、穏やかで優しい面立ちの仲間達が集まる時間。
交わす言葉は少なくとも、ただ近くにいると感じられるだけで心が温かくなってくる。
そんな中で青桐も楽しそうに、かすかに憶えている針仕事の歌を口ずさみながら作業を進めていく。
「記憶はありませんけど、身体が覚えている事ってあるんですよね。……今日は皆さん、黙々と作業されていらっしゃる感じでしょうか」
「そんなことないわ。作業を楽しみながら勧めることも大切だけど、躓いた時には互いに助け合うことも大事だもの」
玄那が人形用のウィッグネットに髪を縫いつけながら穏やかに答える。
白綾もこくりと頷き、指人形藍紗の隣に指人形紅緒をちょこんと並べた。
「それぞれ得意なことが違いますからね。こうすればもっと綺麗にできますよ、とか……このやり方なら手早く仕上げられるとか……教え合ったり、時間がある時にはお手伝いしたりできますよね。息抜きにお喋りを愉しんだりとか。私もできるかぎり、お力添えします」
白綾はやはり真面目な女性だ。まっすぐなまなざしに仲間達は「そうだね」「うむ、そうじゃの」「当然っス」と返し、微笑みあう。
……この仲間同士のやわらかな空気に、アネットは「いいなあ」と不意に呟いた。それは単純な憧れではなく、どこか切なげな響がある。
そこでイサラが「どうしたんっスか?」と首を傾げれば、彼女はそっと目を伏せた。
「あの……皆さんにお聞かせするのは心苦しいのですが……」
「いやいや、気にせずっスよ。アネっちに何か抱えていることがあるなら、アタシ、相談に乗るっスよ。せっかくの縁っス……あ、その、話しづらいことなら無理強いしないっスけど。ただ、寂しそうなのが気になるっス」
両手を慌てて振った後、慎ましく肩を竦めるイサラ。
その心遣いにアネットは黙したまま、参加者の数だけ綺麗なカップを並べて紅茶を淹れた。
そして作業台を兼ねたテーブルにそれを並べると、椅子に座り――膝の上で拳をぎゅっと握る。
「あの……私、咎人として役に立てなくて。魂を拾ってくださった神様に恩返しをしたいと思いますし、いくつもの世界を守らないといけないことはわかってるんです。でも……戦いになると、すぐにやられちゃって」
この言葉に『ああ、なるほど』と侍衆の面々が顔を見合わせた。現在、邪神勢との戦いは激化の一途をたどっている。独自の動きを見せている強力な勢力もあり、咎人となったばかりの者が戦場に出るには危険な状況が増えているのだ。
もっとも、必ずしも死線を越えねばならないわけではないのだが……使命感を抱くことも善し悪しだ。
「それでですね、私……傷の手当てや距離をとって魔法で攻撃すればいいのかなって思ったんですけれど。でも力が足りないから、ここぞという時に同行してくださった皆さんの足を引っ張ってしまって……」
アネットの声音はひどく重い。しかしこのようなことは咎人にとって『よくあること』である。第一線で活躍している切れ者でさえ、強力な敵対者に狙われれば大きな傷を負うことがあるのだ。時には理不尽な力に苦しませられることもある。
それを実体験や神殿に纏められた報告書で学んでいる侍衆の乙女たちは紅茶のカップで針仕事で疲れた指先を温めながら口を開いた。
まずは白綾が顔を上げる。
「私はこの世界に来て、大きな存在に戦いを命ぜられるものが咎人と伺って……やはりここは無間地獄なのではないかと思っていました。ですが、此処には無限の生があり、様々なものがあります」
「様々なもの、ですか?」
「それは戦いのみではなく、美味しいものや楽しい事もあって、尊敬出来る人も沢山いらっしゃるということです。アネットさんのお姿を拝見していると、失礼かもしれませんが何時かの私自身の姿に重なります……私も同じように考えていました」
「白綾さんも昔はそうだったのですか?」
「生前は狩人でしたから、敵を仕留めることが役割だと思っていたのです。ですが、色々な事を経験して、自分自身を育てて行くのは戦いだけではないのだと気付きました」
そこで白綾は藍紗に柔かなまなざしを向ける。風流を感じていくこと、つまりは生の素晴らしさと幸せを教えてくれた師に感謝を込めて――。
「戦い以外で学んだ事が、主神の為になる事だってあるかもしれません。私は、アネットさんを応援します。戦いだけでなく、資源回収や……物拵えのお仕事もあります。アネットさんが望んで出来る事だって、きっと沢山ありますよ」
「資源回収やものづくり、ですか。私にできるでしょうか?」
「そのような依頼では、花の冠や刀を拵えた事もあるんですよ。花編みならアネットさんの得意分野なのではないでしょうか。それに全てをひとりでやるわけではありませんから……様々な考えを持つ方と交流することできっと道が拓けてくるはずですよ。そうですよね、師匠」
藍紗に問いかければ、しっかりとした頷きが返ってくる。
そこに小さな希望の火が灯った気がして、アネットは固く結んでいた唇を緩めた。
一方でウィッグ製作に励んでいた玄那は植毛用の太い針を一旦ソーイングボックスに戻すと、一言一言選びながら言葉を紡ぐ。
「あたしもこの世界に来て、色々忘れてしまっていて。でも、何かを作るという事に興味を持って、新しい何かを色々と学んでいるのよ。……あたしは一緒にいる皆の事すら思い出せていないの。あたしを朧げにでも覚えてくれている子だっているのに」
「玄那さん……」
玄那は『誰かからの想いにまっすぐに応えられないこと』に哀しみを抱いているのだろう。気に入りのドレスに小さく爪を立てる。
けれどそこで一旦目をぎゅっと瞑ると、凛とした表情でアネットを見つめた。
「だから新しい事をたくさんするのよ、たくさんするの。自分の心に触れる何かがあるかもしれないと思いながら……何かをした事で誰かがあたしの過去の姿を見付けてくれるかもしれないから。作る事は生み出す事だわ。生み出す事は何であれ、咎められる事ではないと思うのよ」
「咎められることでは、ない……」
「だってこれが許されない事なのだとしたら、今にでも雷が落ちているわ。アナタのお人形だって、きっとそう。誰かと誰かを繋ぐ縁の糸になるかもしれないと、そう思うの」
いつの間にか声に力が入っていたようだ。胸も熱くなった感覚に、玄那が「やれやれ、だわ」と自嘲的に笑う。
「いやね、長々と語ったりして。お年寄りになった気分ね。ふふふ」
しかしその胸のうちではほろ苦い想いがあった。
(今日あたしがドールを作ろうと思ったのは……あたしがいなくなった後のため。例えあたしが倒れても、仲間の誰かにこの子を見てもらえた時に思い出して貰えるかもしれないでしょう?)
玄那は戦闘能力に優れた咎人のひとりだ。
ゆえに戦場に出ればどのような運命が待ち受けているかわからない……けれど自分を憶えてくれる誰かには報いたいと思っている。
その想いの断片をやや憂いの帯びたまなざしから感じたのか、イサラは下唇を軽く噛むも敢えて満面の笑みを浮かべた。
「人形作りって、アタシがいつも撮ってる写真に似てる気がするっス」
「写真、ですか? イサラさんは写真撮影がお好きなのですね」
「そうっス。撮影でワイワイするのも好きっスけど、同時に『形に残す』ってとこが。写真は、咎人が経験するっていう死に戻りで記憶を失った時に、何かを思い出すキッカケになれば、って思ったのもあるんスよ」
「そういえば……私は運よく記憶を失わずに済んでいますけれど、大きな戦では魂まで傷つけられた方がいらっしゃると……本当なんですね」
「そうなんス。だから皆の道程を残すために写真を撮って、アルバムにして、時々仲間内で見て思い出を振り返ってるってワケで」
「……」
「アネッちが気を使って大事にこさえた人形も、何かあった時に役に立つかもしんないじゃねっスか。だって手作りなら尚更……可愛くて、忘れらんねーっス。絶対悪い事じゃねーっスよ」
イサラはそう言うと後は服を縫いつけるだけとなった自作のパペットの口をぱくぱく動かし、アネットの二の腕に甘噛みさせた。
「パペットって遊んでも楽しーっスよね! こうしてガブッて食い付いたり、心の声を喋らせたり。辛い時って本音をガチンコでぶつけんのは難しーっスけど、こういうのだったら笑って話せそうっス。この子は名付けて『イサラ2号』! 作るのに何度針を指に刺したか忘れたぐらい大変だったっスけど、もう少しで完成っス。絶対アタシに負けないぐらいお喋りになるっスよ」
あまりにもあっけらかんとした話しぶりだ。その様子に藍紗が「イサラなら何を隠すこともなかろうて」とくすっと笑う。
「私は写真撮影や記憶をものに写すというようなことはできぬが、感じたことを『歌』にしておる」
「歌というと、即興で音曲を作られるのですか? 凄い……!」
「いや、私の歌はより古典なものよ。限られた音で詩を詠む、とでも云うべきか。言の葉として、短けれども心に刻める歌……今の心を表すのならば……『みせだなに おもひつつみし たなごころ おもひおけども こころおきなく』というところじゃ。その掌で思いを込めて拵えたものを並べし店、心置きなく続けるが善しじゃ」
「私は人形店を続けていていい、と?」
「それを最終的に決めるのはアネット殿よ。しかし咎人の生は無限ではあるが、死よりの蘇りには忘却という難儀が付き纏う。その時に、此処で拵えた人形が何かを思い出す為の一助になるやもしれぬ。仮に思い出せずとも、記憶や生の証と成ろう」
「そう、ですね……今までここを訪ねてきてくださった方も思い出や気持ちを形にしたいという方が多い印象でした。きっと……それは何よりも大切なものなのでしょう」
「左様。確かにアネットの言う通り、此の手は主神に仇為すを討つ為のものであるやもしれぬ。じゃが――我等が我等たり得る為のものであっても良い筈じゃ。主神の命を護り、己という存在を己で護る為のものでもあるのではないかと思うのじゃ。咎人は主神に従うものなのやもしれぬ、じゃが、物拵えに勤しむアネットも否定されるものでは無い筈じゃ。悩む心を否定は出来ぬが、私は今の儘で良いと思うがの。ふふ」
藍紗の優しさにアネットが触れる……その時、不意に肩を震わせて涙を零した。
その様子に紅緒が慌てて、いたわるように優しい声を掛ける。
「あねっとが作るお人形、みんなかわいいし、きれいだし、素敵よ。あたしにはこういう技術がないから、すごいと思う」
「……ありがとうございます、紅緒さん」
「ねえ。これはね、あたしの想像なんだけど……咎人って、名前はあれだけど、歌が上手とか、何かを作る事ができるとか、色々な場面で色々な事ができるように、色々な人が集められたんだと思うの。あたしは難しい事はぜんぜん分からないし、他の人みたいに大したことは言えないけど……」
「そんなことは……」
「あたしね、あねっともすごいと思う。あたしが負けないのは、たくさん食べること位だし。でもね、ものを作る楽しさも覚えたの、色々なところで。だから今日のお人形作りも楽しい」
こう明るく言い放つと、紅緒は大輪の野花が花開くような笑みを浮かべて刺繍やフェルトを接ぎながら顔を作った2つのマスコットを掌に乗せてアネットに見せる。
それはイサラと同じく、指先を時折傷つけながらの作品だったけれど……確かな温かみがあった。
「ありがとうございます、紅緒さんのマスコットは人となりが出ているというか……ぬくもりがありますね」
「こちらこそありがと! でもまだまだこの子達に髪飾りとか拵えないといけないの。だからいっぱい教えてね!」
にっこり笑い、作業台にマスコットを並べる紅緒。そのやる気にアネットは「ええ、もちろんです」と笑みを返した。
そこで――それまで大人しくカップを傾けていた青桐も口を開いた。慎重に、それでいて長い黒髪の合間からアネットを労るように。
「この世界へは、記憶はおろか何一つ持たずに来てしまいましたからね。不安で不安で仕方なくて、異性に怯えたり人を完全に信じる事ができなかったりもして……何も持っていない上に、不安感や違和感がたくさんあって。本当にしんどかったんです」
「それは……」
「ですが……ですが紅緒さん達に出会って、ステラさんやゼハイルさんといった人達に出会わせて貰って……色々なものを新たに手に入れる事ができて、不安感も薄れて来たんです。ほら、今日だって、可愛らしいお人形を手に入れる事ができました。ワタシにとっては、小さなお人形も大きな何かの一つです」
先程とはうってかわり、青桐が得意気な顔で作業台の上に仮衣を纏わせた紅緒人形を座らせる。
髪は刺繍糸で作ったため胸下で揺れているが、今日中には結い上げられ、明日中には着物をあわせることもできるだろう。
そんな青桐は悪戯めいた笑みを浮かべると指を立ててみせた。
「今はですね、誰かにゴチャゴチャ文句言われたら『うるさいな!』って言っちゃいますよワタシ。今なら言えます」
ああ、青桐もひとりの心持つ存在として成長したのだろう。藍紗をはじめ仲間達が柔かな眼差しをなげかける。
それはアネットにとっても同じことで……自分なりの矜持を貫くこともまた正しいことと悟る機になったのだった。
――さて、それから数日後。
紅緒はステラ達のマスコットの他に藍紗の顔のマスコットを完成させてご満悦だった。
「ますこっと、できた! 間に合ってよかった! ねえ、かわいくできたわよね?」
「そうじゃの。何というか……自分の顔が細工物になっているのを見るのは嬉しくもあるが、ほんの少し恥ずかしいのう」
「だって藍紗があたしのぬいぐるみを作ってくれたお礼をしたいって思ったんだもの! そうだ、この次は、もうちょっと難しい人形に挑戦してみようかな?」
「それならばぬいぐるみなど作ってみるか? 私でよければ指南するぞ。侍屋敷に戻るまでに材料を揃えよう」
「うん! それにしても……藍紗が作ったぬいぐるみ、本当にきれいよね。抱き心地もいいし」
「うむ……此の紅緒人形が有れば、此の先で何が有ろうとも必ずや思い出すからのう、力も無意識に入るというものじゃ」
――実はビスクドールという選択肢もあったのだけれど、敢えてぬいぐるみにしたのは添い寝をしたいから。
そんな裏事情を隠し、藍紗は紅緒人形を左腕でひしと抱く。
白綾も仲間の姿をひと揃えした指人形に満足した様子だ。
「可愛らしく作る事が出来ました。アネットさんのおかげです」
「そんなことは決して……白綾さんのご友人への想いが成した作品ですから」
アネットが微笑めば、白綾も僅かにまなざしを和らげる。互いに道半ば、なればこそ新しい幸せに手を伸ばすこともできるだろうと。
一方で玄那はアネットに「いざ完成してみると、少し気恥ずかしいような……似ている、かしら?」と完成したビスクドールを見せていた。
デザインは玄那自らによるもの。
彼女のこだわりがどことなく大人びた美しさを湛えたドールの完成に繋がったのだが、ヒトの心を見透かすようなオブシディアンのドールアイに吸い込まれてしまいそうな気分になる。
けれど。
「素敵な作品ですよ。玄那さんらしい、優しくてまっすぐな心がお顔に表れています」
そう言われると、頬が赤くなってしまうもので……玄那は早口で次回の開催をリクエストした。
「一度と言わず二度三度と開催して欲しいわ。開催して欲しいのよ。きっともっとたくさんのヒトが来ると思うの。思い出を形にしたいヒトは少なくないから……きっと、多いのよ」
「ありがとうございます。今後、依頼の予定を立てる時に計画してみますね」
どうやら前向きになったようだ。玄那はほっと胸を撫でおろすと、自分のドールの頭をふわっと撫でた。
そんな中、イサラが首から下げたカメラを構える。
「人形大集合っスね! 壮観っス! こーいうのも楽しくていーっスね! ささ、ここは作業台に並べて皆で記念撮影するっスよ。アネっちも一緒に!」
早速全員で――パシャリ。
画像を確認したイサラが「後で焼き増しして皆に配るっスね」と言うと、続けざま「何かあった時は、アタシらも手助けするっスよ! アネっち!」と宣言した。
このあたかな光景の中で青桐が呟く。
「こうやって、出会いを形にしていくというのは良いものですねえ」
記憶の中に留めておくことも幸せ、でも傍に記憶の断片となる宝物を置くことも幸せ。
皆の笑顔が見られてよかったと青桐もまた、黒髪に隠された顔をくしゃっと笑ませるのだった。