「自分一人で延々考えてると、あぁなっちゃうものなんですかねぇ」
紅雨(ma1464)の口から、そんな言葉が零れ落ちる。
宇宙に浮かぶファウンデーションで、自分の世界へ引き籠もる。
自らの研究は進んだのだろうが、その結果が――この有様だ。
「人に言われて初めて気づくこともありますからね。誰かに聞いてもらうって、やっぱり大切なんですよ」
迫るセンチュリオンに向け、オルトジャスティス。
降り注ぐ光の雨が、センチュリオン達の出鼻を挫く。
歩みを止めたセンチュリオンをはね除けるように、後方のセンチュリオンが紅雨へ迫る。
(ここで止まってくれたら楽なのですが……)
紅雨は、チラリと背後に視線を送る。
そこには、胤とリトルメック。そして、シオランが見守っている。
センチュリオン達の狙いは、胤。ビヨンズに胤が奪われてしまえば、ヤルダバオトに再び危機が訪れる。
「目論見通りには、させられないんです。そうなれば、こちらの商売もあがったりですから」
「紅雨だっけ? 大丈夫なのかな?」
不安になったのか、リトルメックが声を掛けてきた。
リトルメックの傍らには縋り付くように胤がいる。
いざとなれば、リトルメックは胤を乗せて移動できる。しかし、多数のセンチュリオンに囲まれるような事があればリトルメックに抵抗する術はない。
「大丈夫です。商売人は、信用第一ですから」
敢えて胸を張る紅雨。
虚勢に見るかもしれないが、実際には多数の咎人がビヨンズとセンチュリオンに向けて動き出している。
紅雨は自らが守り抜くと決めたリトルメック達の側に立つ。
ここから――センチュリオン達を通さない。
「流石に……は。アハハ。今回も身体はりますかぁ」
「え?」
「いえ、何でもありません」
そう言った紅雨は、黒翼の魔符を片手にセンチュリオン達と対峙する。
●
「自分で止まれないなら止めてやるしかないな」
一方、別方向から迫るセンチュリオンに対して麻生 遊夜(ma0279)は、タバコ型菓子を咥えてじっと見つめていた。
ビヨンズ達を哀れとは思わない。そういう道を選んだのはビヨンズ自身であり、走り出したら自分では簡単には止められない。
遊夜が知っている不器用な連中もそうだった。走り出した以上、ボロボロになるまで走り抜くか、誰かに張り倒してもらわなければ止まらないのだ。
「払った犠牲も、経った時間も、妄執にまでなった未来への想いも全部受け止めてやろう」
咥えていたタバコ型菓子を、パッケージへと戻す。
ビヨンズの計画を遂行させる訳にはいかない。相手が力で挑むというなら、遊夜も全力で受け止めて全部吐き出させる覚悟だ。
「動きましたか」
遊夜と並び立つように、マイナ・ミンター(ma0717)が姿を現す。
その傍らにはマリエル(ma0991)が控えていた。
「マイナさんもアイツに付き合うつもりか?」
「……ビヨンズさんの、私達が望まぬ願いも叶えてしまうのが大精霊です。取れる手段の中で、可能なものを選択し究めるのが研究者ですが……手段と目的を混同しがちなのもまた研究者。厄介なものですね」
マイナはビヨンズの研究者気質を理解していた。
アーク計画もヤルダバオト計画同様、天儀再興を目指す計画だった。古代人が滅亡を逃れる為に抗い続けたのだが、その結果が胤を巡る戦いだ。胤が大精霊として力を振るえば、確かにアーク計画が実行できるかもしれない。しかしそれは、あまりに大き過ぎる犠牲の上に成り立つ。
それでも研究者という人種は、選択肢の一つとして危険な可能性を見出してでも目的を達成する。
後に、大罪人の罵らせようとも。
「俺から言わせれば、器用に生きられない馬鹿の一人だよ。ビヨンズは。だから、誰かが無理矢理にでも体張って教えてやらなきゃならねぇ」
「そう、かもしれません。でしたら、私達のやるべき事を致しましょう」
マイナは秘めたる霊力を解放する。
マイナも遊夜同様、胤達を守り抜くつもりだ。
だが、同時に咎人側が抱える戦力をビヨンズまで送ろうとしていた。
「ヨミさん。一目散に、ビヨンズさんへ向かって下さい。後方は私達にお任せを」
骸の氏族の氏族長。胤の守護者であるアールフォーと戦っても見劣りしない、アヤカシの中でも有数の戦士。
ヨミと呼ばれたその女性は、今宵も命を賭した戦いにその身を捧げようとしていた。
「良いでしょう。今度は先日のように逃がしません。必ず、ここで仕留めて見せます。あれは、誰にも渡しませんわ」
ヨミは一足飛びに飛び出すと、センチュリオンを斬り伏せながら前へと進んでいく。
獲物を見つけた獣が、食い散らかしながら突き進む。
それでもセンチュリオンの群れがヨミの退路を断ちながら、マイナ達へと迫ってくる。
「マリエル」
「承知しました。お嬢様の思いのままに」
マリエルは、マイナから命じられるままに聖樹の一花を振るう。
全面にいたセンチュリオンに魔法攻撃が命中。上半身が仰け反る。その傍らをすり抜け、別のセンチュリオンがマイナへ襲い掛かる。
だが、マイナの前に二本の大きな腕が割り込んだ。
「おっと。レディーに無断でのお触りは厳禁だ。入店時に聞いてなかったか?」
センチュリオンのステップ斬撃を強引に砕けぬ矜持の右腕で受け止めた遊夜。
攻撃が止められた事に気付いたセンチュリオンだが、瞬く間に遊夜に殴られて地面へと転がる。
「我が信念と矜持の楯は堅牢なり! さぁ、俺を突破して見せろ!」
「さすがです。では、私達も参りましょう。マリエル」
「はい、お嬢様」
マイナとマリエルもセンチュリオンを前に動き出す。
こうして、胤を巡る戦いは本格的に開始するのであった。
●
「……そもそも、ビヨンズ以外の古代人は生きているのか?」
天魔(ma0247)は護衛対象であるシオランへ話し掛けた。
ふいの問いかけに、シオランは思わず聞き返す。
「何?」
「生きているのか、古代人?」
「どうじゃろうな。ワシのようにコールドスリープしている事も考えられるが、確率は低いじゃろうな」
「いないなら、胤を連れ出しても人のいない天儀が生まれるだけでは?」
天魔が気になっていたのはアーク計画だ。
ビヨンズは計画に従って胤を世界の果てへ連れて行く。そして、世界を越えて胤を連れ出す事で新たなる天儀を創造する。
しかし、古代人が存在しない状況で天儀の創造に果たして意味があるのか。
誰も帰ってくる事のない天儀を生み出すだけではないか。
「どうじゃろうな。ワシもアーク計画については詳しくは知らん。だが、もしそなたの言う通りならば……ビヨンズはとうの昔に壊れていた事になる」
シオランからため息が漏れる。
元々アーク計画も古代人が生き残る為の計画だ。その古代人がいなくなった状態で、果たして計画遂行に意味があったのだろうか。もしかするとビヨンズがファウンデーションを改修して多くの古代人が眠る場所を確保している可能性もある。だが、あったとしても先日のオビーター・トランキルでの騒動で無事だったかは分からない。
「ところで。一つ懸念が」
「何じゃ?」
「ヨミの事だ」
天魔が気にしているのは、ヨミの事だ。
胤が特別な存在と認識している。同時に危険である事も理解している。
この微妙な立場でありながら、胤の存在に妙案を持つという。
しかしながら、ヨミの性格はあまりに好戦的。ヤルダバオトの価値観を良い意味でも悪い意味でも大変した族長。その族長が抱く妙案だ。天魔が想像するだけでも、嫌な予感が拭えない。
「言いたい事は分かる。しかし、現時点で出来る事は警戒する以外できぬだろう」
シオランもヨミに対しては手の打ちようが無い様子だ。
確かに胤について何かを考えているのだろう。だが、行動に移した形跡はない。今はビヨンズとの戦闘に注力しているからだろうが、ヨミの動きに注意を向けるぐらいしか手がない。そもそも下手にヨミの身柄を拘束すれば、咎人側の戦力が落ちる事になる。
「ああ。仕掛けるなら、この戦いの後だろう。今は、この戦いを乗り越えるのが先決だ。集まってくれ」
天魔はシオランや胤達に絶対領域を付与する。
同時に、天魔がヨミを追うように見つめる。この警戒が杞憂になれば良いのだが――。
●
「だから、邪魔だって!」
鐵夜行(ma0206)が双扇「ツクヨオリガミ」を振るい、センチュリオンの群れを押し通る。
仲間達にシオランの護衛を託しているが、鐵夜行にはもう一つ為さねばならない事がある。
アーク計画の要にして、シオランの古き友である存在。
ビヨンズ・センチュリオンを倒す事である。
「……あれかな」
センチュリオンを掻き分ける度に、視界に入る黒金の装甲。
部屋の一番に奥にケーブルで繋がれた巨大なクラゲのような金属。触手に見立てた腕を振り回し、咎人の到着を待ち受けている。
「性懲りも無く現れたか。貴様等、何故邪魔をする」
「何故? そりゃ止めるでしょ。アーク計画もヤルダバオト計画と同様に問題あるんだから」
以前、鐵夜行はオビーター・トランキルで巻き起こった多重宇宙における危険な計画に関与した。
咎人達の戦いで危機は乗り越えたが、もし失敗すれば天獄界から神が来訪。ヤルダバオトそのものを破壊していたかもしれない。
今回のアーク計画も同様の危機を孕んでるのは間違いない。
「私は失敗しない。変異体を乗り越えるには、アーク計画が最適だ」
「あれ? ヤルダバオト計画が何故止められたのか知ってたの?」
「…………」
ビヨンズは、そこで押し黙った。
どうやら詳細までは知らないらしい。
世界の外から来た咎人が止めた事は知っていたが、どのような経緯で止められたのかまでは詳しく知らないようだ。
「へぇ、知らないんだ」
「知っていたとしても計画は止められん。この計画に、何年も掛けてきたんだ」
ビヨンズは、そう言いながら鐵夜行へ触手を叩き付ける。
鐵夜行は背中に蝶の翼のような光を纏い、攻撃を宙に逃れて回避する。
「まるで、時間掛けたから計画を止められないって言い訳しているみたいだ。ヤバい計画なら時間関係なく無期限延期でしょ」
「アーク計画の何を知ってるのだ? 計画が実行されれば、再び人々は平穏な世界で日常が送れるのだ」
「そのために無関係な人を犠牲にするんでしょ?」
「我らが、生き残る為だ」
鐵夜行が触手へ連撃を叩き込む。
金属製だけあって、硬い感触。ダメージが通っているかも分からない。
正直、長い戦いになる気配を感じ取っていた。
「……覚悟が決まっているならば言うことはない。放置も出来ん」
フリッツ・レーバ(ma0316)は、蒼双角応牙を走らせる。
目標はビヨンズ。シオランによれば、アーク計画はヤルダバオト計画と同じ轍を踏もうとしているらしい。
フリッツとしては、アーク計画もビヨンズの思考も否定はしない。正確に言えば、否定も肯定もする気は無い。
ビヨンズは研究者として、変異体という脅威から逃れる為にこれまで進めてきた。自らの肉体を捨て、機械化してでも成し遂げようとしている。相応の覚悟で事に臨んでいるのだろう。
一方で、アーク計画が招く危機もフリッツは知っている。
ビヨンズが覚悟を持って事に挑むのなら、フリッツも相応の覚悟で応じる他無い。
(少し時間がかかる策だ、今回は些か攻撃の手は緩む)
フォニックダイブでビヨンズへ接近。
ビヨンズはフリッツが接近したと察した瞬間、触手を振るい続ける。
「貴様等も見ただろう。この天儀を。そして、死ぬ事も許されない哀れな変異体を」
「…………」
「それを救う計画を何故、邪魔するのだ」
ビヨンズの声。
それにもフリッツは答えない。
ビヨンズの事情は、フリッツには関係ない。ビヨンズの計画が危険と考えたシオランが、計画停止を願いでた。それにフリッツは応じた。その事実だけでフリッツが動く理由としては十分だ。
「……!」
月牙烈断斧 セキハに込められた加護を一気に解放。
地面に叩き付けられた触手へ何度もセキハを振り降ろす。
感触は堅い。やはりビヨンズの機体を守るような技術が使われていると考えるべきか。
「無駄な事を」
ビヨンズの触手から光弾が発射される。
フリッツは距離を置いて光弾を回避する。
「適宜判断をする個体か。馬鹿では無いらしい」
あざ笑うビヨンズ。
それに対してもフリッツは静かに様子を窺っていた。
(次の攻撃まで力を蓄えなくては)
フリッツは問答をする気は無い。
確実に、そして着実に次の行動に備えている。仲間達の行動を意識して、効率良くビヨンズにダメージを与えなければ。
●
「他のヒトを……世界を乗っ取って奪っても、その先には何もない」
ビヨンズに挑む咎人達を支援する為に馳せ参じたリダ・クルツ(ma1076)。
今もビヨンズと戦う咎人を助ける為に最前線へと赴いた。
しかし、内心は行動とは逆だった。
(アーク計画。他の世界に理想郷を生み出す。胤がいれば、それは可能だ。だが、行った先の世界は……)
リダも知っている。
世界は誰かの犠牲で成り立っている。誰かを救えば、誰かが傷付けられる。
それが世界の理だと言い切るつもりはない。ただ、ビヨンズの行動原理も天儀を、そして人を救うために始めた事なのは間違いない。
やはり、ビヨンズは何処かで道を間違えたのだ。
「止めなきゃキリがないか。援護する!」
リダは、ビヨンズを挑発。
仲間が攻撃可能な隙を作る為、ビヨンズの注目をリダ自身に集める。
「……聞いておこう。貴様も私が、古代人がこのまま変異体になれば良いと言うのか?」
「!」
「天儀に住んでいた人間は、ただ変異体になっていく状況を黙って見ているのか。友も。家族も。死ぬ事もできず、蠢く怪物になっていく。それを見守る事しかできないのか?」
ビヨンズの言葉に、リダは答えを持ち合わせていない。
同じ立場だったら、リダはどうしただろうか。そう考えるだけで、一瞬ではあるが手が止まる。人間、そう簡単に割り切れるものではない。
(……っ、ここでアイツの支援があれば……。なんてな)
ビヨンズにスキルバインドを試みる。
遊夜のように盾役は難しくとも、仲間達が攻撃をし易い状況を生み出す事はできる。
「エネルギー無駄撃ちしてくれないかな!?」
「……無駄な足掻きを。何故、無駄と分からぬのだ。いや、それが分かる頭を持つなら、この場にはおらぬはず」
「ああ。諦めは悪いんでね。それ以上に胤さんの前で格好悪い真似はできないからな」
リダは9thALICEの活動保護機構で触手からの攻撃に耐える。
ビヨンズも言うだけあって馬鹿ではない。なるべく咎人が分散するように触手を振るっている。数で押しきられないように配慮しているのだろう。
一方で、リダは時折後方へ視線を送っていた。
胤。天儀の大精霊という存在。だが、リダが接した際には普通の少年にしか見えなかった。素直で、屈託のない笑顔を浮かべる子。他の世界で出会っていれば、おそらく大精霊と気付く事すらなかったかもしれない。
「あの少年は世界を救う力がある。ならば、この世界の為に役立つべきだ」
「その義務は、あんたが勝手に生み出した義務だ。……違うのか?」
リダは煌めく雲で体を覆い、姿を隠す。
古代人が救われようとする行動は、分からなくもない。できれば、ビヨンズもシオランの前で派手には破壊したくない。
だが、胤を狙うというなら話は別だ。道具のように胤を使い潰すつもりなら、リダはビヨンズと戦う。
あの子は――もっと幸せになるべきだ。家族のようなアールフォーやリトルメックと共に。
●
その頃、胤を狙うセンチュリオンが再び接近していた。
歩み来るセンチュリオン。咎人達も更なる防衛戦を強いられる。
「まったく……もう少し柔らかい頭は持てない訳?」
夕凪 沙良(ma0598)のローレライ・透狐が、センチュリオンの上空で旋回している。
白花 琥珀(ma0119)の琥珀石の祝歌舞が、光を帯びて降り注ぐ。沙良のローレライも大きく軌道を取りながら、生命発火による攻撃でセンチュリオンを撃破していく。
「さて……前回厄介だった超回復を封じれればいいんですが……」
沙良には一つの懸念があった。
前回、ビヨンズと遭遇した際には傷を修復する機能があった。正確には負った傷を、自らの力を使用して回復していた。ダメージを与え続けても回復には相応のリソースを消費していた為、攻撃を継続する意味があった。
しかし、今回はビヨンズは部屋の奥にある壁に接続されている。もし、あそこからリソースを無限に吸収できるのであれば、ビヨンズは無限の回復を行える事になる。
(クラゲに接続されてるケーブルから余計に回復してるなんて事にはならないといいんですが)
そう言いながら、沙良はちらりとビヨンズへ視線を送る。
そこでは多方向から同時に攻撃を仕掛けられるビヨンズがいた。ここからローレライを飛ばせば、ビヨンズへ攻撃できるか。
(いや、それをすればここの防衛戦力が減りますね)
今回、咎人達の戦力は多くがビヨンズへ向けられていた。
胤達を防衛する側は、ビヨンズが倒されるまでセンチュリオンが活動すると見ていた。その為、早期決着を目指さなければ防衛側に必要以上の負担がかかる事になる。その為、ビヨンズを倒そうとする咎人が多かった。
またセンチュリオンを撃退する者の中には友軍をビヨンズまで辿り着かせようとする者もいた。防衛戦力に余力がない以上、沙良は少ない機会を狙う他無かった。
「今は防衛に注力する他いいかな。……チャンスは諦めないけれど」
そう考える沙良の間近を、ローレライが掠めるように飛び立っていった。
(世界の外にある楽園……誰もが一度くらい思う事ではありますが……)
琥珀石の祝歌舞を発動した琥珀は、胤達を守ろうとする咎人達の支援に奔走していた。
ビヨンズが考える理想は、分からないでもない。
世界の果てまで逃げれば、脅威から逃れられる。アーク計画はそういう類のものだ。
怖い物からは距離を置く。自然の発想だ。だが、そこに胤が巻き込まれる事は別の話だ。
「胤君。月には……アヤカシという人達がいます」
「……アヤカシ……」
「はい。彼らはいずれ変異体になる運命を抱えてます」
「……それは、月にいるアヤカシって人達も、怪物になるって事? どうにかできないの?」
どうにかできないのか。
胤はその言葉を口にする。
アーク計画もそうした発想からスタートした計画だ。
その考えは正しい。だが、同時に琥珀は胤に危うさを感じる。
胤は大精霊でありながら、あまりにも優しすぎる。それが分かっていても、琥珀は自らの思いを口にする。
「もし誰かの為になりたいなら、人の理を外れた亡霊でなく……今を生きる誰かが未来を奪われないよう力を貸して!」
それは古代人よりもアヤカシ達を優先して欲しいという意味だ。
胤は反射的にシオランとリトルメックを見るが、彼らは何も口にしない。
「……それ、誰かが傷付かないと……誰も助からないの?」
不安そうな顔を浮かべる胤。
その間にも琥珀は、琥珀の障壁を展開する。
「アールフォーさん!」
「おう!」
後方まで下がっていたアールフォーが、琥珀に近づくセンチュリオンをディヤウスで切り払う。
ゴリラ型のセンチュリオンと対峙していたが、胤の方へ集まるセンチュリオンが増えてきた為に一度下がった状況。一時は押し切られそうにもなるが、アールフォーの参戦で再び戦線が持ち直せそうだ。
「胤くん、ビヨンズさまの望みを叶えるということは、世界をリセットする事なんです……。それを認めるわけにはいけませんからビヨンズさまを止めるんですっ」
魔王弾を放っていた川澄 静(ma0164)が、守り刀「白鞘巻」を手にセンチュリオンへ肉薄。
斬りつけながらセンチュリオンの侵攻を食い止めようと奮戦する。
「……どちらも、助けられないの……?」
両方を救いたい。
それが出来ればどんなに良かったか。
「今の状況では、不可能かと……」
「……そんな……」
「それだけではありません。ビヨンズさまが行動を起こせば、行った先の世界にも被害が及びます」
「……でも、生きようと、助かろうとしていたんだよね……」
胤は幼い。その上大精霊であるが故に、力も持っている。
だからこそ、胤はすべてを救う術はないのかと懇願する。
その悩みは静にもよく分かる。分かるのだが……。
「胤。どんなに力があっても、万能ではないんじゃ。これから生きて行く以上、何かを選ばなければならん。それは誰しもがそうなんじゃ」
シオランが、少し寂しそうに呟いた。
その寂しさの理由を、静は知っている。
「シオランさまの友人であられるビヨンズさま。変異体に汚染されている訳ではないのなら、器を変える事で生き存える事も……」
静が言い切るよりも前に、シオランは頭を振った。
「アーク計画は、ビヨンズにとってすべてなのじゃろう。機械の体になってまで、成し遂げようとしていたのじゃ。胤を奪いに来たのも、それだけの覚悟があっての事じゃ。最早、話して納得できる段階は過ぎておろう」
シオランもビヨンズに後が無いと察しているのだろう。
だから、かなり強引な真似をして胤を奪いに来た。そもそもビヨンズが胤を諦めるとは、人生を賭けたアーク計画を断念する事になる。今まで研究を続け、機械の体になってまで成し遂げようとした計画を今更断念する事ができるのか。そのような真似をするなら、玉砕を選びかねない。
シオランは言っている。胤と同じように、自分達も選び取らなければならない時なのだと。
「……失礼致しました。ビヨンズさまに無礼な意見でした」
静は、そう言いながらビヨンズへ挑むタイミングを見計らう事にした。
やはり、ビヨンズはここで倒す他に道はない。
●
「……準備完了だ。一切合切を纏めて薙ぎ払え、セキハ!」
フリッツが秘めたる霊力を開放。
無数の鏡像による突撃を繰り出した後、オーラを纏ったフリッツによる突撃を敢行する。
「くっ、小癪な!」
ビヨンズだけではなく、ゴリラ型センチュリオンを多数巻き込む形で攻撃。
ビヨンズも複数の触手を盾に攻撃の防御を試みる。
「異世界の力を束ねた大技、見縊ってもらっては困るな」
「異世界だと? その力があってもこの世界を救う事などできぬ癖に」
「救うさ。お前の望まぬ形になるがな」
触手が引きちぎれ、ビヨンズ本体にもダメージが及ぶ。
ビヨンズの事情を加味するつもりはない。力で対抗する以上、こちらも力を行使するだけだ。
「……妄執も、世迷い言の如き理想も……悩み、考え抜いた果てに、辿り着いた結論ならば……否定は無粋……というもの、でしょう……」
氷鏡 六花(ma0360)は自らに呪いを掛けて強大な力を手に入れる。
ビヨンズが押し進めるアーク計画。それそのものを否定する気は六花にはない。
誰しも、その状況で追い詰められれば答えを捻り出す。その答えが仮に間違っていたとしても、六花は否定しない。
ただ、必ず答えには責任が伴うものだ。
「……私は遂は……無銘さんの……願い。……私にとっては……全てに、優先……します。……ビヨンズ。貴方を……この闇と氷の魔力で……完全に……破壊します」
ビヨンズ同様、六花にも事情を抱えている。
天儀開拓隊に参加した六花が、開拓の障害となるビヨンズ排除を望むのであれば。
六花は障害排除を最優先する。ビヨンズが如何なる盾を用いようとも、それをすべて破壊してみせる。
「何を……」
「……発動……」
六花の周囲に吹雪が発生していた。そして、収穫祭の魔水晶から攻撃が、次々とビヨンズの本体へ直撃する。
フリッツがこじ開けた穴。六花がそこへ追撃を仕掛ける。
「……おのれ!」
攻撃で激しく揺れるビヨンズの体。
それを振り払うかのように触手が暴れ回る。
気付けば、破壊された触手を補うように別の触手が発生。ダメージを受けた本体も、僅かながら回復を始めているように見受けられる。
(……やはり、自己修復が働くか)
フリッツの感覚では、確実に自己修復能力が発動している。
今回は消費されるリソースは壁に繋がれた配線だろう。ただ、前回よりも回復スピードが格段に遅い。
高火力で攻撃し続ければ、回復が追いつかなくなりそうだ。
「希望が見えてそれに近付けるだけの力があるなら、手を伸ばしてしまうのは仕方のないことだよね」
バトルグローブ「氷華刹那」でセンチュリオンの群れを掻い潜ってきたシアン(ma0076)。
ビヨンズの苦悩も理解できる。おそらく、ビヨンズはアーク計画が行き詰まっていたのではないか。
オビーター・トランキルでの騒動で、何故ビヨンズは動かなかったのか。下手をすれば計画の拠点になっていたファウンデーションが破壊されていたのかもしれないのに。
その答えは、ビヨンズ自身は何もできなかった。計画は事実上の無期限停止状態。研究も進まない状況ならば、このままファウンデーションが破壊されても構わない。そこへ差し込んだ希望は天儀の結界が解除された事。奇しくも天儀開拓隊が開拓の為に赴く事で、アーク計画に希望の光が差し込んだ。天儀の大精霊である胤を世界の果てへ連れて行けば、そこで新天地が創造できる。
まさにアーク計画が成就する瞬間だ。シアンから見ても、当事者なら魅力的な計画に見えると考える。
「……貴様に……何が、分かる」
「分かるさ。でも、私達咎人がそれを許す訳にはいかないんだよ」
双剣技、生命発火などで攻撃力を上げたシアン。
魔力で作り出した氷の結晶を素早く放つ。触手が光弾を撃ち出して結晶と衝突させる。
砕け散る結晶。だが、その瞬間にシアンはビヨンズと肉薄する。
「……囮か」
「恨みたいなら恨むと良い。きみの夢は、ここで終わりだ」
氷の力を秘めた青い宝石が取り付けられた格闘用のグローブから放たれる連撃。
ビヨンズの体が拉げる程の力を、何発も叩き込んでいく。
自動回復させる暇など与えない、確実で効果的な連続攻撃だ。
「……何故だ……何故、貴様らは……邪魔を、する……。シオランの……差し金、か」
「シオランさんだけじゃない。アールフォーやリトルメックも願っているよ。家族である胤を、目の前で連れ去られたくはないからね」
リダは攻撃を仕掛ける咎人達にバインドクリアを付与する。
再び攻撃態勢を敷く、咎人達。ビヨンズに肉薄する者達による総力戦が始まろうとしていた。
●
「胤、何ぞ思う所があるのか? 有るなれば言うてみよ」
胤の前に立ってセンチュリオンの群れから守ろうとする鈴(ma0771)。
狂乱戯曲【歓鬼】による双霊爪が、センチュリオンの胴体に叩き込まれる。
倒れていくセンチュリオンを前に、胤は少し怯えた表情をみせていた。
「……思う、所?」
「あ奴は、其方を使うて、ここではない天儀を作ろうとしておる。其方が望まれて居るのはこの地の為ではない……」
ビヨンズは胤を求めた。
それは古代人が変異体の恐怖から逃れる為の計画だった。その結果、胤を世界の果てへ連れて行く計画を進める。
だがそれは、この世界の為なのか。世界の果てに新たなる天儀を生み出しても、それは今の天儀の為なのか。
胤を失った天儀はどうなるのか。
天儀を復興しようとする天儀開拓隊は。
アールフォーやリトルメックは。
「…………」
「あ奴の願い1つの為に、この地で生きたい数多の命が犠牲となる」
沈黙する胤を前に、鈴は言葉を続ける。
アーク計画を成就させる事は、ヤルダバオトだけではない。世界の果ての先にある世界でも多くの犠牲が生まれる。多数の世界が崩壊の危機になるならば、天獄界の神達も黙ってはいない。確実に多すぎる命が失われる事になる。
「……でも、それだと……救えない人達も……いるのでしょう?」
「左様。然れど、己が選択に、愛すべき数多の命が関わる事を自覚せよ」
ステップ斬撃を仕掛けてくるセンチュリオンへ灰被リノ時計塔。放たれる魔法攻撃でステップ斬撃の態勢を崩す事に成功する。
胤へ酷な選択を迫る事は理解している。どちらを取っても誰かが傷付き、希望は打ち砕かれる。
どちらが良いのか選択しなければならない時、胤はどう行動するべきなのか。
「……リトルメック……」
「胤。誰かを助けたいって気持ちは大切だよ。でも、それで胤が傷付いては意味がないんだ」
「……意味が、ない?」
リトルメックの言葉を理解できない様子の胤。
「胤がオイラやアールフォーを大切に思ってくれているのは分かってる。だけど、同じぐらいオイラも胤が大切なんだ。胤が苦しむ姿を、オイラは見たくないよ」
胤はアールフォーやリトルメックを家族同然と考える。
その考えはリトルメックから見ても同じだ。
そして、家族が傷付き苦しむ姿を、誰が好んで見たいというのか。
「胤、決断の時ぞ。覚悟を決めねばならぬ」
「……アールフォー」
胤は少し間を置いた後、アールフォーの名前を呼んだ。
待っていたかのように、アールフォーは胤の近くまで歩み寄る。
「なんだ?」
「……お願い。ビヨンズさんを、止めて……」
「……分かった」
小さく頷いたアールフォーは、再び戦いを挑む為にビヨンズの方へ向かって行く。
鈴とすれ違い様、アールフォーは小声で喋り掛ける。
「胤を頼むぞ」
「無論」
悲しそうな胤。
だが、明確なビヨンズの拒否を決めた覚悟がそこにあった。
●
「ヒトならざる機械の巨体……独善も此処までくると滑稽ですね」
混沌渦巻く戦場の中、茨木 魅琴(ma0812)は一人静かに所定の位置を陣取る。
標的はビヨンズ・センチュリオン。機械の体を手に入れた滑稽で、哀れな研究者。
シオランの友人らしいが、魅琴も咎人として容赦するつもりはない。
「大きな体はいい的になりますよ」
SR-オーベロンの照準を、ビヨンズの機体へ合わせる。
触手が本体の前で動いているが、距離を取っている魅琴にとっては狙うべきポイントは数が多い。あの巨体は接近すれば脅威かもしれないが、遠距離から狙撃するとなれば良い的だ。さらに魅琴はオーロラのように煌めく氷の結界を展開して、存在感を可能な限り消している。
(……友軍が、触手を牽制……敵が十時方向から一撃……)
標準を通して繰り広げられる光景を、魅琴は静かに観察する。
それは別世界の戦争を遠目から見つめる観察者。だが、魅琴は間違いなくこの戦場に存在する。
頬の撫でる空気も、耳に届く戦闘音も。戦場独特の臭いも。
魅琴が天儀を巡る戦いに身を置く証である。
「ビヨンズ、それが貴方の望みなら私たちが応えてあげましょう」
呼吸を大きく吐き出す。そして、吸い込むと同時に息を止める。
銃身を安定させた後、人差し指に力を込める。
次の瞬間、放たれた弾丸がビヨンズに向かって撃ち出される。
弾丸は触手の隙間を掻い潜り、ビヨンズの装甲に突き刺さる。
「?」
ビヨンズが異変を感じ取る。
何かが命中した。
異常を確かめようとするビヨンズだが、ビヨンズ本体の下部に氷に覆われていく。
「避けて……いえ、壁に繋がれているなら避けられませんね。そのまま受け続けなさい」
弾丸に続いて飛来した蝶が、ビヨンズを更に凍り付かせていく。
本体は動けないが、周辺の触手には少なからず影響があるはずだ。
その間に魅琴は狙撃ポイントを移動する。友軍の動きに合わせて、後方からの支援狙撃を行わなければならない。
あの目標は、必ずここで仕留めて見せる――。
支援を行っているのは、魅琴だけではない。
ビヨンズを狙うセンチュリオンを食い止めようとする者もいた。
「アレは世界を捨てる為に戻ってきた。捨てる為の力を得るためにね」
機動ユニット「十六夜」を駆る透夜(ma0306)が、センチュリオンの群れへ飛び込んで周囲を薙ぎ払う。
ビヨンズを狙えば、ビヨンズは防御を固める意味でも近くのセンチュリオンを呼び戻すはずだ。それを見越した透夜は、周辺のセンチュリオン撃破に専念していた。
「そこにこの世界で生きるという願いはない。別世界を選んだんだ」
吹き飛ぶセンチュリオン。
だが、異変に気付いたゴリラ型のセンチュリオンが透夜に向かって動き出す。
「!」
地面へ転がるセンチュリオンを無視するゴリラは、大きく振りかぶった右腕を透夜の頭上へ振り下ろす。
透夜もゴリラの存在を視認。早めに外部スラスターを噴射して軌道を修正。ゴリラの一撃を回避する。
同時に自身のシールドエネルギーをゴリラに向かって放出。衝撃波となってゴリラを襲う。
そして、透夜はゴリラから距離を取る。
(アーク側からの供給を断てれば、それだけ弱体化させられるかも)
冷静に状況を分析する透夜。
ビヨンズは背面が壁に接続されており、そこから回復に必要なエネルギーを吸収している。現時点で高火力の攻撃で押し続けなければダメージが蓄積していかない。仮に、この壁との接続を切断できれば、ビヨンズは自ずと回復に手間取るのではないか。
「チャンスは少ないが、正面に気が惹きつけられている今なら……」
「!」
透夜は、ビヨンズへの攻撃を検討する。
だが、持ち直したゴリラが、再び透夜を狙って接近してくる。
「くっ、先にこちらを止めなければ」
向き直る透夜。
しかし、次の瞬間にゴリラの足元が凍り始める。
「悪いけど、邪魔しないでもらえますか」
魅琴のSR-オーベロンがゴリラを捉え、その体を足元から凍結させていた。著しく移動が遅くなるゴリラ。
機械を得た透夜。その間にビヨンズの背後近くへと移動する。
「天儀は再生している。お前の行動はもう計画を越え肥大化した……欲だ」
最早、アーク計画は崇高なる使命を失っている。
計画達成が、ビヨンズの欲となっている。その欲を断ち切らなければ、この世界は救われない。
意を決した透夜。ビヨンズが壁へ接続された箇所を双槍で攻撃し始めるのだった。
●
ラファル・A・Y(ma0513)の眼下に広がる光景。
センチュリオンの群れを抑え込む咎人達。
一方で巨大なビヨンズへ果敢に立ち向かう者もいる。
そこかしこで戦闘音が鳴り響き、ラファルの心の導火線が少しずつ火花を散らし始める。
機動装甲服改「ブギーマン」で空中を移動。更に光学迷彩インビジブルフェアリーでその姿を隠している。その影響もあってセンチュリオン達は、ラファルの存在にまったく気付いていない。
(さて、どうしてやろうか……)
センチュリオン達の無防備な状況を目にしながら、如何なる攻撃を仕掛けようか思案する。
七砲身ガトリング砲「shutdown-7th」で蹴散らしても良いのかもしれないが、せっかくの奇襲だ。出来るならば一発目は派手さが欲しい。そう考えたラファルがチョイスしたのは、超巨大凍結ミサイル「ギガンテックフリーザー」であった。
「ディキシイを聞かせてやるぜー」
叫ぶラファル。
同時に発射されるギガンテックフリーザー。
センチュリオン達が気付いた時には、もう遅い。放たれたギガンテックフリーザーが炸裂。直撃した周辺のセンチュリオンが動きを封じられていく。そこをラファルは追撃を掛ける。
「そしてどぶに落ちた犬は沈める」
動けなくなったセンチュリオンに向け、shutdown-7thによる追撃を開始する。
この状況ならばビヨンズが迎撃する形を取るのだろうが、ビヨンズは咎人達の対処で手一杯。結果的にラファルが一方的にセンチュリオンを撃破していく。
一方、この状況に呼応する形で地上からセンチュリオンを撃破していく者がいた。
「ただの有象無象であれば蹴散らすのみ」
氷雨 絃也(ma0452)は、ラファルが倒したセンチュリオンを掻き分けるようにゴリラ型センチュリオンへ向かっていた。
胤達の護衛をメインに行っている咎人は多い。ビヨンズの狙いが胤である以上、狙われる場所を守るのが当然だ。また、本体であるビヨンズを叩いて早期解決を図る事も納得できる。
こうなった場合、鍵になってくるのはセンチュリオンの中でも上位に位置するゴリラ型センチュリオンだ。
厚めの装甲に加えて触手を筋肉のように使用する事で怪力を生み出している。特に太い腕から繰り出されるストンプは、近くの咎人を妨害しかねない。絃也は、ゴリラの動きを止める事でビヨンズと戦う咎人達の支援を考えていた。
「っ!」
駆動装甲「黒渦」背部のブースターユニットから、片翼にも似た黒い炎が噴き出す。
噴射する事で体勢を修正。さらに突進力も急上昇させてゴリラへと肉薄する。
その直後、地面が大きく揺れる。
ゴリラが地面を派手に叩き始めたのだ。周辺の床に振動が伝わる。黒渦自身は装甲に定評のある機体だ。だが、揺れによって狙いがブレてしまう。
(……それなら!)
跳躍。
黒渦がほんの僅かな時間、宙を舞う。
そして、着地すると同時に華剣「流歌」が軌跡を描く。ゴリラの脚部に加え、周辺のセンチュリオンを巻き込んで斬りつける。これでゴリラが倒れるとは思っていない。ゴリラの注意を絃也へ惹き付けられれば十分だ。
「……」
こちらの想定通り、ゴリラは絃也の方へ体の向きを変える。
まるで見下すような視線。今からその視線を正面から修正してやらなければならない。
「もう少し付き合ってもらおう。なに、そんな長い時間じゃない」
黒渦を再び走らせる絃也。
戦いが終結するまで、如何にこのゴリラを料理してやろうか――。
●
「その計画は二番煎じだ! 成功しても碌な事にならないよ」
躑躅(ma0256)は、ビヨンズに近づくセンチュリオンへ超高速の連撃を叩き込む。
ビヨンズが自動回復するという事は、必然的に時間がかかる。そうなれば、ビヨンズ近くのセンチュリオンが黙っているはずがない。ビヨンズを狙う咎人を、背後から襲おうとする個体も存在する。
躑躅は、そのようなセンチュリオンが確実に倒し続けていた。
「次!」
息つく暇もなく、躑躅はセンチュリオンのステップ斬撃を開始して連撃を繰り出した。
天儀開拓隊が天儀へ到着して神霊樹の植樹を開始。
拠点を広げながら、徐々に天儀の環境は改善し始めた。さすがに天儀すべての環境を変えるには至っていないが、神霊樹の植樹が進めば不可能ではない。言うなれば、天儀開拓隊は天儀復興という種を蒔いたばかりなのだ。その種が芽吹き、成長するまでにまだまだ時間がかかる。
未来を感じさせる開拓。その開拓の火を、ビヨンズに消させはしない。
「この世界は再生の道を歩み始めてるんだ!」
躑躅は、叫ぶ。
天儀は、再び人と歩み始める、いや、月からアヤカシがやってきて今以上に良い世界を生み出す。
それが為されるまでには、気が遠くなるような時間がかかるだろう。それでも、その想いが受け継がれるのなら、遠くない未来に実現するに違いない。
「……戯れ言を……救いは、この天儀に……ない……」
ビヨンズが咎人達に向けてサウザンドウェーブを発射する。
触手から一斉に放たれる多方向ぼビーム攻撃。四本のビームが上空や地上へ振るわれ、その度に床や天井が激しく焼かれる。
センチュリオンを巻き込むのもお構いなし。周辺に集まる咎人を打ち払おうとしているのだろう。
だが、躑躅は敢えてビームが発射される触手へと接近する。
「この世界を想うなら止まって!」
地面を叩いた触手に合わせて、躑躅は飛び上がる。
そして双頭の蒼き鷹を思い切り振り下ろした。
刃が触手へ激しく食い込んだ。
「……くっ」
「信じろ……この世界を!」
それは、躑躅から漏れ出た一言だった。
アーク計画は天儀から離れ、世界の果てに安住の地を築く計画。
言うなれば、この世界を見捨てて自分達だけが助かろうとする計画だ。自分達はそれで生き存えるだろうが、見捨てられた天儀はどうなる。それは胤がそのまま見捨てられるようなものではないか。事実、アールフォーやリトルメックがいなければ胤はどうなっていたのか。
犠牲が必要にならない方法が、きっとあったはずだ。
「……何も……知らぬ癖に……」
「確かに知らない。だからこそ、絶望はしない。世界は、もっと強くて自由なはずだから」
躑躅は飛び退き、再び周囲のセンチュリオンへ戦いを挑む。
戦い続ける限り、倒れない限り、まだ希望は潰えないと信じて。
●
「銃撃つだけがデストルドーって訳じゃない、魔術も一応ね?」
鞍馬 雪斗(ma1433)が【死穢】を展開。
複数のセンチュリオンを巻き込みながら、死線を掻い潜っていた。今回はいつもの仲間が不在である故、シオランを護衛しつつも積極的にセンチュリオンを撃破する方向で戦っていた。既に多数のセンチュリオンを打ち倒している。
だが、センチュリオンの襲来が収まる気配がまったくない。
(キリがない……か、まぁ大将が健在だったらしょうがないか……)
雪斗がサイコブック・プライムでセンチュリオンを蹴散らす。
センチュリオンを倒しても後続部隊が現れる事は、何度も目撃している。ビヨンズを撃破するまでは、この増援が途切れる事は無さそうだ。
事実上の持久戦。それでも雪斗は決して諦めない。
「攻撃は抑えさせて貰うよ……近くであれば自分の領分だからな……!」
雪斗は、サイコブック・プライムで近くのセンチュリオンへ応戦する。
単騎での戦いとなってしまい、やや苦しい局面もある。だが、それでも周囲の咎人と連携はできている。シオラン達へセンチュリオンを近付けない目標も、現時点では成功していると言って良いだろう。
(問題はこの戦いが何処まで続けられるか、かな)
センチュリオンのステップ斬撃を回避しながら、魔法攻撃を放つ。
ビヨンズを追い詰めているのは間違いない。
厄介なのは自動回復だが、それも透夜を中心に接続された壁とケーブルを破壊するべく動いている。もし狙い通りに行けば、局面は一気に咎人側へ流れ込むはずだ。
「そこまでこの戦線を維持しないと……」
戦場の中、雪斗は単騎で戦い続ける。
背後を守る者達は不在だが、己に課せられた任務だけは確実に遂行しなければならない。
(こんなところで、立ち止まれないよね)
戦いの中、雪斗決意を新たに次のセンチュリオンへ向かっていくのだった。
(シオランさん、あなたの友を思う気持ち、しかと受け止めました)
更級 暁都(ma0383)は、寡黙なまま昇鯉を振り抜いた。
倒れ、鉄塊と化したセンチュリオンを踏み分けながら、接近する後続を斬り伏せて行く。
シオランは過去を多く語らない。今のヤルダバオトは既に古代人の物ではないと断じても、変異体と化した古代人を見て何も思わないはずがない。
(怪物に成り果てた哀れな古代人を解放してあげたいものです……)
暁都は瞬間的に加速して、一撃の間合いで鞘から昇鯉の鯉口を切る。
独特の音が鳴ったと同時に、叩き込まれる斬撃。センチュリオンの胴体に、大きな傷が刻まれる。
変異体となった古代人。自ら死する事もなく、意識らしい意識も存在しない。それでも無限の時間を徘徊し続ける。そんな彼らを救うためには、他者の手で屠る他無い。それが唯一の救済だそうだ。
「む。新手じゃ。気を付けるのじゃ」
後方からシオランの声。
暁都が顔を上げれば、そこにはゴリラ型センチュリオンの姿があった。
打ち崩せない防衛ラインを前に、センチュリオン側が攻勢に出たのだろうか。
だとしても、暁都のやる事は変わらない。
「胤さんとリトルメックさん、シオランさんは傷付けさせません」
暁都は、地面を蹴った。
時折、センチュリオンの刃が向けられるが身を屈めて前へ突き進む。万一ゴリラ型センチュリオンがシオラン達へ接近すれば、巻き込まれる恐れもある。可及的速やかにゴリラを屠る必要がある。
「行く手を遮るなら斬り捨てるのみ」
暁都が昇鯉を前方へ突き出した。
切っ先はゴリラへと向けられる。まずは周囲にいる有象無象を倒して道を切り拓かねば。
「更級心刀流奥義、焔月無塵」
体に捻りを加え、昇鯉に遠心力を乗せる。
回転と同時に周囲のセンチュリオンを巻き込み、次々と斬り倒していく。
向かう方向は、あのゴリラ。あいつだけは、ここで足止めする。――絶対に。
「胤。おねーさんが護ってあげるよ。キミも君の家族も」
「……う、うん」
鳳・美夕(ma0726)は、胤にそう話し掛ける。
今回の戦いにおいて、胤は自ら進んで同行していた。理由は分からないが行かなければならない気がする、と。
理由は胤自身も分からないのだろうが、如何なる場所へ行く事になっても美夕は胤を守ると決めていた。
琥珀石の守護で胤とリトルメックを守っているが、問題はセンチュリオンの増援だろう。
「……あの」
「ん?」
「……なんで、みんな……そこまで……してくれるの?」
ふいに胤から問いかけられた。
美夕だけじゃない。他の多くの咎人も今回の戦いに身を投じている。
依頼だから、と言い切るのは簡単だ。だが、胤が求めている答えは、そんなものじゃない。
「そうだな……」
美夕は一呼吸を置く。
脳裏を巡らせて自らの考えを整理していく。
そして、一つの答えを導き出す。
「私も、君の友達になりたい」
「……え?」
「君に語ってあげた様な冒険を、何時か君と、皆でしたいから」
胤と友達になりたい。
気付いた時には、この天儀にいた胤。砂と鈍色の空ばかりの世界で、胤は生きている。
リトルメックとアールフォーがいるとはいえ、彼はこの光景しか知らない。
そんな中で胤にとって咎人の冒険譚は強い興味をそそられる。彼らの話は胸が躍る絵本のようだ。
「……友達」
「そう。それに友達なら、胤の家族だって守りたいでしょ」
そう言いながら、迫るセンチュリオンへ紅瑠璃白雪の一刀。
周辺の仲間がかなり敵戦力を削ってくれているが、増援は未だに続いている。ビヨンズの拠点と考えれば、それも無理からぬ事だ。
「…………」
「それを大事にして。それはきっとなにより大事なものだから」
美夕がセンチュリオンを斬り伏せながら、そう言い掛ける。
胤の家族は、おそらく心の支えになっている。リトルメックもアールフォーも、決して喪われてはならない。
「だから、生きて。必ず守るよ!」
改めて美夕は誓う。
胤を、友達の大切な物を、絶対に守り抜いてみせる。
●
「難しい話は抜きにして。俺はアールフォーの家族を守る為に戦うよ」
「そうか……」
アールフォーは、ケイウス(ma0700)の言葉にそう応えた。
遠距離からラートリーでビヨンズを狙っていたアールフォーは、触手を薙ぎ払うかのようにレールガンの弾丸を撃ち込んでいく。、連射ができない代わりにラートリーの一撃は重い。
ケイウスは、あまり内心を語らないアールフォーを理解し始めていた。
それは、胤からビヨンズを止めるようアールフォーに頼まれた時だ。胤がアールフォーを家族と思っているように、アールフォーも胤を家族を認識している。そして、家族の為なら如何なる状況でも最善を尽くす事ができる。
「大切な人に生きて欲しいって気持ちなら、俺にもよく分かるから!」
「大切な人、か。……俺は、胤が頼むのであれば如何なる敵でも排除する。世界のすべてを敵に回そうとも、だ」
アールフォーは接近するセンチュリオンをディヤウスの一撃で貫いた。
この砂の星となった天儀の中、アールフォーは胤を守ると決めている。どうしてその考えに至ったのかは分からない。だが、アールフォーが胤やリトルメックを大切にしている事だけは分かる。
そして、その大切な人の為なら十二分に力を振るえる。
「……今だよ、シアン!」
ケイウスが味方を癒やしながら、ビーナスレインでセンチュリオンを足止めする。
センチュリオンが動きを止めた事で、ビヨンズの触手まで一直線に道が出来上がる。
そこをシアンが一気に突き進む。
「そろそろ決着を付けようか」
鮮花閃光でセンチュリオンを斬り伏せながら、シアンがビヨンズへと近づいていく。
バトルグローブ「氷華刹那」の連続攻撃で、触手は激しく揺れる。
ビヨンズも光の弾で反撃しているが、シアンを捉える事ができないようだ。
「お前も……ここに大切な人がいるのか?」
「そりゃあ、大切な人というか……友人が」
ケイウスの友人であるシアンは、今もビヨンズへ肉薄している。
危険になればシアンを守る為に動くが、シアンが友人だからこそ気にしている面もある。
「そうか。大切な人との繋がり……忘れたくないものだな」
アールフォーがそう言いながら、ラートリーの次弾を準備する。
その時、ケイウスに一つの推理が生まれる。
「繋がり……。もしかして」
その推理を元にケイウスは行動を開始する。
アールフォーに後を任せ、ケイウスはホーリーストリングで移動。向かう場所はビヨンズの近く。正確にはビヨンズが接続されている壁に向かう。
「……ん? あれって……配線?」
ケイウスが到着。そこでは透夜が懸命に配線へ攻撃を仕掛けていた。
壁に接続されているが、正確には壁から伸びたケーブルがビヨンズへ繋がれている。
「ビヨンズと繋がってる」
「あ、良いところに。あの配線を攻撃して欲しい。あれを切断できれば、戦況は変わるはずだ」
透夜がケイウスへ救援を求める。
透夜だけで攻撃していては時間がかかる。早々にケーブルを切断する為には、味方の火力も欲しい。
「よし、それなら!」
ケイウスはビーナスレインを発動。
壁に接続されたケーブルを集中して攻撃を開始する。
さらに――。
「シアン、こっちに来て欲しい。ビヨンズに繋がれた配線を切断して欲しいんだ」
「……了解」
ケイウスは更にシアンへ招集を掛ける。
このケーブルへの攻撃が、咎人との戦いを大きく揺れ動かす事になる。
●
「やった。これで」
「……ぐっ……貴様……」
透夜の一撃が、ビヨンズを壁から引き剥がした。
地面へ派手に墜落するビヨンズ。
壁と接続されていた部分を集中的に攻撃していた透夜が、ついに狙いを成功させる。壁から引き剥がせれば、ビヨンズは回復に必要なエネルギーを供給できなくなる。
「ビヨンズさま、御覚悟を」
ここを機会と見定めた静が、一気にビヨンズへ畳み掛ける。
守り刀「白鞘巻」を手に魔法攻撃。地面に転がっているが故に、触手で十分に防御する事ができない。ビヨンズの装甲に連続で衝撃が走る。
「あら。随分とお似合いの姿ですわね」
いつの間にか、ヨミがビヨンズの近くにまで接近していた。
その間合いは明らかにヨミの刀が届く間合いである。
「……貴様ら……私を……どうするつもり、だ?」
「どうするも何も。戦争となれば、すべき事は一つですわ。ふふふふふ」
ビヨンズが触手でヨミをはね除けようとする。
だが、それよりも早くヨミが抜刀。触手を一撃で両断してみせた。
「ビヨンズ。誰かを、何かを犠牲にして生き延びる生に、本当に意味があると?」
高柳 京四郎(ma0078)が一歩前に出る。
既に周囲は咎人で取り囲んでいる。ビヨンズが体勢を整えよとしても、その前に咎人が集中砲火を浴びせかけるはずだ。自動回復の機能があろうとも、高火力のダメージを一気に叩き込めば回復する暇もないだろう。
「……ある……。私は……人は、誰しも……生きねば、ならん……」
「その生の選別をするのが、ビヨンズ……お前にあるのか?」
「……愚問……崇高な使命を……帯びた以上……その責任を、背負う……覚悟が……違う」
ビヨンズは断言する。
京四郎は研究者であるビヨンズに、今一度聞いておきたかった。
アーク計画を進めてきたビヨンズが、如何なる覚悟を持って臨んでいたのか。アーク計画は一種の人の選別をしている。生きるべき人と犠牲になる人が生じる。誰が生きて、誰が見捨てられるか。その選別は、謂わば神であり、悪魔の所業だ。そこに生じる責任は一人で背負うにはあまりに大き過ぎる。
そして、問答の末にビヨンズは覚悟を決めていたと気付く。
「ならばここからは意志と意志のぶつかり合いだ。語るは言葉ではなく、その身とこの刃と行こうか……互いの譲れない物を懸けてな」
京四郎は、ジェネレイトブレイド「鷹」を鞘から抜いた。
既にここへ辿り着く前に多数のセンチュリオンを倒し、味方から多くの支援を受けている。ビヨンズへ叩き込むべきは、京四郎渾身の一撃。背中に桜吹雪の刺青が浮かび上がる。
「……させる、か」
ビヨンズは薙ぎ払うように触手を動かし、光の弾を発射する。
だが、十分に狙い定めた攻撃ではなかったようだ。光の弾は京四郎の脇へ逸れていく。
それでも京四郎はビヨンズから意識を外す事はなかった。
「その覚悟、しかと拝見した。その上で、ビヨンズ……その覚悟を越えさせてもらう」
「……お前に……安息を、求めるすべての者達を……背負えるの、か」
ビヨンズの問いかけ。
その答えの代わりに、千本桜は怪しく咲き乱れる。
そして、鷹の柄を強く握り締める。
「背負うさ。……それが、必要となるなら」
京四郎が振り上げた鷹を振り下ろした。
多数の攻撃を受けてきたビヨンズの装甲。そこを狙うように振り降ろされた一撃が、ビヨンズの装甲を穿つ。
さらにヨミが駄目押しとばかりに斬撃を重ねる。
「折角ですから、介錯を務めましょう。あなたは弱者であるが故に、ここで散るのです」
刻まれた傷から激しい火花が生じている。
それは、ビヨンズに致命的な一撃が加えられた証でもあった。
「……馬鹿な……私が死ねば……アーク計画が……安息の地、が……」
事実を受け入れられないビヨンズ。
その様子を京四郎は黙って見つめていた。
アーク計画に、ヤルダバオトを襲った悲劇に翻弄された研究者。
ビヨンズの熱意が、想いが消え去っていく。
「……終わりましたわね。それなりに楽しめましたわ」
ビヨンズが沈黙した後、ヨミは満足そうに刀を鞘へ戻した。
ビヨンズが停止したのであれば、胤がこれ以上狙われる事もない。これで天儀に平穏が訪れるはずだ。
「…………」
ヨミは京四郎が視線を向けている事に気付いた。
「何か?」
「……いや、何でもない」
そう返す京四郎。
軽く首を傾げながらヨミは踵を返してシオラン達の元へ戻っていく。
その様子を目で追っていた京四郎は、内心で警戒を強めていた。
(……さて、ヨミが動くとすればこの辺りのタイミングだろうか……?
いや、さらに後で動くかもしれない。不意を突くなら……)
ビヨンズが倒れ、沈黙したアーク。
シオランは咎人を護衛につけ、その内部調査の為に踏み込んだ。
「これは……!」
アーク計画。それは滅びゆく天儀から命を運び出し、守る――保管する為の計画でもあった。
「天儀の動植物のゲノムデータや、それに……人間たちの魂を保管したものまで……ビヨンズ……お前は……つくづく天才じゃったか」
アークの中に逃れた人々も、結局は変異してしまったらしい。だがその魂を抽出し、保存するという独自の技術をビヨンズは開発していた。一部はヤルダバオト・エミュレーターにも搭載されたものだが、ビヨンズ製のそれは、人間だけでなく『動植物の魂』なるものまで保護する効力を持っていた。
「確か、そもそも変異体の発生は天儀の魂の異常――特に、『循環』の異常が原因でしたね?」
ヨミが問う。変異体の発生は大精霊の力の使い過ぎ、即ち一方的な魂の搾取が主な原因だ。それは先のヤルダバオト・エミュレーターの事件を経て、保存された多くの魂が天儀に還ることになり、それによって若干状況緩和している。
「ああ。これだけの魂を天儀に戻すことが出来れば、天儀の回復は一段と進むことじゃろう」
ビヨンズがここまで運んできた巨大なタイムカプセルは、結果的には天儀復活の役に立つらしい。
「……すまぬな。お前が生涯をかけて守り抜いたアークは、天儀の為に使わせてもらうぞ」
(執筆:近藤豊)
紅雨(ma1464)の口から、そんな言葉が零れ落ちる。
宇宙に浮かぶファウンデーションで、自分の世界へ引き籠もる。
自らの研究は進んだのだろうが、その結果が――この有様だ。
「人に言われて初めて気づくこともありますからね。誰かに聞いてもらうって、やっぱり大切なんですよ」
迫るセンチュリオンに向け、オルトジャスティス。
降り注ぐ光の雨が、センチュリオン達の出鼻を挫く。
歩みを止めたセンチュリオンをはね除けるように、後方のセンチュリオンが紅雨へ迫る。
(ここで止まってくれたら楽なのですが……)
紅雨は、チラリと背後に視線を送る。
そこには、胤とリトルメック。そして、シオランが見守っている。
センチュリオン達の狙いは、胤。ビヨンズに胤が奪われてしまえば、ヤルダバオトに再び危機が訪れる。
「目論見通りには、させられないんです。そうなれば、こちらの商売もあがったりですから」
「紅雨だっけ? 大丈夫なのかな?」
不安になったのか、リトルメックが声を掛けてきた。
リトルメックの傍らには縋り付くように胤がいる。
いざとなれば、リトルメックは胤を乗せて移動できる。しかし、多数のセンチュリオンに囲まれるような事があればリトルメックに抵抗する術はない。
「大丈夫です。商売人は、信用第一ですから」
敢えて胸を張る紅雨。
虚勢に見るかもしれないが、実際には多数の咎人がビヨンズとセンチュリオンに向けて動き出している。
紅雨は自らが守り抜くと決めたリトルメック達の側に立つ。
ここから――センチュリオン達を通さない。
「流石に……は。アハハ。今回も身体はりますかぁ」
「え?」
「いえ、何でもありません」
そう言った紅雨は、黒翼の魔符を片手にセンチュリオン達と対峙する。
●
「自分で止まれないなら止めてやるしかないな」
一方、別方向から迫るセンチュリオンに対して麻生 遊夜(ma0279)は、タバコ型菓子を咥えてじっと見つめていた。
ビヨンズ達を哀れとは思わない。そういう道を選んだのはビヨンズ自身であり、走り出したら自分では簡単には止められない。
遊夜が知っている不器用な連中もそうだった。走り出した以上、ボロボロになるまで走り抜くか、誰かに張り倒してもらわなければ止まらないのだ。
「払った犠牲も、経った時間も、妄執にまでなった未来への想いも全部受け止めてやろう」
咥えていたタバコ型菓子を、パッケージへと戻す。
ビヨンズの計画を遂行させる訳にはいかない。相手が力で挑むというなら、遊夜も全力で受け止めて全部吐き出させる覚悟だ。
「動きましたか」
遊夜と並び立つように、マイナ・ミンター(ma0717)が姿を現す。
その傍らにはマリエル(ma0991)が控えていた。
「マイナさんもアイツに付き合うつもりか?」
「……ビヨンズさんの、私達が望まぬ願いも叶えてしまうのが大精霊です。取れる手段の中で、可能なものを選択し究めるのが研究者ですが……手段と目的を混同しがちなのもまた研究者。厄介なものですね」
マイナはビヨンズの研究者気質を理解していた。
アーク計画もヤルダバオト計画同様、天儀再興を目指す計画だった。古代人が滅亡を逃れる為に抗い続けたのだが、その結果が胤を巡る戦いだ。胤が大精霊として力を振るえば、確かにアーク計画が実行できるかもしれない。しかしそれは、あまりに大き過ぎる犠牲の上に成り立つ。
それでも研究者という人種は、選択肢の一つとして危険な可能性を見出してでも目的を達成する。
後に、大罪人の罵らせようとも。
「俺から言わせれば、器用に生きられない馬鹿の一人だよ。ビヨンズは。だから、誰かが無理矢理にでも体張って教えてやらなきゃならねぇ」
「そう、かもしれません。でしたら、私達のやるべき事を致しましょう」
マイナは秘めたる霊力を解放する。
マイナも遊夜同様、胤達を守り抜くつもりだ。
だが、同時に咎人側が抱える戦力をビヨンズまで送ろうとしていた。
「ヨミさん。一目散に、ビヨンズさんへ向かって下さい。後方は私達にお任せを」
骸の氏族の氏族長。胤の守護者であるアールフォーと戦っても見劣りしない、アヤカシの中でも有数の戦士。
ヨミと呼ばれたその女性は、今宵も命を賭した戦いにその身を捧げようとしていた。
「良いでしょう。今度は先日のように逃がしません。必ず、ここで仕留めて見せます。あれは、誰にも渡しませんわ」
ヨミは一足飛びに飛び出すと、センチュリオンを斬り伏せながら前へと進んでいく。
獲物を見つけた獣が、食い散らかしながら突き進む。
それでもセンチュリオンの群れがヨミの退路を断ちながら、マイナ達へと迫ってくる。
「マリエル」
「承知しました。お嬢様の思いのままに」
マリエルは、マイナから命じられるままに聖樹の一花を振るう。
全面にいたセンチュリオンに魔法攻撃が命中。上半身が仰け反る。その傍らをすり抜け、別のセンチュリオンがマイナへ襲い掛かる。
だが、マイナの前に二本の大きな腕が割り込んだ。
「おっと。レディーに無断でのお触りは厳禁だ。入店時に聞いてなかったか?」
センチュリオンのステップ斬撃を強引に砕けぬ矜持の右腕で受け止めた遊夜。
攻撃が止められた事に気付いたセンチュリオンだが、瞬く間に遊夜に殴られて地面へと転がる。
「我が信念と矜持の楯は堅牢なり! さぁ、俺を突破して見せろ!」
「さすがです。では、私達も参りましょう。マリエル」
「はい、お嬢様」
マイナとマリエルもセンチュリオンを前に動き出す。
こうして、胤を巡る戦いは本格的に開始するのであった。
●
「……そもそも、ビヨンズ以外の古代人は生きているのか?」
天魔(ma0247)は護衛対象であるシオランへ話し掛けた。
ふいの問いかけに、シオランは思わず聞き返す。
「何?」
「生きているのか、古代人?」
「どうじゃろうな。ワシのようにコールドスリープしている事も考えられるが、確率は低いじゃろうな」
「いないなら、胤を連れ出しても人のいない天儀が生まれるだけでは?」
天魔が気になっていたのはアーク計画だ。
ビヨンズは計画に従って胤を世界の果てへ連れて行く。そして、世界を越えて胤を連れ出す事で新たなる天儀を創造する。
しかし、古代人が存在しない状況で天儀の創造に果たして意味があるのか。
誰も帰ってくる事のない天儀を生み出すだけではないか。
「どうじゃろうな。ワシもアーク計画については詳しくは知らん。だが、もしそなたの言う通りならば……ビヨンズはとうの昔に壊れていた事になる」
シオランからため息が漏れる。
元々アーク計画も古代人が生き残る為の計画だ。その古代人がいなくなった状態で、果たして計画遂行に意味があったのだろうか。もしかするとビヨンズがファウンデーションを改修して多くの古代人が眠る場所を確保している可能性もある。だが、あったとしても先日のオビーター・トランキルでの騒動で無事だったかは分からない。
「ところで。一つ懸念が」
「何じゃ?」
「ヨミの事だ」
天魔が気にしているのは、ヨミの事だ。
胤が特別な存在と認識している。同時に危険である事も理解している。
この微妙な立場でありながら、胤の存在に妙案を持つという。
しかしながら、ヨミの性格はあまりに好戦的。ヤルダバオトの価値観を良い意味でも悪い意味でも大変した族長。その族長が抱く妙案だ。天魔が想像するだけでも、嫌な予感が拭えない。
「言いたい事は分かる。しかし、現時点で出来る事は警戒する以外できぬだろう」
シオランもヨミに対しては手の打ちようが無い様子だ。
確かに胤について何かを考えているのだろう。だが、行動に移した形跡はない。今はビヨンズとの戦闘に注力しているからだろうが、ヨミの動きに注意を向けるぐらいしか手がない。そもそも下手にヨミの身柄を拘束すれば、咎人側の戦力が落ちる事になる。
「ああ。仕掛けるなら、この戦いの後だろう。今は、この戦いを乗り越えるのが先決だ。集まってくれ」
天魔はシオランや胤達に絶対領域を付与する。
同時に、天魔がヨミを追うように見つめる。この警戒が杞憂になれば良いのだが――。
●
「だから、邪魔だって!」
鐵夜行(ma0206)が双扇「ツクヨオリガミ」を振るい、センチュリオンの群れを押し通る。
仲間達にシオランの護衛を託しているが、鐵夜行にはもう一つ為さねばならない事がある。
アーク計画の要にして、シオランの古き友である存在。
ビヨンズ・センチュリオンを倒す事である。
「……あれかな」
センチュリオンを掻き分ける度に、視界に入る黒金の装甲。
部屋の一番に奥にケーブルで繋がれた巨大なクラゲのような金属。触手に見立てた腕を振り回し、咎人の到着を待ち受けている。
「性懲りも無く現れたか。貴様等、何故邪魔をする」
「何故? そりゃ止めるでしょ。アーク計画もヤルダバオト計画と同様に問題あるんだから」
以前、鐵夜行はオビーター・トランキルで巻き起こった多重宇宙における危険な計画に関与した。
咎人達の戦いで危機は乗り越えたが、もし失敗すれば天獄界から神が来訪。ヤルダバオトそのものを破壊していたかもしれない。
今回のアーク計画も同様の危機を孕んでるのは間違いない。
「私は失敗しない。変異体を乗り越えるには、アーク計画が最適だ」
「あれ? ヤルダバオト計画が何故止められたのか知ってたの?」
「…………」
ビヨンズは、そこで押し黙った。
どうやら詳細までは知らないらしい。
世界の外から来た咎人が止めた事は知っていたが、どのような経緯で止められたのかまでは詳しく知らないようだ。
「へぇ、知らないんだ」
「知っていたとしても計画は止められん。この計画に、何年も掛けてきたんだ」
ビヨンズは、そう言いながら鐵夜行へ触手を叩き付ける。
鐵夜行は背中に蝶の翼のような光を纏い、攻撃を宙に逃れて回避する。
「まるで、時間掛けたから計画を止められないって言い訳しているみたいだ。ヤバい計画なら時間関係なく無期限延期でしょ」
「アーク計画の何を知ってるのだ? 計画が実行されれば、再び人々は平穏な世界で日常が送れるのだ」
「そのために無関係な人を犠牲にするんでしょ?」
「我らが、生き残る為だ」
鐵夜行が触手へ連撃を叩き込む。
金属製だけあって、硬い感触。ダメージが通っているかも分からない。
正直、長い戦いになる気配を感じ取っていた。
「……覚悟が決まっているならば言うことはない。放置も出来ん」
フリッツ・レーバ(ma0316)は、蒼双角応牙を走らせる。
目標はビヨンズ。シオランによれば、アーク計画はヤルダバオト計画と同じ轍を踏もうとしているらしい。
フリッツとしては、アーク計画もビヨンズの思考も否定はしない。正確に言えば、否定も肯定もする気は無い。
ビヨンズは研究者として、変異体という脅威から逃れる為にこれまで進めてきた。自らの肉体を捨て、機械化してでも成し遂げようとしている。相応の覚悟で事に臨んでいるのだろう。
一方で、アーク計画が招く危機もフリッツは知っている。
ビヨンズが覚悟を持って事に挑むのなら、フリッツも相応の覚悟で応じる他無い。
(少し時間がかかる策だ、今回は些か攻撃の手は緩む)
フォニックダイブでビヨンズへ接近。
ビヨンズはフリッツが接近したと察した瞬間、触手を振るい続ける。
「貴様等も見ただろう。この天儀を。そして、死ぬ事も許されない哀れな変異体を」
「…………」
「それを救う計画を何故、邪魔するのだ」
ビヨンズの声。
それにもフリッツは答えない。
ビヨンズの事情は、フリッツには関係ない。ビヨンズの計画が危険と考えたシオランが、計画停止を願いでた。それにフリッツは応じた。その事実だけでフリッツが動く理由としては十分だ。
「……!」
月牙烈断斧 セキハに込められた加護を一気に解放。
地面に叩き付けられた触手へ何度もセキハを振り降ろす。
感触は堅い。やはりビヨンズの機体を守るような技術が使われていると考えるべきか。
「無駄な事を」
ビヨンズの触手から光弾が発射される。
フリッツは距離を置いて光弾を回避する。
「適宜判断をする個体か。馬鹿では無いらしい」
あざ笑うビヨンズ。
それに対してもフリッツは静かに様子を窺っていた。
(次の攻撃まで力を蓄えなくては)
フリッツは問答をする気は無い。
確実に、そして着実に次の行動に備えている。仲間達の行動を意識して、効率良くビヨンズにダメージを与えなければ。
●
「他のヒトを……世界を乗っ取って奪っても、その先には何もない」
ビヨンズに挑む咎人達を支援する為に馳せ参じたリダ・クルツ(ma1076)。
今もビヨンズと戦う咎人を助ける為に最前線へと赴いた。
しかし、内心は行動とは逆だった。
(アーク計画。他の世界に理想郷を生み出す。胤がいれば、それは可能だ。だが、行った先の世界は……)
リダも知っている。
世界は誰かの犠牲で成り立っている。誰かを救えば、誰かが傷付けられる。
それが世界の理だと言い切るつもりはない。ただ、ビヨンズの行動原理も天儀を、そして人を救うために始めた事なのは間違いない。
やはり、ビヨンズは何処かで道を間違えたのだ。
「止めなきゃキリがないか。援護する!」
リダは、ビヨンズを挑発。
仲間が攻撃可能な隙を作る為、ビヨンズの注目をリダ自身に集める。
「……聞いておこう。貴様も私が、古代人がこのまま変異体になれば良いと言うのか?」
「!」
「天儀に住んでいた人間は、ただ変異体になっていく状況を黙って見ているのか。友も。家族も。死ぬ事もできず、蠢く怪物になっていく。それを見守る事しかできないのか?」
ビヨンズの言葉に、リダは答えを持ち合わせていない。
同じ立場だったら、リダはどうしただろうか。そう考えるだけで、一瞬ではあるが手が止まる。人間、そう簡単に割り切れるものではない。
(……っ、ここでアイツの支援があれば……。なんてな)
ビヨンズにスキルバインドを試みる。
遊夜のように盾役は難しくとも、仲間達が攻撃をし易い状況を生み出す事はできる。
「エネルギー無駄撃ちしてくれないかな!?」
「……無駄な足掻きを。何故、無駄と分からぬのだ。いや、それが分かる頭を持つなら、この場にはおらぬはず」
「ああ。諦めは悪いんでね。それ以上に胤さんの前で格好悪い真似はできないからな」
リダは9thALICEの活動保護機構で触手からの攻撃に耐える。
ビヨンズも言うだけあって馬鹿ではない。なるべく咎人が分散するように触手を振るっている。数で押しきられないように配慮しているのだろう。
一方で、リダは時折後方へ視線を送っていた。
胤。天儀の大精霊という存在。だが、リダが接した際には普通の少年にしか見えなかった。素直で、屈託のない笑顔を浮かべる子。他の世界で出会っていれば、おそらく大精霊と気付く事すらなかったかもしれない。
「あの少年は世界を救う力がある。ならば、この世界の為に役立つべきだ」
「その義務は、あんたが勝手に生み出した義務だ。……違うのか?」
リダは煌めく雲で体を覆い、姿を隠す。
古代人が救われようとする行動は、分からなくもない。できれば、ビヨンズもシオランの前で派手には破壊したくない。
だが、胤を狙うというなら話は別だ。道具のように胤を使い潰すつもりなら、リダはビヨンズと戦う。
あの子は――もっと幸せになるべきだ。家族のようなアールフォーやリトルメックと共に。
●
その頃、胤を狙うセンチュリオンが再び接近していた。
歩み来るセンチュリオン。咎人達も更なる防衛戦を強いられる。
「まったく……もう少し柔らかい頭は持てない訳?」
夕凪 沙良(ma0598)のローレライ・透狐が、センチュリオンの上空で旋回している。
白花 琥珀(ma0119)の琥珀石の祝歌舞が、光を帯びて降り注ぐ。沙良のローレライも大きく軌道を取りながら、生命発火による攻撃でセンチュリオンを撃破していく。
「さて……前回厄介だった超回復を封じれればいいんですが……」
沙良には一つの懸念があった。
前回、ビヨンズと遭遇した際には傷を修復する機能があった。正確には負った傷を、自らの力を使用して回復していた。ダメージを与え続けても回復には相応のリソースを消費していた為、攻撃を継続する意味があった。
しかし、今回はビヨンズは部屋の奥にある壁に接続されている。もし、あそこからリソースを無限に吸収できるのであれば、ビヨンズは無限の回復を行える事になる。
(クラゲに接続されてるケーブルから余計に回復してるなんて事にはならないといいんですが)
そう言いながら、沙良はちらりとビヨンズへ視線を送る。
そこでは多方向から同時に攻撃を仕掛けられるビヨンズがいた。ここからローレライを飛ばせば、ビヨンズへ攻撃できるか。
(いや、それをすればここの防衛戦力が減りますね)
今回、咎人達の戦力は多くがビヨンズへ向けられていた。
胤達を防衛する側は、ビヨンズが倒されるまでセンチュリオンが活動すると見ていた。その為、早期決着を目指さなければ防衛側に必要以上の負担がかかる事になる。その為、ビヨンズを倒そうとする咎人が多かった。
またセンチュリオンを撃退する者の中には友軍をビヨンズまで辿り着かせようとする者もいた。防衛戦力に余力がない以上、沙良は少ない機会を狙う他無かった。
「今は防衛に注力する他いいかな。……チャンスは諦めないけれど」
そう考える沙良の間近を、ローレライが掠めるように飛び立っていった。
(世界の外にある楽園……誰もが一度くらい思う事ではありますが……)
琥珀石の祝歌舞を発動した琥珀は、胤達を守ろうとする咎人達の支援に奔走していた。
ビヨンズが考える理想は、分からないでもない。
世界の果てまで逃げれば、脅威から逃れられる。アーク計画はそういう類のものだ。
怖い物からは距離を置く。自然の発想だ。だが、そこに胤が巻き込まれる事は別の話だ。
「胤君。月には……アヤカシという人達がいます」
「……アヤカシ……」
「はい。彼らはいずれ変異体になる運命を抱えてます」
「……それは、月にいるアヤカシって人達も、怪物になるって事? どうにかできないの?」
どうにかできないのか。
胤はその言葉を口にする。
アーク計画もそうした発想からスタートした計画だ。
その考えは正しい。だが、同時に琥珀は胤に危うさを感じる。
胤は大精霊でありながら、あまりにも優しすぎる。それが分かっていても、琥珀は自らの思いを口にする。
「もし誰かの為になりたいなら、人の理を外れた亡霊でなく……今を生きる誰かが未来を奪われないよう力を貸して!」
それは古代人よりもアヤカシ達を優先して欲しいという意味だ。
胤は反射的にシオランとリトルメックを見るが、彼らは何も口にしない。
「……それ、誰かが傷付かないと……誰も助からないの?」
不安そうな顔を浮かべる胤。
その間にも琥珀は、琥珀の障壁を展開する。
「アールフォーさん!」
「おう!」
後方まで下がっていたアールフォーが、琥珀に近づくセンチュリオンをディヤウスで切り払う。
ゴリラ型のセンチュリオンと対峙していたが、胤の方へ集まるセンチュリオンが増えてきた為に一度下がった状況。一時は押し切られそうにもなるが、アールフォーの参戦で再び戦線が持ち直せそうだ。
「胤くん、ビヨンズさまの望みを叶えるということは、世界をリセットする事なんです……。それを認めるわけにはいけませんからビヨンズさまを止めるんですっ」
魔王弾を放っていた川澄 静(ma0164)が、守り刀「白鞘巻」を手にセンチュリオンへ肉薄。
斬りつけながらセンチュリオンの侵攻を食い止めようと奮戦する。
「……どちらも、助けられないの……?」
両方を救いたい。
それが出来ればどんなに良かったか。
「今の状況では、不可能かと……」
「……そんな……」
「それだけではありません。ビヨンズさまが行動を起こせば、行った先の世界にも被害が及びます」
「……でも、生きようと、助かろうとしていたんだよね……」
胤は幼い。その上大精霊であるが故に、力も持っている。
だからこそ、胤はすべてを救う術はないのかと懇願する。
その悩みは静にもよく分かる。分かるのだが……。
「胤。どんなに力があっても、万能ではないんじゃ。これから生きて行く以上、何かを選ばなければならん。それは誰しもがそうなんじゃ」
シオランが、少し寂しそうに呟いた。
その寂しさの理由を、静は知っている。
「シオランさまの友人であられるビヨンズさま。変異体に汚染されている訳ではないのなら、器を変える事で生き存える事も……」
静が言い切るよりも前に、シオランは頭を振った。
「アーク計画は、ビヨンズにとってすべてなのじゃろう。機械の体になってまで、成し遂げようとしていたのじゃ。胤を奪いに来たのも、それだけの覚悟があっての事じゃ。最早、話して納得できる段階は過ぎておろう」
シオランもビヨンズに後が無いと察しているのだろう。
だから、かなり強引な真似をして胤を奪いに来た。そもそもビヨンズが胤を諦めるとは、人生を賭けたアーク計画を断念する事になる。今まで研究を続け、機械の体になってまで成し遂げようとした計画を今更断念する事ができるのか。そのような真似をするなら、玉砕を選びかねない。
シオランは言っている。胤と同じように、自分達も選び取らなければならない時なのだと。
「……失礼致しました。ビヨンズさまに無礼な意見でした」
静は、そう言いながらビヨンズへ挑むタイミングを見計らう事にした。
やはり、ビヨンズはここで倒す他に道はない。
●
「……準備完了だ。一切合切を纏めて薙ぎ払え、セキハ!」
フリッツが秘めたる霊力を開放。
無数の鏡像による突撃を繰り出した後、オーラを纏ったフリッツによる突撃を敢行する。
「くっ、小癪な!」
ビヨンズだけではなく、ゴリラ型センチュリオンを多数巻き込む形で攻撃。
ビヨンズも複数の触手を盾に攻撃の防御を試みる。
「異世界の力を束ねた大技、見縊ってもらっては困るな」
「異世界だと? その力があってもこの世界を救う事などできぬ癖に」
「救うさ。お前の望まぬ形になるがな」
触手が引きちぎれ、ビヨンズ本体にもダメージが及ぶ。
ビヨンズの事情を加味するつもりはない。力で対抗する以上、こちらも力を行使するだけだ。
「……妄執も、世迷い言の如き理想も……悩み、考え抜いた果てに、辿り着いた結論ならば……否定は無粋……というもの、でしょう……」
氷鏡 六花(ma0360)は自らに呪いを掛けて強大な力を手に入れる。
ビヨンズが押し進めるアーク計画。それそのものを否定する気は六花にはない。
誰しも、その状況で追い詰められれば答えを捻り出す。その答えが仮に間違っていたとしても、六花は否定しない。
ただ、必ず答えには責任が伴うものだ。
「……私は遂は……無銘さんの……願い。……私にとっては……全てに、優先……します。……ビヨンズ。貴方を……この闇と氷の魔力で……完全に……破壊します」
ビヨンズ同様、六花にも事情を抱えている。
天儀開拓隊に参加した六花が、開拓の障害となるビヨンズ排除を望むのであれば。
六花は障害排除を最優先する。ビヨンズが如何なる盾を用いようとも、それをすべて破壊してみせる。
「何を……」
「……発動……」
六花の周囲に吹雪が発生していた。そして、収穫祭の魔水晶から攻撃が、次々とビヨンズの本体へ直撃する。
フリッツがこじ開けた穴。六花がそこへ追撃を仕掛ける。
「……おのれ!」
攻撃で激しく揺れるビヨンズの体。
それを振り払うかのように触手が暴れ回る。
気付けば、破壊された触手を補うように別の触手が発生。ダメージを受けた本体も、僅かながら回復を始めているように見受けられる。
(……やはり、自己修復が働くか)
フリッツの感覚では、確実に自己修復能力が発動している。
今回は消費されるリソースは壁に繋がれた配線だろう。ただ、前回よりも回復スピードが格段に遅い。
高火力で攻撃し続ければ、回復が追いつかなくなりそうだ。
「希望が見えてそれに近付けるだけの力があるなら、手を伸ばしてしまうのは仕方のないことだよね」
バトルグローブ「氷華刹那」でセンチュリオンの群れを掻い潜ってきたシアン(ma0076)。
ビヨンズの苦悩も理解できる。おそらく、ビヨンズはアーク計画が行き詰まっていたのではないか。
オビーター・トランキルでの騒動で、何故ビヨンズは動かなかったのか。下手をすれば計画の拠点になっていたファウンデーションが破壊されていたのかもしれないのに。
その答えは、ビヨンズ自身は何もできなかった。計画は事実上の無期限停止状態。研究も進まない状況ならば、このままファウンデーションが破壊されても構わない。そこへ差し込んだ希望は天儀の結界が解除された事。奇しくも天儀開拓隊が開拓の為に赴く事で、アーク計画に希望の光が差し込んだ。天儀の大精霊である胤を世界の果てへ連れて行けば、そこで新天地が創造できる。
まさにアーク計画が成就する瞬間だ。シアンから見ても、当事者なら魅力的な計画に見えると考える。
「……貴様に……何が、分かる」
「分かるさ。でも、私達咎人がそれを許す訳にはいかないんだよ」
双剣技、生命発火などで攻撃力を上げたシアン。
魔力で作り出した氷の結晶を素早く放つ。触手が光弾を撃ち出して結晶と衝突させる。
砕け散る結晶。だが、その瞬間にシアンはビヨンズと肉薄する。
「……囮か」
「恨みたいなら恨むと良い。きみの夢は、ここで終わりだ」
氷の力を秘めた青い宝石が取り付けられた格闘用のグローブから放たれる連撃。
ビヨンズの体が拉げる程の力を、何発も叩き込んでいく。
自動回復させる暇など与えない、確実で効果的な連続攻撃だ。
「……何故だ……何故、貴様らは……邪魔を、する……。シオランの……差し金、か」
「シオランさんだけじゃない。アールフォーやリトルメックも願っているよ。家族である胤を、目の前で連れ去られたくはないからね」
リダは攻撃を仕掛ける咎人達にバインドクリアを付与する。
再び攻撃態勢を敷く、咎人達。ビヨンズに肉薄する者達による総力戦が始まろうとしていた。
●
「胤、何ぞ思う所があるのか? 有るなれば言うてみよ」
胤の前に立ってセンチュリオンの群れから守ろうとする鈴(ma0771)。
狂乱戯曲【歓鬼】による双霊爪が、センチュリオンの胴体に叩き込まれる。
倒れていくセンチュリオンを前に、胤は少し怯えた表情をみせていた。
「……思う、所?」
「あ奴は、其方を使うて、ここではない天儀を作ろうとしておる。其方が望まれて居るのはこの地の為ではない……」
ビヨンズは胤を求めた。
それは古代人が変異体の恐怖から逃れる為の計画だった。その結果、胤を世界の果てへ連れて行く計画を進める。
だがそれは、この世界の為なのか。世界の果てに新たなる天儀を生み出しても、それは今の天儀の為なのか。
胤を失った天儀はどうなるのか。
天儀を復興しようとする天儀開拓隊は。
アールフォーやリトルメックは。
「…………」
「あ奴の願い1つの為に、この地で生きたい数多の命が犠牲となる」
沈黙する胤を前に、鈴は言葉を続ける。
アーク計画を成就させる事は、ヤルダバオトだけではない。世界の果ての先にある世界でも多くの犠牲が生まれる。多数の世界が崩壊の危機になるならば、天獄界の神達も黙ってはいない。確実に多すぎる命が失われる事になる。
「……でも、それだと……救えない人達も……いるのでしょう?」
「左様。然れど、己が選択に、愛すべき数多の命が関わる事を自覚せよ」
ステップ斬撃を仕掛けてくるセンチュリオンへ灰被リノ時計塔。放たれる魔法攻撃でステップ斬撃の態勢を崩す事に成功する。
胤へ酷な選択を迫る事は理解している。どちらを取っても誰かが傷付き、希望は打ち砕かれる。
どちらが良いのか選択しなければならない時、胤はどう行動するべきなのか。
「……リトルメック……」
「胤。誰かを助けたいって気持ちは大切だよ。でも、それで胤が傷付いては意味がないんだ」
「……意味が、ない?」
リトルメックの言葉を理解できない様子の胤。
「胤がオイラやアールフォーを大切に思ってくれているのは分かってる。だけど、同じぐらいオイラも胤が大切なんだ。胤が苦しむ姿を、オイラは見たくないよ」
胤はアールフォーやリトルメックを家族同然と考える。
その考えはリトルメックから見ても同じだ。
そして、家族が傷付き苦しむ姿を、誰が好んで見たいというのか。
「胤、決断の時ぞ。覚悟を決めねばならぬ」
「……アールフォー」
胤は少し間を置いた後、アールフォーの名前を呼んだ。
待っていたかのように、アールフォーは胤の近くまで歩み寄る。
「なんだ?」
「……お願い。ビヨンズさんを、止めて……」
「……分かった」
小さく頷いたアールフォーは、再び戦いを挑む為にビヨンズの方へ向かって行く。
鈴とすれ違い様、アールフォーは小声で喋り掛ける。
「胤を頼むぞ」
「無論」
悲しそうな胤。
だが、明確なビヨンズの拒否を決めた覚悟がそこにあった。
●
「ヒトならざる機械の巨体……独善も此処までくると滑稽ですね」
混沌渦巻く戦場の中、茨木 魅琴(ma0812)は一人静かに所定の位置を陣取る。
標的はビヨンズ・センチュリオン。機械の体を手に入れた滑稽で、哀れな研究者。
シオランの友人らしいが、魅琴も咎人として容赦するつもりはない。
「大きな体はいい的になりますよ」
SR-オーベロンの照準を、ビヨンズの機体へ合わせる。
触手が本体の前で動いているが、距離を取っている魅琴にとっては狙うべきポイントは数が多い。あの巨体は接近すれば脅威かもしれないが、遠距離から狙撃するとなれば良い的だ。さらに魅琴はオーロラのように煌めく氷の結界を展開して、存在感を可能な限り消している。
(……友軍が、触手を牽制……敵が十時方向から一撃……)
標準を通して繰り広げられる光景を、魅琴は静かに観察する。
それは別世界の戦争を遠目から見つめる観察者。だが、魅琴は間違いなくこの戦場に存在する。
頬の撫でる空気も、耳に届く戦闘音も。戦場独特の臭いも。
魅琴が天儀を巡る戦いに身を置く証である。
「ビヨンズ、それが貴方の望みなら私たちが応えてあげましょう」
呼吸を大きく吐き出す。そして、吸い込むと同時に息を止める。
銃身を安定させた後、人差し指に力を込める。
次の瞬間、放たれた弾丸がビヨンズに向かって撃ち出される。
弾丸は触手の隙間を掻い潜り、ビヨンズの装甲に突き刺さる。
「?」
ビヨンズが異変を感じ取る。
何かが命中した。
異常を確かめようとするビヨンズだが、ビヨンズ本体の下部に氷に覆われていく。
「避けて……いえ、壁に繋がれているなら避けられませんね。そのまま受け続けなさい」
弾丸に続いて飛来した蝶が、ビヨンズを更に凍り付かせていく。
本体は動けないが、周辺の触手には少なからず影響があるはずだ。
その間に魅琴は狙撃ポイントを移動する。友軍の動きに合わせて、後方からの支援狙撃を行わなければならない。
あの目標は、必ずここで仕留めて見せる――。
支援を行っているのは、魅琴だけではない。
ビヨンズを狙うセンチュリオンを食い止めようとする者もいた。
「アレは世界を捨てる為に戻ってきた。捨てる為の力を得るためにね」
機動ユニット「十六夜」を駆る透夜(ma0306)が、センチュリオンの群れへ飛び込んで周囲を薙ぎ払う。
ビヨンズを狙えば、ビヨンズは防御を固める意味でも近くのセンチュリオンを呼び戻すはずだ。それを見越した透夜は、周辺のセンチュリオン撃破に専念していた。
「そこにこの世界で生きるという願いはない。別世界を選んだんだ」
吹き飛ぶセンチュリオン。
だが、異変に気付いたゴリラ型のセンチュリオンが透夜に向かって動き出す。
「!」
地面へ転がるセンチュリオンを無視するゴリラは、大きく振りかぶった右腕を透夜の頭上へ振り下ろす。
透夜もゴリラの存在を視認。早めに外部スラスターを噴射して軌道を修正。ゴリラの一撃を回避する。
同時に自身のシールドエネルギーをゴリラに向かって放出。衝撃波となってゴリラを襲う。
そして、透夜はゴリラから距離を取る。
(アーク側からの供給を断てれば、それだけ弱体化させられるかも)
冷静に状況を分析する透夜。
ビヨンズは背面が壁に接続されており、そこから回復に必要なエネルギーを吸収している。現時点で高火力の攻撃で押し続けなければダメージが蓄積していかない。仮に、この壁との接続を切断できれば、ビヨンズは自ずと回復に手間取るのではないか。
「チャンスは少ないが、正面に気が惹きつけられている今なら……」
「!」
透夜は、ビヨンズへの攻撃を検討する。
だが、持ち直したゴリラが、再び透夜を狙って接近してくる。
「くっ、先にこちらを止めなければ」
向き直る透夜。
しかし、次の瞬間にゴリラの足元が凍り始める。
「悪いけど、邪魔しないでもらえますか」
魅琴のSR-オーベロンがゴリラを捉え、その体を足元から凍結させていた。著しく移動が遅くなるゴリラ。
機械を得た透夜。その間にビヨンズの背後近くへと移動する。
「天儀は再生している。お前の行動はもう計画を越え肥大化した……欲だ」
最早、アーク計画は崇高なる使命を失っている。
計画達成が、ビヨンズの欲となっている。その欲を断ち切らなければ、この世界は救われない。
意を決した透夜。ビヨンズが壁へ接続された箇所を双槍で攻撃し始めるのだった。
●
ラファル・A・Y(ma0513)の眼下に広がる光景。
センチュリオンの群れを抑え込む咎人達。
一方で巨大なビヨンズへ果敢に立ち向かう者もいる。
そこかしこで戦闘音が鳴り響き、ラファルの心の導火線が少しずつ火花を散らし始める。
機動装甲服改「ブギーマン」で空中を移動。更に光学迷彩インビジブルフェアリーでその姿を隠している。その影響もあってセンチュリオン達は、ラファルの存在にまったく気付いていない。
(さて、どうしてやろうか……)
センチュリオン達の無防備な状況を目にしながら、如何なる攻撃を仕掛けようか思案する。
七砲身ガトリング砲「shutdown-7th」で蹴散らしても良いのかもしれないが、せっかくの奇襲だ。出来るならば一発目は派手さが欲しい。そう考えたラファルがチョイスしたのは、超巨大凍結ミサイル「ギガンテックフリーザー」であった。
「ディキシイを聞かせてやるぜー」
叫ぶラファル。
同時に発射されるギガンテックフリーザー。
センチュリオン達が気付いた時には、もう遅い。放たれたギガンテックフリーザーが炸裂。直撃した周辺のセンチュリオンが動きを封じられていく。そこをラファルは追撃を掛ける。
「そしてどぶに落ちた犬は沈める」
動けなくなったセンチュリオンに向け、shutdown-7thによる追撃を開始する。
この状況ならばビヨンズが迎撃する形を取るのだろうが、ビヨンズは咎人達の対処で手一杯。結果的にラファルが一方的にセンチュリオンを撃破していく。
一方、この状況に呼応する形で地上からセンチュリオンを撃破していく者がいた。
「ただの有象無象であれば蹴散らすのみ」
氷雨 絃也(ma0452)は、ラファルが倒したセンチュリオンを掻き分けるようにゴリラ型センチュリオンへ向かっていた。
胤達の護衛をメインに行っている咎人は多い。ビヨンズの狙いが胤である以上、狙われる場所を守るのが当然だ。また、本体であるビヨンズを叩いて早期解決を図る事も納得できる。
こうなった場合、鍵になってくるのはセンチュリオンの中でも上位に位置するゴリラ型センチュリオンだ。
厚めの装甲に加えて触手を筋肉のように使用する事で怪力を生み出している。特に太い腕から繰り出されるストンプは、近くの咎人を妨害しかねない。絃也は、ゴリラの動きを止める事でビヨンズと戦う咎人達の支援を考えていた。
「っ!」
駆動装甲「黒渦」背部のブースターユニットから、片翼にも似た黒い炎が噴き出す。
噴射する事で体勢を修正。さらに突進力も急上昇させてゴリラへと肉薄する。
その直後、地面が大きく揺れる。
ゴリラが地面を派手に叩き始めたのだ。周辺の床に振動が伝わる。黒渦自身は装甲に定評のある機体だ。だが、揺れによって狙いがブレてしまう。
(……それなら!)
跳躍。
黒渦がほんの僅かな時間、宙を舞う。
そして、着地すると同時に華剣「流歌」が軌跡を描く。ゴリラの脚部に加え、周辺のセンチュリオンを巻き込んで斬りつける。これでゴリラが倒れるとは思っていない。ゴリラの注意を絃也へ惹き付けられれば十分だ。
「……」
こちらの想定通り、ゴリラは絃也の方へ体の向きを変える。
まるで見下すような視線。今からその視線を正面から修正してやらなければならない。
「もう少し付き合ってもらおう。なに、そんな長い時間じゃない」
黒渦を再び走らせる絃也。
戦いが終結するまで、如何にこのゴリラを料理してやろうか――。
●
「その計画は二番煎じだ! 成功しても碌な事にならないよ」
躑躅(ma0256)は、ビヨンズに近づくセンチュリオンへ超高速の連撃を叩き込む。
ビヨンズが自動回復するという事は、必然的に時間がかかる。そうなれば、ビヨンズ近くのセンチュリオンが黙っているはずがない。ビヨンズを狙う咎人を、背後から襲おうとする個体も存在する。
躑躅は、そのようなセンチュリオンが確実に倒し続けていた。
「次!」
息つく暇もなく、躑躅はセンチュリオンのステップ斬撃を開始して連撃を繰り出した。
天儀開拓隊が天儀へ到着して神霊樹の植樹を開始。
拠点を広げながら、徐々に天儀の環境は改善し始めた。さすがに天儀すべての環境を変えるには至っていないが、神霊樹の植樹が進めば不可能ではない。言うなれば、天儀開拓隊は天儀復興という種を蒔いたばかりなのだ。その種が芽吹き、成長するまでにまだまだ時間がかかる。
未来を感じさせる開拓。その開拓の火を、ビヨンズに消させはしない。
「この世界は再生の道を歩み始めてるんだ!」
躑躅は、叫ぶ。
天儀は、再び人と歩み始める、いや、月からアヤカシがやってきて今以上に良い世界を生み出す。
それが為されるまでには、気が遠くなるような時間がかかるだろう。それでも、その想いが受け継がれるのなら、遠くない未来に実現するに違いない。
「……戯れ言を……救いは、この天儀に……ない……」
ビヨンズが咎人達に向けてサウザンドウェーブを発射する。
触手から一斉に放たれる多方向ぼビーム攻撃。四本のビームが上空や地上へ振るわれ、その度に床や天井が激しく焼かれる。
センチュリオンを巻き込むのもお構いなし。周辺に集まる咎人を打ち払おうとしているのだろう。
だが、躑躅は敢えてビームが発射される触手へと接近する。
「この世界を想うなら止まって!」
地面を叩いた触手に合わせて、躑躅は飛び上がる。
そして双頭の蒼き鷹を思い切り振り下ろした。
刃が触手へ激しく食い込んだ。
「……くっ」
「信じろ……この世界を!」
それは、躑躅から漏れ出た一言だった。
アーク計画は天儀から離れ、世界の果てに安住の地を築く計画。
言うなれば、この世界を見捨てて自分達だけが助かろうとする計画だ。自分達はそれで生き存えるだろうが、見捨てられた天儀はどうなる。それは胤がそのまま見捨てられるようなものではないか。事実、アールフォーやリトルメックがいなければ胤はどうなっていたのか。
犠牲が必要にならない方法が、きっとあったはずだ。
「……何も……知らぬ癖に……」
「確かに知らない。だからこそ、絶望はしない。世界は、もっと強くて自由なはずだから」
躑躅は飛び退き、再び周囲のセンチュリオンへ戦いを挑む。
戦い続ける限り、倒れない限り、まだ希望は潰えないと信じて。
●
「銃撃つだけがデストルドーって訳じゃない、魔術も一応ね?」
鞍馬 雪斗(ma1433)が【死穢】を展開。
複数のセンチュリオンを巻き込みながら、死線を掻い潜っていた。今回はいつもの仲間が不在である故、シオランを護衛しつつも積極的にセンチュリオンを撃破する方向で戦っていた。既に多数のセンチュリオンを打ち倒している。
だが、センチュリオンの襲来が収まる気配がまったくない。
(キリがない……か、まぁ大将が健在だったらしょうがないか……)
雪斗がサイコブック・プライムでセンチュリオンを蹴散らす。
センチュリオンを倒しても後続部隊が現れる事は、何度も目撃している。ビヨンズを撃破するまでは、この増援が途切れる事は無さそうだ。
事実上の持久戦。それでも雪斗は決して諦めない。
「攻撃は抑えさせて貰うよ……近くであれば自分の領分だからな……!」
雪斗は、サイコブック・プライムで近くのセンチュリオンへ応戦する。
単騎での戦いとなってしまい、やや苦しい局面もある。だが、それでも周囲の咎人と連携はできている。シオラン達へセンチュリオンを近付けない目標も、現時点では成功していると言って良いだろう。
(問題はこの戦いが何処まで続けられるか、かな)
センチュリオンのステップ斬撃を回避しながら、魔法攻撃を放つ。
ビヨンズを追い詰めているのは間違いない。
厄介なのは自動回復だが、それも透夜を中心に接続された壁とケーブルを破壊するべく動いている。もし狙い通りに行けば、局面は一気に咎人側へ流れ込むはずだ。
「そこまでこの戦線を維持しないと……」
戦場の中、雪斗は単騎で戦い続ける。
背後を守る者達は不在だが、己に課せられた任務だけは確実に遂行しなければならない。
(こんなところで、立ち止まれないよね)
戦いの中、雪斗決意を新たに次のセンチュリオンへ向かっていくのだった。
(シオランさん、あなたの友を思う気持ち、しかと受け止めました)
更級 暁都(ma0383)は、寡黙なまま昇鯉を振り抜いた。
倒れ、鉄塊と化したセンチュリオンを踏み分けながら、接近する後続を斬り伏せて行く。
シオランは過去を多く語らない。今のヤルダバオトは既に古代人の物ではないと断じても、変異体と化した古代人を見て何も思わないはずがない。
(怪物に成り果てた哀れな古代人を解放してあげたいものです……)
暁都は瞬間的に加速して、一撃の間合いで鞘から昇鯉の鯉口を切る。
独特の音が鳴ったと同時に、叩き込まれる斬撃。センチュリオンの胴体に、大きな傷が刻まれる。
変異体となった古代人。自ら死する事もなく、意識らしい意識も存在しない。それでも無限の時間を徘徊し続ける。そんな彼らを救うためには、他者の手で屠る他無い。それが唯一の救済だそうだ。
「む。新手じゃ。気を付けるのじゃ」
後方からシオランの声。
暁都が顔を上げれば、そこにはゴリラ型センチュリオンの姿があった。
打ち崩せない防衛ラインを前に、センチュリオン側が攻勢に出たのだろうか。
だとしても、暁都のやる事は変わらない。
「胤さんとリトルメックさん、シオランさんは傷付けさせません」
暁都は、地面を蹴った。
時折、センチュリオンの刃が向けられるが身を屈めて前へ突き進む。万一ゴリラ型センチュリオンがシオラン達へ接近すれば、巻き込まれる恐れもある。可及的速やかにゴリラを屠る必要がある。
「行く手を遮るなら斬り捨てるのみ」
暁都が昇鯉を前方へ突き出した。
切っ先はゴリラへと向けられる。まずは周囲にいる有象無象を倒して道を切り拓かねば。
「更級心刀流奥義、焔月無塵」
体に捻りを加え、昇鯉に遠心力を乗せる。
回転と同時に周囲のセンチュリオンを巻き込み、次々と斬り倒していく。
向かう方向は、あのゴリラ。あいつだけは、ここで足止めする。――絶対に。
「胤。おねーさんが護ってあげるよ。キミも君の家族も」
「……う、うん」
鳳・美夕(ma0726)は、胤にそう話し掛ける。
今回の戦いにおいて、胤は自ら進んで同行していた。理由は分からないが行かなければならない気がする、と。
理由は胤自身も分からないのだろうが、如何なる場所へ行く事になっても美夕は胤を守ると決めていた。
琥珀石の守護で胤とリトルメックを守っているが、問題はセンチュリオンの増援だろう。
「……あの」
「ん?」
「……なんで、みんな……そこまで……してくれるの?」
ふいに胤から問いかけられた。
美夕だけじゃない。他の多くの咎人も今回の戦いに身を投じている。
依頼だから、と言い切るのは簡単だ。だが、胤が求めている答えは、そんなものじゃない。
「そうだな……」
美夕は一呼吸を置く。
脳裏を巡らせて自らの考えを整理していく。
そして、一つの答えを導き出す。
「私も、君の友達になりたい」
「……え?」
「君に語ってあげた様な冒険を、何時か君と、皆でしたいから」
胤と友達になりたい。
気付いた時には、この天儀にいた胤。砂と鈍色の空ばかりの世界で、胤は生きている。
リトルメックとアールフォーがいるとはいえ、彼はこの光景しか知らない。
そんな中で胤にとって咎人の冒険譚は強い興味をそそられる。彼らの話は胸が躍る絵本のようだ。
「……友達」
「そう。それに友達なら、胤の家族だって守りたいでしょ」
そう言いながら、迫るセンチュリオンへ紅瑠璃白雪の一刀。
周辺の仲間がかなり敵戦力を削ってくれているが、増援は未だに続いている。ビヨンズの拠点と考えれば、それも無理からぬ事だ。
「…………」
「それを大事にして。それはきっとなにより大事なものだから」
美夕がセンチュリオンを斬り伏せながら、そう言い掛ける。
胤の家族は、おそらく心の支えになっている。リトルメックもアールフォーも、決して喪われてはならない。
「だから、生きて。必ず守るよ!」
改めて美夕は誓う。
胤を、友達の大切な物を、絶対に守り抜いてみせる。
●
「難しい話は抜きにして。俺はアールフォーの家族を守る為に戦うよ」
「そうか……」
アールフォーは、ケイウス(ma0700)の言葉にそう応えた。
遠距離からラートリーでビヨンズを狙っていたアールフォーは、触手を薙ぎ払うかのようにレールガンの弾丸を撃ち込んでいく。、連射ができない代わりにラートリーの一撃は重い。
ケイウスは、あまり内心を語らないアールフォーを理解し始めていた。
それは、胤からビヨンズを止めるようアールフォーに頼まれた時だ。胤がアールフォーを家族と思っているように、アールフォーも胤を家族を認識している。そして、家族の為なら如何なる状況でも最善を尽くす事ができる。
「大切な人に生きて欲しいって気持ちなら、俺にもよく分かるから!」
「大切な人、か。……俺は、胤が頼むのであれば如何なる敵でも排除する。世界のすべてを敵に回そうとも、だ」
アールフォーは接近するセンチュリオンをディヤウスの一撃で貫いた。
この砂の星となった天儀の中、アールフォーは胤を守ると決めている。どうしてその考えに至ったのかは分からない。だが、アールフォーが胤やリトルメックを大切にしている事だけは分かる。
そして、その大切な人の為なら十二分に力を振るえる。
「……今だよ、シアン!」
ケイウスが味方を癒やしながら、ビーナスレインでセンチュリオンを足止めする。
センチュリオンが動きを止めた事で、ビヨンズの触手まで一直線に道が出来上がる。
そこをシアンが一気に突き進む。
「そろそろ決着を付けようか」
鮮花閃光でセンチュリオンを斬り伏せながら、シアンがビヨンズへと近づいていく。
バトルグローブ「氷華刹那」の連続攻撃で、触手は激しく揺れる。
ビヨンズも光の弾で反撃しているが、シアンを捉える事ができないようだ。
「お前も……ここに大切な人がいるのか?」
「そりゃあ、大切な人というか……友人が」
ケイウスの友人であるシアンは、今もビヨンズへ肉薄している。
危険になればシアンを守る為に動くが、シアンが友人だからこそ気にしている面もある。
「そうか。大切な人との繋がり……忘れたくないものだな」
アールフォーがそう言いながら、ラートリーの次弾を準備する。
その時、ケイウスに一つの推理が生まれる。
「繋がり……。もしかして」
その推理を元にケイウスは行動を開始する。
アールフォーに後を任せ、ケイウスはホーリーストリングで移動。向かう場所はビヨンズの近く。正確にはビヨンズが接続されている壁に向かう。
「……ん? あれって……配線?」
ケイウスが到着。そこでは透夜が懸命に配線へ攻撃を仕掛けていた。
壁に接続されているが、正確には壁から伸びたケーブルがビヨンズへ繋がれている。
「ビヨンズと繋がってる」
「あ、良いところに。あの配線を攻撃して欲しい。あれを切断できれば、戦況は変わるはずだ」
透夜がケイウスへ救援を求める。
透夜だけで攻撃していては時間がかかる。早々にケーブルを切断する為には、味方の火力も欲しい。
「よし、それなら!」
ケイウスはビーナスレインを発動。
壁に接続されたケーブルを集中して攻撃を開始する。
さらに――。
「シアン、こっちに来て欲しい。ビヨンズに繋がれた配線を切断して欲しいんだ」
「……了解」
ケイウスは更にシアンへ招集を掛ける。
このケーブルへの攻撃が、咎人との戦いを大きく揺れ動かす事になる。
●
「やった。これで」
「……ぐっ……貴様……」
透夜の一撃が、ビヨンズを壁から引き剥がした。
地面へ派手に墜落するビヨンズ。
壁と接続されていた部分を集中的に攻撃していた透夜が、ついに狙いを成功させる。壁から引き剥がせれば、ビヨンズは回復に必要なエネルギーを供給できなくなる。
「ビヨンズさま、御覚悟を」
ここを機会と見定めた静が、一気にビヨンズへ畳み掛ける。
守り刀「白鞘巻」を手に魔法攻撃。地面に転がっているが故に、触手で十分に防御する事ができない。ビヨンズの装甲に連続で衝撃が走る。
「あら。随分とお似合いの姿ですわね」
いつの間にか、ヨミがビヨンズの近くにまで接近していた。
その間合いは明らかにヨミの刀が届く間合いである。
「……貴様ら……私を……どうするつもり、だ?」
「どうするも何も。戦争となれば、すべき事は一つですわ。ふふふふふ」
ビヨンズが触手でヨミをはね除けようとする。
だが、それよりも早くヨミが抜刀。触手を一撃で両断してみせた。
「ビヨンズ。誰かを、何かを犠牲にして生き延びる生に、本当に意味があると?」
高柳 京四郎(ma0078)が一歩前に出る。
既に周囲は咎人で取り囲んでいる。ビヨンズが体勢を整えよとしても、その前に咎人が集中砲火を浴びせかけるはずだ。自動回復の機能があろうとも、高火力のダメージを一気に叩き込めば回復する暇もないだろう。
「……ある……。私は……人は、誰しも……生きねば、ならん……」
「その生の選別をするのが、ビヨンズ……お前にあるのか?」
「……愚問……崇高な使命を……帯びた以上……その責任を、背負う……覚悟が……違う」
ビヨンズは断言する。
京四郎は研究者であるビヨンズに、今一度聞いておきたかった。
アーク計画を進めてきたビヨンズが、如何なる覚悟を持って臨んでいたのか。アーク計画は一種の人の選別をしている。生きるべき人と犠牲になる人が生じる。誰が生きて、誰が見捨てられるか。その選別は、謂わば神であり、悪魔の所業だ。そこに生じる責任は一人で背負うにはあまりに大き過ぎる。
そして、問答の末にビヨンズは覚悟を決めていたと気付く。
「ならばここからは意志と意志のぶつかり合いだ。語るは言葉ではなく、その身とこの刃と行こうか……互いの譲れない物を懸けてな」
京四郎は、ジェネレイトブレイド「鷹」を鞘から抜いた。
既にここへ辿り着く前に多数のセンチュリオンを倒し、味方から多くの支援を受けている。ビヨンズへ叩き込むべきは、京四郎渾身の一撃。背中に桜吹雪の刺青が浮かび上がる。
「……させる、か」
ビヨンズは薙ぎ払うように触手を動かし、光の弾を発射する。
だが、十分に狙い定めた攻撃ではなかったようだ。光の弾は京四郎の脇へ逸れていく。
それでも京四郎はビヨンズから意識を外す事はなかった。
「その覚悟、しかと拝見した。その上で、ビヨンズ……その覚悟を越えさせてもらう」
「……お前に……安息を、求めるすべての者達を……背負えるの、か」
ビヨンズの問いかけ。
その答えの代わりに、千本桜は怪しく咲き乱れる。
そして、鷹の柄を強く握り締める。
「背負うさ。……それが、必要となるなら」
京四郎が振り上げた鷹を振り下ろした。
多数の攻撃を受けてきたビヨンズの装甲。そこを狙うように振り降ろされた一撃が、ビヨンズの装甲を穿つ。
さらにヨミが駄目押しとばかりに斬撃を重ねる。
「折角ですから、介錯を務めましょう。あなたは弱者であるが故に、ここで散るのです」
刻まれた傷から激しい火花が生じている。
それは、ビヨンズに致命的な一撃が加えられた証でもあった。
「……馬鹿な……私が死ねば……アーク計画が……安息の地、が……」
事実を受け入れられないビヨンズ。
その様子を京四郎は黙って見つめていた。
アーク計画に、ヤルダバオトを襲った悲劇に翻弄された研究者。
ビヨンズの熱意が、想いが消え去っていく。
「……終わりましたわね。それなりに楽しめましたわ」
ビヨンズが沈黙した後、ヨミは満足そうに刀を鞘へ戻した。
ビヨンズが停止したのであれば、胤がこれ以上狙われる事もない。これで天儀に平穏が訪れるはずだ。
「…………」
ヨミは京四郎が視線を向けている事に気付いた。
「何か?」
「……いや、何でもない」
そう返す京四郎。
軽く首を傾げながらヨミは踵を返してシオラン達の元へ戻っていく。
その様子を目で追っていた京四郎は、内心で警戒を強めていた。
(……さて、ヨミが動くとすればこの辺りのタイミングだろうか……?
いや、さらに後で動くかもしれない。不意を突くなら……)
ビヨンズが倒れ、沈黙したアーク。
シオランは咎人を護衛につけ、その内部調査の為に踏み込んだ。
「これは……!」
アーク計画。それは滅びゆく天儀から命を運び出し、守る――保管する為の計画でもあった。
「天儀の動植物のゲノムデータや、それに……人間たちの魂を保管したものまで……ビヨンズ……お前は……つくづく天才じゃったか」
アークの中に逃れた人々も、結局は変異してしまったらしい。だがその魂を抽出し、保存するという独自の技術をビヨンズは開発していた。一部はヤルダバオト・エミュレーターにも搭載されたものだが、ビヨンズ製のそれは、人間だけでなく『動植物の魂』なるものまで保護する効力を持っていた。
「確か、そもそも変異体の発生は天儀の魂の異常――特に、『循環』の異常が原因でしたね?」
ヨミが問う。変異体の発生は大精霊の力の使い過ぎ、即ち一方的な魂の搾取が主な原因だ。それは先のヤルダバオト・エミュレーターの事件を経て、保存された多くの魂が天儀に還ることになり、それによって若干状況緩和している。
「ああ。これだけの魂を天儀に戻すことが出来れば、天儀の回復は一段と進むことじゃろう」
ビヨンズがここまで運んできた巨大なタイムカプセルは、結果的には天儀復活の役に立つらしい。
「……すまぬな。お前が生涯をかけて守り抜いたアークは、天儀の為に使わせてもらうぞ」
(執筆:近藤豊)




