●雪鳥の記憶
草薙胡桃(ma0042)は一度この島に来たことがあるため、もうどうすればいいか解っていた。
迷うことなく三途の川のような川岸にたどり着いて、花畑に座って眠気が来るのを待つ。
するとすぐに猛烈な眠気がやって来て、草薙はぱたりと眠ってしまったのだった。
「雪、が降って……。ここ、は……」
まず最初に草薙の目に入って来たのは、雪だった。
滔々と降りしきる真っ白い雪。
雪の中に、古びてはいるが立派な神社がある。それは山の奥深くにひっそりと存在していた。
周囲は鬱蒼とした木々に囲まれ、参道や社殿の前には篝火が揺れている。古い社殿の色もくすんだ石畳の道も、雪が降り積もり白に覆われていた。
その光景が草薙の『記憶』を刺激する。
「私、は……」
本来の草薙は、誰も足を踏み入れない『奥の殿』と呼ばれる、七つになったらそこに奉納される『隠し巫』だった。
奥の殿は文字通り神社の奥に存在する殿。当然一般人の目に触れることはなく、一部の選ばれた人間しか入ることを許されない場所だ。
そして隠し巫もその名の通り、外界とは切り離され、奉納後は親ですら顔を見ることもできなくなる、隠された巫女である。
生前の草薙が、そこにいた。
今の自分より若く幼さの残る面影の草薙は、奥の殿で周りの大人が望むままに『神事』や『星結』を行っていたのだ。
「……『覚えてる』。何、を、するべきか。どう、舞うべきか――」
星結とは天然石を使う占いで、神事には舞いを奉納する。
草薙はそれらの作法や動きを知っているのを思い出した。
「……あぁ、そう、か……。私……『私』は……」
『これ』が『私』だった。
何の疑問も望みも持たず、ただ淡々と『仕事』をこなす日々を送っている自分を、草薙は見ていた。
今思えば若者としての快活さもなく、遊びも知らず、自由とは何なのかということさえ考えもしない毎日だった。七つで隠し巫となったために、俗世のことなど何一つ知る由もない。
不憫にさえ思える隠し巫の自分が、『自分』だったのだと感じられる。
それじゃあ、これまで信じていた『記憶』は?
「私のもの、じゃ……なか、った……」
だが、草薙はあまりショックじゃなかった。
薄々そんな感じがしていたこともあり、『案の定そうだったのか』という気持ちだ。
それとなく心の準備ができていたおかげで、今それが確信に変わっても受け止めることができている。
今の自分は、『記憶を上書きされて』咎人になったということだろう。
「それでも私、は……今ここにいる『私』は――」
咎人となってから短くない時間を過ごしてきた。その間色々な出会いがあり、様々なことをして、たくさんのことを思って来た。
自分のものではない記憶によって咎人をやっていたとしても、その行動や思いが自分ではなかったと言えるだろうか。
こんな自分にも『すきなひと』や『たいせつなひとたち』がいるのだ。あの時思うことができなかった想いを抱き、築けなかった関係を築くことができた人達が。
彼女らは今の自分にとってかけがえのないもので、それは本当の自分を取り戻しても変わらない。
ならば。
草薙は奥の殿が建つ、雪の積もる庭へ降り立っていた。
「何を失うのか、は……私が決める」
選ぶのは『今の自分』だ。
草薙はしゃがみこんで、雪の地面を掘り始めた。素手だけれど冷たさは感じない。雪も降り続いているけれど寒くない。
そして空いた穴に『上書きされた記憶』を入れた。
雪を被せて、白の中に埋葬する――。
は、と草薙は目覚めた。
「……」
上体を起こし、自分のいる場所を確認する。
走馬灯の内容はちゃんと覚えていた。
草薙は立ち上がり、服に付いた花弁を払う。
頭は少々重いが、気分は悪くない。心の整理はついた。
(翼、も、記憶、も――全部、偽りだったとして、も……)
咎人として過ごしてきた日々は偽りじゃない。
草薙は花畑が見せる幻想的な景色を眺めながら、隠し巫だった自分に想いを馳せ、今の自分が得たものを失うまいと思うのだった――。
草薙胡桃(ma0042)は一度この島に来たことがあるため、もうどうすればいいか解っていた。
迷うことなく三途の川のような川岸にたどり着いて、花畑に座って眠気が来るのを待つ。
するとすぐに猛烈な眠気がやって来て、草薙はぱたりと眠ってしまったのだった。
「雪、が降って……。ここ、は……」
まず最初に草薙の目に入って来たのは、雪だった。
滔々と降りしきる真っ白い雪。
雪の中に、古びてはいるが立派な神社がある。それは山の奥深くにひっそりと存在していた。
周囲は鬱蒼とした木々に囲まれ、参道や社殿の前には篝火が揺れている。古い社殿の色もくすんだ石畳の道も、雪が降り積もり白に覆われていた。
その光景が草薙の『記憶』を刺激する。
「私、は……」
本来の草薙は、誰も足を踏み入れない『奥の殿』と呼ばれる、七つになったらそこに奉納される『隠し巫』だった。
奥の殿は文字通り神社の奥に存在する殿。当然一般人の目に触れることはなく、一部の選ばれた人間しか入ることを許されない場所だ。
そして隠し巫もその名の通り、外界とは切り離され、奉納後は親ですら顔を見ることもできなくなる、隠された巫女である。
生前の草薙が、そこにいた。
今の自分より若く幼さの残る面影の草薙は、奥の殿で周りの大人が望むままに『神事』や『星結』を行っていたのだ。
「……『覚えてる』。何、を、するべきか。どう、舞うべきか――」
星結とは天然石を使う占いで、神事には舞いを奉納する。
草薙はそれらの作法や動きを知っているのを思い出した。
「……あぁ、そう、か……。私……『私』は……」
『これ』が『私』だった。
何の疑問も望みも持たず、ただ淡々と『仕事』をこなす日々を送っている自分を、草薙は見ていた。
今思えば若者としての快活さもなく、遊びも知らず、自由とは何なのかということさえ考えもしない毎日だった。七つで隠し巫となったために、俗世のことなど何一つ知る由もない。
不憫にさえ思える隠し巫の自分が、『自分』だったのだと感じられる。
それじゃあ、これまで信じていた『記憶』は?
「私のもの、じゃ……なか、った……」
だが、草薙はあまりショックじゃなかった。
薄々そんな感じがしていたこともあり、『案の定そうだったのか』という気持ちだ。
それとなく心の準備ができていたおかげで、今それが確信に変わっても受け止めることができている。
今の自分は、『記憶を上書きされて』咎人になったということだろう。
「それでも私、は……今ここにいる『私』は――」
咎人となってから短くない時間を過ごしてきた。その間色々な出会いがあり、様々なことをして、たくさんのことを思って来た。
自分のものではない記憶によって咎人をやっていたとしても、その行動や思いが自分ではなかったと言えるだろうか。
こんな自分にも『すきなひと』や『たいせつなひとたち』がいるのだ。あの時思うことができなかった想いを抱き、築けなかった関係を築くことができた人達が。
彼女らは今の自分にとってかけがえのないもので、それは本当の自分を取り戻しても変わらない。
ならば。
草薙は奥の殿が建つ、雪の積もる庭へ降り立っていた。
「何を失うのか、は……私が決める」
選ぶのは『今の自分』だ。
草薙はしゃがみこんで、雪の地面を掘り始めた。素手だけれど冷たさは感じない。雪も降り続いているけれど寒くない。
そして空いた穴に『上書きされた記憶』を入れた。
雪を被せて、白の中に埋葬する――。
は、と草薙は目覚めた。
「……」
上体を起こし、自分のいる場所を確認する。
走馬灯の内容はちゃんと覚えていた。
草薙は立ち上がり、服に付いた花弁を払う。
頭は少々重いが、気分は悪くない。心の整理はついた。
(翼、も、記憶、も――全部、偽りだったとして、も……)
咎人として過ごしてきた日々は偽りじゃない。
草薙は花畑が見せる幻想的な景色を眺めながら、隠し巫だった自分に想いを馳せ、今の自分が得たものを失うまいと思うのだった――。




