「折角ですし、天獄界を色々歩いてみましょうか」
レジオール・V=ミシュリエル(ma0715)は宣言するようにそう呟いて、意識してゆったりとした足取りで歩き始める。
天獄界は場所によって様々な様相を見せる。それすらもここで暮らすうちにいつしか慣れたものとなったが、今の彼女にとってはだからこそ特別にも映る。
……と。
「あ、ジィト様。こんにちは。リュキ様とお散歩でしょうか……?」
そこでちょうど、向こうからジィト(mz0039)が神獣のリュキと共に歩いてくるのが見えて、レジオールは軽く腕を上げて声をかける。
「よお、レジオール。ああ、今は散歩中だぜ」
「るぐー」
ジィトが明るく応じると、リュキも嬉しそうにしっぽを振って一鳴きした。
「寒くなってきましたが、お元気そうでよかった。体調は如何でしょう?」
「おう、問題ねえよ。任務がねえわけじゃねえけど、このところ随分平和になったしな」
案じる言葉に答えるジィトの様子は本当に問題がなさそうに思えた。レジオールは納得して、それから今度はリュキの元へとかがみ込んで、そっと手を伸ばす。
撫でる手にリュキは望むところとばかりに身を寄せてきた。
「ふわふわだねぇ。可愛いねぇ」
「るぐっ」
「リュキ様も元気そうで良かった。寒くなってきたからもふもふが重宝されるって事ですね……。……いえ、お疲れの方にも効くのでジィト様にはもふもふは常に必須という事でしょうか……」
「だから最近は平和だって言ってんだろ!?」
呟くうちに色々と心配になってきて深刻みを帯びていくレジオールの口調に、ジィトが抗議の声を上げる。
「ちょっとそこまで御一緒しても良いでしょうか? 色々歩き回るの、楽しくて」
と、そこでレジオールが思い出してそう申し出た。
「丁度良かった、私、挨拶回りも兼ねていまして。ご挨拶に」
そうして並んで歩き始めると、今度はレジオールが、少し遠くに視線をやりながら囁くようにそう言った。
「人幻界に行く事に……人間に、なろうと思って、今挨拶回りしてるんです」
「そ……っか」
それは簡単な決断ではないだろう。ジィトも咄嗟にはどう言えばいいのか分からずに、そんな返答になる。
「広場でジィト様達のやり取りを見てて、決めたところもあったので、お礼にと思いまして」
「……へ?」
「……私、悩んでいたんです。強くあらねばって思ってましたのに。突然『人間になれるよ!』なんて言われても……戸惑ってしまって」
レジオールの葛藤に、いつの間にか自分が関わっていたことなどジィトには思いもよらないことで、戸惑いつつも一先ずは相槌を打ちながら話を聞く。
「力の無い私が、隣に立つなんて、良いのかなって」
「……」
その気持ちは、ジィトにも分かるものだった。傍に居ればいるほど大切な人が凄い存在なのだなと感じて。自分が傍に居ていいのだろうかと不安に思った事は何度もある。
……が。
「大切な人と一緒だから幸せだって、お話してるの聞いて、あの時心が決まったのです」
レジオールがそう言った瞬間、ごく自然に顔を見合わせる形になる。
そうして目が合うと、ジィトは彼女の言葉にしっかりと頷いた。
「ああ。だって……どれだけ不安に思ってても、一緒に居るとそれ以上に、幸せだから」
真っ直ぐ、ジィトはそう答えて。
「大丈夫、あんたも絶対、幸せになるさ。おめでとう」
そう、祝福の言葉を伝えた。
レジオールはそれに、コクリと頷く。
「今後は、皆で過ごされるんでしょうか? おうち、決まりました?」
「ああ。三人で探して、良い場所が見つかったんだ」
「私の方は……取り敢えずは。戸籍が貰えるので、何とかなりました。……書類の手続きって、久し振りに大量にやりましたが本当に大変ですね……」
「あー……そりゃあ、うん。俺からは、お疲れさんとしか言えねえけど……」
それからもうしばらく、そんな風にとりとめもなく会話しながら歩く。
天獄界を離れ、定命となる友人を、見送るための時間。
「あまり言葉に表現するのは苦手ですが、本当にありがとうございました。色々とお話もしていただいて。感謝申し上げます」
「……俺の方こそ、感謝してるよ。ああ、本当、上手く言葉にならねえけど」
ああ、本当に、どう言葉を尽くしても何かが足りない気がする。
この世界での出会い。
積み重ねた時間。
そうして、それぞれが選んだ未来。
どれも、とても掛け替えのないものだ。
「心残りは……皆様お揃いコーデを見れなかったことでしょうか……また個別でお写真下さいね。皆様の幸福もまた、私の幸福なのですから」
「はは。そうだな。あんたの様子も、時々聞けたら嬉しいよ」
それから。笑い合いながらこうして門出を祝える、この光栄も。
改めて。
これまで、本当にありがとう。
その未来の幸福を、心から願い、信じている。
短いやり取りの中、互いにそれを伝え合って、そうして二人は、手を振って別れた。
●
はらり。はらり。
穏やかな日差しの元、薄紅がゆったりと散り積もっていく。
風は暖かくやわらかで、新緑の香りを運んでくる。
淡い色で彩られた空間はどこまでも優しさに満ちていて。
「……幸せ、だなあ」
「ふふ、俺も。とっても幸せ」
「ああ。たまらなく、幸せだな」
シアン(ma0076)とケイウス(ma0700)、ジィトは、その中で寄り添い合いながら、満ちていく想いが自然に零れるようにそう囁き合っていた。
三人で共に暮らす家。
その傍らには、三人で植えて育てた桜の樹があって。
三人で見守りながら育て、やがて花を咲かせるようになった樹は、いつしか、三人を遥か高くから見届けるかのような大樹に成長していた。
その桜の樹の下で今日、三人は休日の時間をゆっくりと過ごしている。
数十年、数百年か。どれほどの時を重ねただろうか。
気の遠くなるような長い時間のようで、その年月に心が擦り切れてしまうようなことはなかった。様々な浮遊島に、異世界に赴いた、そのどれもが刺激的な日々ではあった。
いろんな体験をし、いろんな想いに触れて──
では、そんな日々が、少しずつ彼らを変えていくかといえば、それも無かった。少なくとも彼らの自覚の上では。
イデア体である外見は勿論ほとんど変わらないが、中身もだ。
シアンは傍らのバスケットから、ジィトが焼いた菓子パンを取り出して幸せそうに齧る。それからふとケイウスの視線に気が付いて、一口ちぎるとあーん、と彼の口元に運んだ。
「ケイウス。ジィト。私の、幸せの形。……愛してるよ」
顔をほころばせるケイウスに、シアンがまたほわほわと告げる。
そう、変わらない。皆、甘いものに目が無い事も……互いに大好きなことも。
差し迫った危機も予定も無いのんびりした日。こうして一緒に過ごしていると、つくづくにそのことを実感する。
いや、互いへの想いは、微塵も揺らがないどころか年を経るごとに増えているとシアンは感じていた。
「嬉しいな……シアンとジィトと一緒なら、何も心配なんてないよ」
ケイウスも、シアンの言葉に、その傍で微笑むジィトの様子に、しみじみと呟く。
みんなで植えた桜の下で寄り添って笑い合って。
幸せだと伝えれば、二人も同じ気持ちだと返ってきて、その事にまた嬉しくなる。
「俺が俺のままで笑えるのは、二人が傍に居てくれるおかげだよ」
はらり、桜の花びらが舞い降りる。
幾度も重ねた言葉を、もう一枚、積み重ねる。
心から幸せな時はいつもそうなってしまうように、ケイウスの翼がふわりと広がって小さく揺れて、朱の混じる翼が陽に透ける。
「ああ……綺麗だな」
ジィトがうっとりと目を細めて言った。
金色が透けて薄紅が舞う。幻想的な光景にシアンもほう、吐息を飲んで。そして。
「心配なんてない……か」
それからポツリ、吐き出すようにシアンは言った。
桜散る風景は美しすぎて、そこに儚さを見出してしまうからかもしれない。
「……私は……いつか来てしまう二人との別れが、少しだけ怖い」
それは、貴い想いが不変である限り存在する不安だった。
これまでも、何度か。折に触れて、誰かから顔を出す。
永い永い時の中で、この天獄界を離れた宇宙で時が進んでいくのを見届け続けた。
沢山の出会いがあり、別れがあった。
そうする度にまた意識するのだ。遠い遠いこの時の流れの果てに、自分たちにも終わりは必ず来るのだ、と。
ふっと、小さなため息とともに吐き出して、シアンは二人へと視線を向けた。きっと今自分は少し寂しげな表情をしているのだろう。そんな弱い顔も、二人になら見せる。悩んだときは分け合おうと約束してきたから。
「……俺も、怖い。だけど、二人が傍に居てくれたら大丈夫なんだ」
ケイウスはそっとシアンに凭れ掛かって囁く。
いつかの別れが怖いという気持ちが彼に無いわけではなかった。
でも、シアンが不安にしているなら、ケイウスはきっと大丈夫だよと笑う。
シアンと、それからジィトにも腕を回して、優しく抱きしめる。
……最初に、いつか来る別れの不安を零したのは確か、ケイウスだった。
咎人として初めて介入した聖樹界、その中で出来た大切な友人との別れを経て。
その時は、二人がぎゅっと抱きしめてくれて、一緒に眠りについて安心させてくれた。
だからその時の温もりを返すように、今はケイウスが二人を抱きしめる。
「……ん」
ジィトが、甘えるように、ケイウスの中で頬を摺り寄せる。
心の中にあるぽつんとした不安の染み、そこから心が冷えて動けなくなってしまわないように暖かさを求める。
「……ミルクティー」
そうしてジィトは、ケイウスの腕の中でぼそっと言った。
ん? と二人が視線を向ける。
「ミルクティー、飲みたくなった。淹れてくる」
そう言って、ほんの少し名残惜しそうにケイウスの腕から離れて立ち上がる。
シアンとケイウスは、ああ、そうだねと微笑した。
ミルクティーはジィトにとって「魔法の飲み物」だ。独りきりになってしまうような不安には特によく効く。その魔法をかけたのも、二人が大きく関わっている。
……これも、今からすれば本当に、咎人になったばかりの頃の遠い遠い想い出。
それでも、全く色褪せることなく残り続けている大切な記憶だ。
ジィトがカップを持って戻ってくる。優しい甘さに整えられたミルクティーの香り。
並んで手に取って、一緒に口を付けて、その暖かさと味わいにほう、と息を吐く。
「……♪」
ふとケイウスの唇から、歌が零れた。
二人がハッとして彼の方を見る。
視線を受けて、ケイウスは飛び切り優しい笑顔を浮かべる。
一緒に歌おうと、その笑顔は誘っていた。
二人もパッと笑顔を浮かべて、湧きあがるように口を突いて出る旋律を重ねる。
柔らかくて暖かい、春を思わせる旋律。
これもまた、忘れもしない「はじまりの頃」の記憶だ。
シアンにとっては、生前の『彼』との思い出の曲だったこれは、今は共に生きる二人との絆を感じる曲になっている。
ケイウスにとっては、二人と仲良くなり始めた日に聞いた特別な歌で、聴いたその時から大好きになった歌。
確かに積み重ねてきた時間があることを感じて、ジィトははるか遠くに目をやる。
三人で、いろんな時間を積み重ねてきた。
それは決して、楽しい、幸せなことばかりではなかった。永い時間の中で心が何も感じなくなることは無かったのは、つまり変わらず大変だったことでもある。
幾つの世界を救っても、様々な問題があり、色んな想いがあった。それら一つ一つ、「慣れ」ですぐさま片付けられるようなものでは無くて。
……ずっとそれに、真正面から三人で向き合い続けた。
そう、辛い事、悲しい事、不安な事。それに深く傷ついてしまうのは、彼らがそれらを誤魔化そうとすることなく真剣に向き合い続けたからに他ならない。
仕方ない、妥協しよう、自分たちに出来る事なんてこの程度だと弁えよう。そんな風に割り切ることが出来ないから、ままならないことに一つ一つ、憤り、悲しんできた。
……でも、そんな人だから、お互い支え合っていこうと思えるのだ。
そうして力を合わせて乗り越えてきたことが、いつしか自信として積み重なっていく。
だから。
ケイウスがいつか誓った、彼が見送るだけの形じゃない。
シアンがいつか受け入れようとした、彼が見送られるだけじゃない。
ジィトがいつか願った、まだはっきりとは分からない『一番いい形』。
これからも様々なことを積み重ねて生きていく中で、一緒に目指したいと、いつか掴めると、三人は改めて思う。
(愛しい二人の傷や過去も、今の幸せごと抱き締めて生きていきたい。今ここにある幸せと温もり、シアンとジィトが一緒なら手放さずに歩いて行けるよ)
(私は今、幸せだよ。生前の傷も、犯した罪も、失った記憶も、全部抱えて、愛する二人と共に生きていくんだ)
(もう迷わねえ。大切な二人の為ならどこまでも手を伸ばす事を。生前届けられなかった想いの分も、二人になら預けられる)
それぞれの過去と未来に想いを馳せて、三人は歌声て心を重ねる。
はらり。はらり。
桜の大樹が、見下ろすように咲き誇り、花びらを散らしていく。
優しい景色が、願いを包み込み、いつか適うと囁くように。
レジオール・V=ミシュリエル(ma0715)は宣言するようにそう呟いて、意識してゆったりとした足取りで歩き始める。
天獄界は場所によって様々な様相を見せる。それすらもここで暮らすうちにいつしか慣れたものとなったが、今の彼女にとってはだからこそ特別にも映る。
……と。
「あ、ジィト様。こんにちは。リュキ様とお散歩でしょうか……?」
そこでちょうど、向こうからジィト(mz0039)が神獣のリュキと共に歩いてくるのが見えて、レジオールは軽く腕を上げて声をかける。
「よお、レジオール。ああ、今は散歩中だぜ」
「るぐー」
ジィトが明るく応じると、リュキも嬉しそうにしっぽを振って一鳴きした。
「寒くなってきましたが、お元気そうでよかった。体調は如何でしょう?」
「おう、問題ねえよ。任務がねえわけじゃねえけど、このところ随分平和になったしな」
案じる言葉に答えるジィトの様子は本当に問題がなさそうに思えた。レジオールは納得して、それから今度はリュキの元へとかがみ込んで、そっと手を伸ばす。
撫でる手にリュキは望むところとばかりに身を寄せてきた。
「ふわふわだねぇ。可愛いねぇ」
「るぐっ」
「リュキ様も元気そうで良かった。寒くなってきたからもふもふが重宝されるって事ですね……。……いえ、お疲れの方にも効くのでジィト様にはもふもふは常に必須という事でしょうか……」
「だから最近は平和だって言ってんだろ!?」
呟くうちに色々と心配になってきて深刻みを帯びていくレジオールの口調に、ジィトが抗議の声を上げる。
「ちょっとそこまで御一緒しても良いでしょうか? 色々歩き回るの、楽しくて」
と、そこでレジオールが思い出してそう申し出た。
「丁度良かった、私、挨拶回りも兼ねていまして。ご挨拶に」
そうして並んで歩き始めると、今度はレジオールが、少し遠くに視線をやりながら囁くようにそう言った。
「人幻界に行く事に……人間に、なろうと思って、今挨拶回りしてるんです」
「そ……っか」
それは簡単な決断ではないだろう。ジィトも咄嗟にはどう言えばいいのか分からずに、そんな返答になる。
「広場でジィト様達のやり取りを見てて、決めたところもあったので、お礼にと思いまして」
「……へ?」
「……私、悩んでいたんです。強くあらねばって思ってましたのに。突然『人間になれるよ!』なんて言われても……戸惑ってしまって」
レジオールの葛藤に、いつの間にか自分が関わっていたことなどジィトには思いもよらないことで、戸惑いつつも一先ずは相槌を打ちながら話を聞く。
「力の無い私が、隣に立つなんて、良いのかなって」
「……」
その気持ちは、ジィトにも分かるものだった。傍に居ればいるほど大切な人が凄い存在なのだなと感じて。自分が傍に居ていいのだろうかと不安に思った事は何度もある。
……が。
「大切な人と一緒だから幸せだって、お話してるの聞いて、あの時心が決まったのです」
レジオールがそう言った瞬間、ごく自然に顔を見合わせる形になる。
そうして目が合うと、ジィトは彼女の言葉にしっかりと頷いた。
「ああ。だって……どれだけ不安に思ってても、一緒に居るとそれ以上に、幸せだから」
真っ直ぐ、ジィトはそう答えて。
「大丈夫、あんたも絶対、幸せになるさ。おめでとう」
そう、祝福の言葉を伝えた。
レジオールはそれに、コクリと頷く。
「今後は、皆で過ごされるんでしょうか? おうち、決まりました?」
「ああ。三人で探して、良い場所が見つかったんだ」
「私の方は……取り敢えずは。戸籍が貰えるので、何とかなりました。……書類の手続きって、久し振りに大量にやりましたが本当に大変ですね……」
「あー……そりゃあ、うん。俺からは、お疲れさんとしか言えねえけど……」
それからもうしばらく、そんな風にとりとめもなく会話しながら歩く。
天獄界を離れ、定命となる友人を、見送るための時間。
「あまり言葉に表現するのは苦手ですが、本当にありがとうございました。色々とお話もしていただいて。感謝申し上げます」
「……俺の方こそ、感謝してるよ。ああ、本当、上手く言葉にならねえけど」
ああ、本当に、どう言葉を尽くしても何かが足りない気がする。
この世界での出会い。
積み重ねた時間。
そうして、それぞれが選んだ未来。
どれも、とても掛け替えのないものだ。
「心残りは……皆様お揃いコーデを見れなかったことでしょうか……また個別でお写真下さいね。皆様の幸福もまた、私の幸福なのですから」
「はは。そうだな。あんたの様子も、時々聞けたら嬉しいよ」
それから。笑い合いながらこうして門出を祝える、この光栄も。
改めて。
これまで、本当にありがとう。
その未来の幸福を、心から願い、信じている。
短いやり取りの中、互いにそれを伝え合って、そうして二人は、手を振って別れた。
●
はらり。はらり。
穏やかな日差しの元、薄紅がゆったりと散り積もっていく。
風は暖かくやわらかで、新緑の香りを運んでくる。
淡い色で彩られた空間はどこまでも優しさに満ちていて。
「……幸せ、だなあ」
「ふふ、俺も。とっても幸せ」
「ああ。たまらなく、幸せだな」
シアン(ma0076)とケイウス(ma0700)、ジィトは、その中で寄り添い合いながら、満ちていく想いが自然に零れるようにそう囁き合っていた。
三人で共に暮らす家。
その傍らには、三人で植えて育てた桜の樹があって。
三人で見守りながら育て、やがて花を咲かせるようになった樹は、いつしか、三人を遥か高くから見届けるかのような大樹に成長していた。
その桜の樹の下で今日、三人は休日の時間をゆっくりと過ごしている。
数十年、数百年か。どれほどの時を重ねただろうか。
気の遠くなるような長い時間のようで、その年月に心が擦り切れてしまうようなことはなかった。様々な浮遊島に、異世界に赴いた、そのどれもが刺激的な日々ではあった。
いろんな体験をし、いろんな想いに触れて──
では、そんな日々が、少しずつ彼らを変えていくかといえば、それも無かった。少なくとも彼らの自覚の上では。
イデア体である外見は勿論ほとんど変わらないが、中身もだ。
シアンは傍らのバスケットから、ジィトが焼いた菓子パンを取り出して幸せそうに齧る。それからふとケイウスの視線に気が付いて、一口ちぎるとあーん、と彼の口元に運んだ。
「ケイウス。ジィト。私の、幸せの形。……愛してるよ」
顔をほころばせるケイウスに、シアンがまたほわほわと告げる。
そう、変わらない。皆、甘いものに目が無い事も……互いに大好きなことも。
差し迫った危機も予定も無いのんびりした日。こうして一緒に過ごしていると、つくづくにそのことを実感する。
いや、互いへの想いは、微塵も揺らがないどころか年を経るごとに増えているとシアンは感じていた。
「嬉しいな……シアンとジィトと一緒なら、何も心配なんてないよ」
ケイウスも、シアンの言葉に、その傍で微笑むジィトの様子に、しみじみと呟く。
みんなで植えた桜の下で寄り添って笑い合って。
幸せだと伝えれば、二人も同じ気持ちだと返ってきて、その事にまた嬉しくなる。
「俺が俺のままで笑えるのは、二人が傍に居てくれるおかげだよ」
はらり、桜の花びらが舞い降りる。
幾度も重ねた言葉を、もう一枚、積み重ねる。
心から幸せな時はいつもそうなってしまうように、ケイウスの翼がふわりと広がって小さく揺れて、朱の混じる翼が陽に透ける。
「ああ……綺麗だな」
ジィトがうっとりと目を細めて言った。
金色が透けて薄紅が舞う。幻想的な光景にシアンもほう、吐息を飲んで。そして。
「心配なんてない……か」
それからポツリ、吐き出すようにシアンは言った。
桜散る風景は美しすぎて、そこに儚さを見出してしまうからかもしれない。
「……私は……いつか来てしまう二人との別れが、少しだけ怖い」
それは、貴い想いが不変である限り存在する不安だった。
これまでも、何度か。折に触れて、誰かから顔を出す。
永い永い時の中で、この天獄界を離れた宇宙で時が進んでいくのを見届け続けた。
沢山の出会いがあり、別れがあった。
そうする度にまた意識するのだ。遠い遠いこの時の流れの果てに、自分たちにも終わりは必ず来るのだ、と。
ふっと、小さなため息とともに吐き出して、シアンは二人へと視線を向けた。きっと今自分は少し寂しげな表情をしているのだろう。そんな弱い顔も、二人になら見せる。悩んだときは分け合おうと約束してきたから。
「……俺も、怖い。だけど、二人が傍に居てくれたら大丈夫なんだ」
ケイウスはそっとシアンに凭れ掛かって囁く。
いつかの別れが怖いという気持ちが彼に無いわけではなかった。
でも、シアンが不安にしているなら、ケイウスはきっと大丈夫だよと笑う。
シアンと、それからジィトにも腕を回して、優しく抱きしめる。
……最初に、いつか来る別れの不安を零したのは確か、ケイウスだった。
咎人として初めて介入した聖樹界、その中で出来た大切な友人との別れを経て。
その時は、二人がぎゅっと抱きしめてくれて、一緒に眠りについて安心させてくれた。
だからその時の温もりを返すように、今はケイウスが二人を抱きしめる。
「……ん」
ジィトが、甘えるように、ケイウスの中で頬を摺り寄せる。
心の中にあるぽつんとした不安の染み、そこから心が冷えて動けなくなってしまわないように暖かさを求める。
「……ミルクティー」
そうしてジィトは、ケイウスの腕の中でぼそっと言った。
ん? と二人が視線を向ける。
「ミルクティー、飲みたくなった。淹れてくる」
そう言って、ほんの少し名残惜しそうにケイウスの腕から離れて立ち上がる。
シアンとケイウスは、ああ、そうだねと微笑した。
ミルクティーはジィトにとって「魔法の飲み物」だ。独りきりになってしまうような不安には特によく効く。その魔法をかけたのも、二人が大きく関わっている。
……これも、今からすれば本当に、咎人になったばかりの頃の遠い遠い想い出。
それでも、全く色褪せることなく残り続けている大切な記憶だ。
ジィトがカップを持って戻ってくる。優しい甘さに整えられたミルクティーの香り。
並んで手に取って、一緒に口を付けて、その暖かさと味わいにほう、と息を吐く。
「……♪」
ふとケイウスの唇から、歌が零れた。
二人がハッとして彼の方を見る。
視線を受けて、ケイウスは飛び切り優しい笑顔を浮かべる。
一緒に歌おうと、その笑顔は誘っていた。
二人もパッと笑顔を浮かべて、湧きあがるように口を突いて出る旋律を重ねる。
柔らかくて暖かい、春を思わせる旋律。
これもまた、忘れもしない「はじまりの頃」の記憶だ。
シアンにとっては、生前の『彼』との思い出の曲だったこれは、今は共に生きる二人との絆を感じる曲になっている。
ケイウスにとっては、二人と仲良くなり始めた日に聞いた特別な歌で、聴いたその時から大好きになった歌。
確かに積み重ねてきた時間があることを感じて、ジィトははるか遠くに目をやる。
三人で、いろんな時間を積み重ねてきた。
それは決して、楽しい、幸せなことばかりではなかった。永い時間の中で心が何も感じなくなることは無かったのは、つまり変わらず大変だったことでもある。
幾つの世界を救っても、様々な問題があり、色んな想いがあった。それら一つ一つ、「慣れ」ですぐさま片付けられるようなものでは無くて。
……ずっとそれに、真正面から三人で向き合い続けた。
そう、辛い事、悲しい事、不安な事。それに深く傷ついてしまうのは、彼らがそれらを誤魔化そうとすることなく真剣に向き合い続けたからに他ならない。
仕方ない、妥協しよう、自分たちに出来る事なんてこの程度だと弁えよう。そんな風に割り切ることが出来ないから、ままならないことに一つ一つ、憤り、悲しんできた。
……でも、そんな人だから、お互い支え合っていこうと思えるのだ。
そうして力を合わせて乗り越えてきたことが、いつしか自信として積み重なっていく。
だから。
ケイウスがいつか誓った、彼が見送るだけの形じゃない。
シアンがいつか受け入れようとした、彼が見送られるだけじゃない。
ジィトがいつか願った、まだはっきりとは分からない『一番いい形』。
これからも様々なことを積み重ねて生きていく中で、一緒に目指したいと、いつか掴めると、三人は改めて思う。
(愛しい二人の傷や過去も、今の幸せごと抱き締めて生きていきたい。今ここにある幸せと温もり、シアンとジィトが一緒なら手放さずに歩いて行けるよ)
(私は今、幸せだよ。生前の傷も、犯した罪も、失った記憶も、全部抱えて、愛する二人と共に生きていくんだ)
(もう迷わねえ。大切な二人の為ならどこまでも手を伸ばす事を。生前届けられなかった想いの分も、二人になら預けられる)
それぞれの過去と未来に想いを馳せて、三人は歌声て心を重ねる。
はらり。はらり。
桜の大樹が、見下ろすように咲き誇り、花びらを散らしていく。
優しい景色が、願いを包み込み、いつか適うと囁くように。








