●
爽やかな空気に、からりと晴れた明るい陽射し。
青空が夏のはじめを告げる季節――初夏。
「初夏……春に出会った子と仲良くなってきた頃よね♪」
花弁の薄紅や白の淡い彩りが、鮮やかに濃く移り変わるように。それは、親しくなる感情と似ているのかもしれない。
幼い頃、そんな風に仲良くなった子が教えてくれた。
サツキ、サルビア、スイカズラ――。このお花達が作り出す花蜜は、吸うことが出来るんだよ、と。あちらの花は甘い、でもこちらの花は苦い――いや、それ以上に毒がある、そんなことも。
花を摘んで口付けをする。何処か儚く、繊細な行為だ。だが、嫋やかなその仕草すら悪いことをしているような気がした。それに、その子や自分が知らないだけで、もしかしたらこの花にも毒があるかもしれない。そんなことを考え、胸を高鳴らせながら吸った蜜の味は、今でも覚え――
「……てはいないわ。そういうお話を本で見かけて、いいなって思ってたの!」
「おい!!」
「あら、そう怒らないでジルバさん。ふふ♪ お菓子作りって楽しそう♪ かわいいエプロンを用意しなくっちゃ。あら、でも職人さんの作った美味しいお菓子が既にあるのね。じゃあ、もっとときめくお菓子になるような演出をしましょう。わたくしにいいアイデアがあるの!」
紅花のような可愛らしい色でほわりと頬を色付かせ、リムナンテス(ma0406)は本日休業の『Blanche』を見渡した。
「同じ体験のできるお菓子がいいわ♪ ねぇ、そう思わない?」
**
「材料は……なんとかなりそう、ね。それじゃあ、始めましょう、か」
腕捲りをした袖にリボンコサージュのアームバンドを付けた草薙胡桃(ma0042)が、厨房の一角で小さく手を鳴らした。
「これでも前は、人に食事を作っていた、し。菓子作りは得意、よ」
満ちるには程遠いが、記憶の雫を掬い上げる穏やかな目許が、残された過去を語る。
早速、胡桃は下準備を始めた。要となるのは二種類のゼリーとソースだ。どの調理も手間がかかる程ではないが、胡桃に余念はない。慣れた手つきで作業を進め、束の間にラストスパート。縦長ガラスのスクエアカップに盛り付けると、仕上げにミントの葉を添えて完成。
そのカップを三つ据えた楕円形のトレイを手に、胡桃は店内の華席へ向かった。
そのテーブル席では、待っていましたとばかりに顎を反る依頼主のファルセット(mz0034)と、数枚のデザイン画と睨み合いをしているジルバ(mz0027)の姿があった。櫻(mz0036)はと言うと、ファルセットの斜め後ろの席で腕組みをしながら目線を伏せている。
「どう、ぞ。召し上がれ」
先ずは、ひとつ、ふたつ。
ファルセットとジルバの目の前にカップとソーダスプーンを置くと、言葉と共に、そっ、と、手の平で促した。
「おっ。――へえ、ゼリーか」
ジルバは手にしていたデザイン画をテーブルの端へ寄せると、カップの側面から見える層を瞳に映しながら「爽涼な色合いだな」と、頬を傾けた。その反応に吐息で笑んだ胡桃は、
「初夏でいうと」
そう前置きをする。
「暑さが少しずつ顔を出す頃。視覚から、ね」
味わい始めるジルバに続くように、ファルセットのスプーンが煌めきを掬った。
視覚というのは目で感じる刺激だ。形、色、それらで生成された情報は、所謂“世界”となる。その世界は連なり、重なり、例えば此処のテーブルに広げられたロイヤルブルーのクロスにひとつ――。
「そう、ね……このスイーツに名前をつけるとしたら、“Votre monde”といったところ、かしら? この店は、最下層にある、でしょう? そこでお客様だけの初夏の世界を提供出来るなんて、素敵じゃない?」
カップを世界の土台と例えるなら、形と色で成されたその世界のてっぺんは空だった。
味わう最初の層は、炭酸水とかき氷のブルーシロップで作ったクラッシュゼリー。わざと色むらを出した瑠璃色のゼリーの薄青部を掬い、ざっくりと砕けば空色の宝石が出来上がる。その空へ浮かべるのは、輝く星と眠れる月――粉砂糖とミントの葉だ。
「ふむ。清涼な色に煌めく星か。粉砂糖がゼリーに溶けて、程良い甘さになっているね」
空が薄まると次に顔を覗かせたのは、グレープフルーツのクラッシュゼリー。太陽であった。
優しいほろ苦さと爽やかな甘さが後を引く。続いて沈み、雲。
「プレーンヨーグルトと生クリームのソースに、砕いたラムネを混ぜ込んで、アクセントを入れてみた、の。どう、かしら?」
「ん、ヨーグルトの酸味がゼリーに絡んで美味いな。パンケーキに付けてもイケるんじゃねぇか?」
「あら、それもいいわ、ね」
「焼いてくれよ」
「……今?」
それは又の機会に。
最後の層に広がるのは、青沈む紺碧。海だ。
空とは対照的にこちらは炭酸ゼリーの濃青部を掬い、砕いた色を他のゼリー同様敷き詰めている。
「ふふっ。わざとムラのある色にしていたのは、そういう理由、なの」
色濃い隙間を雲の筋がとろりと海の水分を呑んでいく様は、こよない対照を成していた。
「――ああ、そうだ、わ」
思い出したように声を漏らした胡桃が、すい、と、トレイを手に、ファルセットの横を通り過ぎていく。そして、トレイに鎮座していたままのみっつめのカップを、彼――櫻へ差し出した。
「甘いのが苦手な紳士には、ブルーキュラソーの海をどう、ぞ?」
胡桃は甘味が苦手な者の為に、炭酸ゼリーのシロップをブルーキュラソー、粉砂糖を金箔に変えたゼリーを用意していた。これで甘さもぐっと抑えられているはずだ。
「……」
「……」
「……」
「……?」
へんじがない。ゆすらはただ、ねむっているようだ。
その無礼な様子に、ファルセットは手近にあったメニュー表で櫻の後頭部をすぱあぁぁんッと引っ叩いた。眠気を乗せた瞼がぴくぴくと微動し、漸く翡翠の片眼が胡桃を映す。
「ああ……あー……。ああ、胡桃ちゃんか。おはよう」
「ええ、おはよう」
「いいよ。君は先に店へ行っていなさい。三日後くらいに追いかけるから」
「……三日?」
この男、寝ぼけていやがる。
再び櫻の後頭部で衝撃が走った後、彼は黙々と目覚めのゼリーを平らげたのであった。
●
ぽぽぽぽんと咲く、無機質の花。
命の温かみはなくとも、甘い香りや優しい感触を結晶化したような花のピックは、色鮮やかなマカロンを彩るように咲いていた。
「ピックに挿した一口サイズのスイーツはマカロンにしてみたの。カトラリーは使わず、お花を摘むように直接手に取って食べるのよ。素敵じゃない?」
花挿す菓子は何もマカロンでなくともよい。チョコレートやケーキ、ドーナツなど、ピックの色合いを変えれば汎用性も高くなる。
「今回は季節の味を取り入れて、マンゴーやシトロン、フランボワーズなどを選んでみたわ。……いえ、でもいっそ、ドリンクの方がいいかしら?」
「あ?」
「ストローの先にお花を挿せば、お花を摘んで蜜を吸えるわ」
茎から吸う形になるけど――そんな夢を壊す一言は流石に伏せたが、ぽぽぽんと膨らむ綿毛のように、リムナンテスの口からアイデアが弾けてくるのは事実だ。
「前ん時も思ったが、リムの案って飛ぶのな」
「あら、蜜蜂も蜜を運ぶ為に飛ぶのよ? 飲み物はそうね、蜜……砂糖水はさすがにちょっとね」
「クワガタかよ」
「(それに、花の蜜自体は、実際そこまで美味しいわけでもないのよね……)」
「おい」
「あら、ごめんなさい。ん、夏ですものね。すっきりした甘さがいいわ、レモネードとかどうかしら?」
夏の定番に、陽射しの中で咲く花を添えて。
●
「どれす、こーど。この服のままでも大丈夫でしょうかね……」
空木(ma0831)は自分の身形――白いブラウスやたっぷりのフリルに視線を落とすと、ひとり納得したように顎を引く。が、途端にころりと表情を変えた。
「は、……わたくし、料理初体験で御座います」
今気づくの?
空木はあてがわれたスペースに用意した材料を確認すると、ふと、目線を上げ、厨房を見渡した。
かき混ぜ、掬い。
カチャ、カチャリ。
真面目に、丁寧に、心を込める美味しい音が、心地良く響いている。
「女性達(?)が賑やかに作るさまは実に華やかでございますね」
空木が発した言葉に全会一致で間違いを唱えることも出来るが、そこは優しい仲間達。「不慣れな腕なりに、わたくしも頑張ることに致しましょう」――そう意気込む空木に水を差さないようスルーした。
そんな空木が作るレシピは、暑い季節になると食べたくなるアレ――
「つるりと喉を通るあの涼しさ――そう、心太で御座います」
低カロリーでヘルシー。さっぱりとした味わいが魅力の、夏の風物詩。
「こちらであれば、なにを添えるかで味が変わりますゆえ、甘いものが好きなわたくしは黒蜜を。甘いものが苦手な方は三杯酢などを」
そう言い終えるも、心に引っかかりを残すのは、記憶。
過去の中で生まれた“事実”――。
「苦手な……誰、が……?」
わからない。
今は、まだ。
空木はふるりと首を振ると、手にした材料で作業を始めた。
「確か、天草を煮詰めて型に入れ冷やすものだというのを書物で読んだ覚えがあります」
先ずは天草をもみ洗いし、つけ置いたそれをそのまま火にかける。コツは火加減。煮出す時間はいうと――
「煮出す……?」
沸騰する液を見つめながら思考停止する空木。火から下ろすまでかかる時間がわからず、空木が心太よりも早く固まっていると、見かねたパティシエが手を貸してくれた。
無事に心太液を漉すところまで進める。だが、液を固める為、型へ入れる最中にはぼたぼたと液を溢し――
あれ? 美しさは?
型から突き出す際、心太突きの刃で指を切り――
物語性とは!?
誰にも見られないようにこっそりと癒しの力を使ったりなんかして。
「飲み物は冷えた緑茶が合いましょうか。もうすぐ暑い日々が来ましょうが、楽しみで御座いますね」
そこで、空木のお腹がぐぅと鳴った。
他の参加者はどのような菓子を作っているのだろう。恐らく、この空腹を満たすには溢れんばかりの美味であると想像がつく。一口でも味わわせてもらうことが出来るのなら――
「美味なるものをくださる方に、悪い方はいらっしゃいませぬ!」
拳、ぐっ。
とりあえず運ぼ。ところてん、運ぼ。
●
「さて、パティシエ諸君にも手伝ってもらおうか?」
狐狩りの公爵ルナール・レルム(ma0312)が手がけるのは、完璧なスイーツと甘美なる物語。そして、感激だ。
青の食紅と共に柔らかく煮た極薄切りの甘い林檎を、細長いパイ生地の上に一枚ずつずらしながらのせ、端からくるりと巻く。形を整え、予熱したオーブンで焼けば青薔薇のアップルパイが出来るのだが、これで完成ではない。冷やし、甘味を凝縮させる。
ルナールが冷蔵庫をぱたんと閉めると、何気なく振り返った視界の中で、服装こそ馴染みはないもののそのかんばせと彼女が纏う空気は、彼が感じたままの可憐な蝶。
鳥籠屋『鴉』の制服を身に纏った魅朱(ma0599)が、作業に没頭していた。だが、彼女にしては珍しく「むむ……」と、眉間に皺を寄せている。どうやら、深煎りの珈琲を抽出しているようだ。
「魅朱嬢」
「あ……ルナール……」
「珈琲の抽出か。濃厚で華やかな香りだな」
「ん……透明度の高いアガーゼリーにしたくて……味を薄めたくないから、深煎りにしたの……。でも……無理に濃く抽出しようとすると雑味やえぐみが出ちゃうみたいで、難しいなって……」
「ふむ、手を貸すか?」
「んー……んん……私が作った私の“レシピ”……最後まで自分の力で頑張りたいの……」
「そうか。俺の手を必要としたい時は、遠慮せず声をかけるがいい」
「ん……ありがとう……。あ……でもね……」
魅朱は手にしていたケトルをコンロに置くと、ふ、と、睫毛を上げ、ねだるような上目遣いでルナールを見た。
「頑張ったら……前みたいに、頭……撫でてくれる……?」
意味は違えど彼の手を希求する彼女に、ルナールはやれやれと情の籠もった微笑みを返そうとして、ふと、魅朱の襟元から色を覗かせるレース地に目がいった。見覚えのあるハンカチだ。自分が与り知らない所で彼女が泣かぬよう、願いを込めて渡したそれは、魅朱の心に寄り添うように仕舞われている。
「貴女がそう望むのなら」
ルナールは確りと目を合わせ、穏やかに微笑んで見せたのであった。
ファルセットらの眼下に、二つの“物語”が咲く。
一つは、細部の飾り付けまで美しく魅せるルナールのスイーツ。
もう一つは、時間と色の移り変わりを楽しむ魅朱のスイーツだ。
形や材料、レシピすら異なる二つのスイーツだが、結びつけている表現をファルセット達が知るには、二つの物語を堪能してからになる。
「初夏とチョコは相性が悪い? 風通しの良いこれならば問題無い」
当然という自信に満ちたルナールの言葉に、ファルセット達の視線が皿へ注がれた。
皿に咲く青薔薇は、格子状のチョコレートドームで守られていた。ボウルに張った水を凍らせ、氷塊の底の丸みを利用し、溶かしたブラックチョコレートで格子模様を描く。半球の形に冷え固まったら青薔薇へ被せるというわけだ。
「冷たいパイというのは珍しく、且つ美味しいと評判を呼ぶだろうな」
食す為にスプーンの背でドームを割ると、中から幸せを呼ぶ青薔薇が顔を覗かせる。アラザンを朝露のように美しく飾り、添えられているのは白いレモンシャーベットとミントの葉だ。
「周りにはブルーベリー、カシス、ブラックベリー、ハックルベリーを飾った。主役の青薔薇を引き立てる、名脇役の小さな花々だ」
「ベリーの酸味とアップルパイの甘さが絶妙だな。いやいや、何よりこのスイーツは完成された美だ。だが――」
「爽やかな風味で初夏を感じ、見た目にも拘り美しく楽しめるデザイン。語るならば、青薔薇の“奇跡”を自らの手で見つける物語――と言ったところか」
「Tres bien!」
ファルセットが満足そうに口の端を上げた。
「この金箔を散らしたバタフライピーティー、レモン汁に反応して色が変わるんだな」
「金箔は星、輪切りのレモンを添えれば月だ、月を絞れば夜が明ける」
「洒落てんな。バタフライピーといやぁ、魅朱のドリンクもそうなんかしら」
ジルバは魅朱が用意したグラスを手に取ると、光に透かすように掲げ見た。
「あ……うん……。私のはバタフライピーのシロップを使ったの……。サイダーをゆっくり注げば、淡い夜明けの空色になるから……」
「花を閉じ込めた氷も綺麗だな。雪解けの氷みてぇだ」
ジルバは空模様を濁らせないようにサイダーを一口味わうと、隣のグラスジャーへ視線を据えた。センスの良いアンティーク風のグラスジャーには、季節の色や味が三層になって詰め込まれている。
「てっぺんにエディブルフラワーの赤薔薇……初夏の花、添えてみたの……。層と一緒に重ねた物語は……“ひねもす”……」
「ひねもす?」
「漢字では、終日って書くの……。一日はあっという間に過ぎてしまうけど、せめてこの空間では……このスイーツを食べている間は、一日の色をゆっくり楽しんで欲しい……そんな想いを、込めて……」
ファルセットはブリムから覗く瞳を細めて笑み、感嘆の吐息を漏らした。
グラスジャーの上から朝の白――ヨーグルトゼリーに砂糖漬けのレモンスライスを飾り、爽やかさを出した。昼の赤には、華やかなロゼシャンパンのクラッシュゼリーの中に赤薔薇の花弁を浮かべ、夜の黒――。アラザンを散らした星降る夜空の珈琲ゼリーが、一日の色を沈める。グラスジャーを据えた皿には、白、赤、黒の薔薇の花弁を飾り、鮮やかなコントラストを成していた。
「上品な味わいに酔いしれて一日を終えるスイーツと言ったところかな。味のバランスといい、色合いといい、実によく考えられている。ふむ、色合いと言えば……」
ファルセットがそう言いかけると、ルナールが魅朱の隣で満足そうに双眸を細めた。
「魅朱嬢と色が対になるよう打ち合わせた、気づくと面白いだろう?」
一つは物語を形作る奇跡の青薔薇。もう一つは物語に寄り添う愛情の赤薔薇。
隣り合えば対となる青と赤だが、互いの良さを引き出し合う色でもある。そこで、徐に――くぅ。魅朱の腹から小さな鳴き声が聞こえた。
「お腹空いた……ルナールが作ったの、食べたい……」
「安心するがいい。ファルセット嬢達への披露が済んだ後、みなで試食が出来るよう余分に作っておいたのでな」
流石、公爵。抜かりはない。
●
「此度の縁、解ける事無き様にと祈り織ろう……よしなにの?」
そう緩やかに頬を傾け、初見のジルバとファルセットへ挨拶を交わしたのは、悠然と時をゆく鈴東風姫(ma0771)だ。
「ファルセットの望む物とはちと違うのやもしれぬが、甘味と共に喉を潤すものも又然りとわらわは考えて居るのじゃが、どうかのう?」
澄んだ泉の底で輝くような青の双眸が、にっこりと淑やかに笑む。
“藤花の空”と名付けられたそのスイーツは、いや――ドリンクと云った方がいいのだろうか。鈴東風姫が手がけたレシピは、洛神花茶と蝶豆花茶のアイスティーであった。ハイビスカスの緋色に染まる明けの空。そこへ、たっぷりの氷を入れ、バタフライピーの蒼く染まる宵の空を注ぐ。
からん、くるくるり。
マドラーで混ぜられた氷が空を羽ばたくと――「混ぜれば紫……藤の花の様であろ?」、明けの明星と宵の明星の明暗。夢の随に咲く、一時の彩り。
「なるほど。ゆえの“藤花の空”か。僅かな揺らめきで移り変わる色合いが絶妙に美しいが、スイーツと呼ぶには甘さが全くないのだが?」
「咀嚼できるものだけがスイーツかえ?」
鈴東風姫はファルセットの指摘に、ふふ、と、吐息で微笑み、次ぐ。
「甘味は無く洛神花の酸味が有る故、甘味を苦手とする者は然ながらで喉を潤すのが良かろう。甘味を加えたければ別添えのシロップじゃ。花蜜も良いのう」
「それがどう繋がるんだい?」
「その藤花の空は、ゼリーにしても美味であるぞ」
「ゼリー……ああ、嗚呼! なるほど、レシピの幅か」
「ふふ。しかし……客人の纏う白こそが、この空に輝く明星……といったところか。藤は“歓迎”、明星たる金星は“愛と絆”……どれも大事であろ。――ふむ。わらわは茶屋故の、斯様な品であればいつでも注文を賜ろうぞ?」
鈴東風姫は縁を紡ぐように言った後「そう言えば……」と、視線を横へ移しながら歩みを進める。
「櫻、おんしに手土産じゃ」
鈴東風姫が右の袂から取り出した小袋を、櫻の前へ静かに据えた。片肘をついて窓の外を眺めていた翡翠の視線が、ふ、と、それへ落とされる。
「甘味は好かぬのであろ? 店の茶菓子の戯れに作ったものではあるが、おんしが頻りに言うて居った唐辛子を混ぜたあられじゃ。赤に緑と色味も鮮やかであろ? 山葵に芥子、柚子胡椒もあるぞ?」
色鮮やかで味豊かな心遣い。
櫻は肘をついたままの姿勢で「まめな子だね」と、彼女を一瞥する。
「菓子も又、魔女の七つ道具の一つじゃよ」
微笑みの鈴をくすくすと鳴らす鈴東風姫であった。
●
斯くして、ファルセットへのお披露目は終了。
提案された全てのレシピは、『Blanche』の初夏のスイーツとして提供されることが決定した。
**
後に始まるのは、参加者達の中での試食会。
賑やかに生まれていく欠片を眺めながら、鈴東風姫は火のついていない蝶の煙管を手の中でくるりと戯れさせる。
「残すも伝うも想いのみ……否、此度は違ったようじゃの。まこと、何時の世も縁とは愉快なものじゃ」
ふわり――風のない店内で、耳飾りが優しく揺れたような気がした。
爽やかな空気に、からりと晴れた明るい陽射し。
青空が夏のはじめを告げる季節――初夏。
「初夏……春に出会った子と仲良くなってきた頃よね♪」
花弁の薄紅や白の淡い彩りが、鮮やかに濃く移り変わるように。それは、親しくなる感情と似ているのかもしれない。
幼い頃、そんな風に仲良くなった子が教えてくれた。
サツキ、サルビア、スイカズラ――。このお花達が作り出す花蜜は、吸うことが出来るんだよ、と。あちらの花は甘い、でもこちらの花は苦い――いや、それ以上に毒がある、そんなことも。
花を摘んで口付けをする。何処か儚く、繊細な行為だ。だが、嫋やかなその仕草すら悪いことをしているような気がした。それに、その子や自分が知らないだけで、もしかしたらこの花にも毒があるかもしれない。そんなことを考え、胸を高鳴らせながら吸った蜜の味は、今でも覚え――
「……てはいないわ。そういうお話を本で見かけて、いいなって思ってたの!」
「おい!!」
「あら、そう怒らないでジルバさん。ふふ♪ お菓子作りって楽しそう♪ かわいいエプロンを用意しなくっちゃ。あら、でも職人さんの作った美味しいお菓子が既にあるのね。じゃあ、もっとときめくお菓子になるような演出をしましょう。わたくしにいいアイデアがあるの!」
紅花のような可愛らしい色でほわりと頬を色付かせ、リムナンテス(ma0406)は本日休業の『Blanche』を見渡した。
「同じ体験のできるお菓子がいいわ♪ ねぇ、そう思わない?」
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「材料は……なんとかなりそう、ね。それじゃあ、始めましょう、か」
腕捲りをした袖にリボンコサージュのアームバンドを付けた草薙胡桃(ma0042)が、厨房の一角で小さく手を鳴らした。
「これでも前は、人に食事を作っていた、し。菓子作りは得意、よ」
満ちるには程遠いが、記憶の雫を掬い上げる穏やかな目許が、残された過去を語る。
早速、胡桃は下準備を始めた。要となるのは二種類のゼリーとソースだ。どの調理も手間がかかる程ではないが、胡桃に余念はない。慣れた手つきで作業を進め、束の間にラストスパート。縦長ガラスのスクエアカップに盛り付けると、仕上げにミントの葉を添えて完成。
そのカップを三つ据えた楕円形のトレイを手に、胡桃は店内の華席へ向かった。
そのテーブル席では、待っていましたとばかりに顎を反る依頼主のファルセット(mz0034)と、数枚のデザイン画と睨み合いをしているジルバ(mz0027)の姿があった。櫻(mz0036)はと言うと、ファルセットの斜め後ろの席で腕組みをしながら目線を伏せている。
「どう、ぞ。召し上がれ」
先ずは、ひとつ、ふたつ。
ファルセットとジルバの目の前にカップとソーダスプーンを置くと、言葉と共に、そっ、と、手の平で促した。
「おっ。――へえ、ゼリーか」
ジルバは手にしていたデザイン画をテーブルの端へ寄せると、カップの側面から見える層を瞳に映しながら「爽涼な色合いだな」と、頬を傾けた。その反応に吐息で笑んだ胡桃は、
「初夏でいうと」
そう前置きをする。
「暑さが少しずつ顔を出す頃。視覚から、ね」
味わい始めるジルバに続くように、ファルセットのスプーンが煌めきを掬った。
視覚というのは目で感じる刺激だ。形、色、それらで生成された情報は、所謂“世界”となる。その世界は連なり、重なり、例えば此処のテーブルに広げられたロイヤルブルーのクロスにひとつ――。
「そう、ね……このスイーツに名前をつけるとしたら、“Votre monde”といったところ、かしら? この店は、最下層にある、でしょう? そこでお客様だけの初夏の世界を提供出来るなんて、素敵じゃない?」
カップを世界の土台と例えるなら、形と色で成されたその世界のてっぺんは空だった。
味わう最初の層は、炭酸水とかき氷のブルーシロップで作ったクラッシュゼリー。わざと色むらを出した瑠璃色のゼリーの薄青部を掬い、ざっくりと砕けば空色の宝石が出来上がる。その空へ浮かべるのは、輝く星と眠れる月――粉砂糖とミントの葉だ。
「ふむ。清涼な色に煌めく星か。粉砂糖がゼリーに溶けて、程良い甘さになっているね」
空が薄まると次に顔を覗かせたのは、グレープフルーツのクラッシュゼリー。太陽であった。
優しいほろ苦さと爽やかな甘さが後を引く。続いて沈み、雲。
「プレーンヨーグルトと生クリームのソースに、砕いたラムネを混ぜ込んで、アクセントを入れてみた、の。どう、かしら?」
「ん、ヨーグルトの酸味がゼリーに絡んで美味いな。パンケーキに付けてもイケるんじゃねぇか?」
「あら、それもいいわ、ね」
「焼いてくれよ」
「……今?」
それは又の機会に。
最後の層に広がるのは、青沈む紺碧。海だ。
空とは対照的にこちらは炭酸ゼリーの濃青部を掬い、砕いた色を他のゼリー同様敷き詰めている。
「ふふっ。わざとムラのある色にしていたのは、そういう理由、なの」
色濃い隙間を雲の筋がとろりと海の水分を呑んでいく様は、こよない対照を成していた。
「――ああ、そうだ、わ」
思い出したように声を漏らした胡桃が、すい、と、トレイを手に、ファルセットの横を通り過ぎていく。そして、トレイに鎮座していたままのみっつめのカップを、彼――櫻へ差し出した。
「甘いのが苦手な紳士には、ブルーキュラソーの海をどう、ぞ?」
胡桃は甘味が苦手な者の為に、炭酸ゼリーのシロップをブルーキュラソー、粉砂糖を金箔に変えたゼリーを用意していた。これで甘さもぐっと抑えられているはずだ。
「……」
「……」
「……」
「……?」
へんじがない。ゆすらはただ、ねむっているようだ。
その無礼な様子に、ファルセットは手近にあったメニュー表で櫻の後頭部をすぱあぁぁんッと引っ叩いた。眠気を乗せた瞼がぴくぴくと微動し、漸く翡翠の片眼が胡桃を映す。
「ああ……あー……。ああ、胡桃ちゃんか。おはよう」
「ええ、おはよう」
「いいよ。君は先に店へ行っていなさい。三日後くらいに追いかけるから」
「……三日?」
この男、寝ぼけていやがる。
再び櫻の後頭部で衝撃が走った後、彼は黙々と目覚めのゼリーを平らげたのであった。
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ぽぽぽぽんと咲く、無機質の花。
命の温かみはなくとも、甘い香りや優しい感触を結晶化したような花のピックは、色鮮やかなマカロンを彩るように咲いていた。
「ピックに挿した一口サイズのスイーツはマカロンにしてみたの。カトラリーは使わず、お花を摘むように直接手に取って食べるのよ。素敵じゃない?」
花挿す菓子は何もマカロンでなくともよい。チョコレートやケーキ、ドーナツなど、ピックの色合いを変えれば汎用性も高くなる。
「今回は季節の味を取り入れて、マンゴーやシトロン、フランボワーズなどを選んでみたわ。……いえ、でもいっそ、ドリンクの方がいいかしら?」
「あ?」
「ストローの先にお花を挿せば、お花を摘んで蜜を吸えるわ」
茎から吸う形になるけど――そんな夢を壊す一言は流石に伏せたが、ぽぽぽんと膨らむ綿毛のように、リムナンテスの口からアイデアが弾けてくるのは事実だ。
「前ん時も思ったが、リムの案って飛ぶのな」
「あら、蜜蜂も蜜を運ぶ為に飛ぶのよ? 飲み物はそうね、蜜……砂糖水はさすがにちょっとね」
「クワガタかよ」
「(それに、花の蜜自体は、実際そこまで美味しいわけでもないのよね……)」
「おい」
「あら、ごめんなさい。ん、夏ですものね。すっきりした甘さがいいわ、レモネードとかどうかしら?」
夏の定番に、陽射しの中で咲く花を添えて。
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「どれす、こーど。この服のままでも大丈夫でしょうかね……」
空木(ma0831)は自分の身形――白いブラウスやたっぷりのフリルに視線を落とすと、ひとり納得したように顎を引く。が、途端にころりと表情を変えた。
「は、……わたくし、料理初体験で御座います」
今気づくの?
空木はあてがわれたスペースに用意した材料を確認すると、ふと、目線を上げ、厨房を見渡した。
かき混ぜ、掬い。
カチャ、カチャリ。
真面目に、丁寧に、心を込める美味しい音が、心地良く響いている。
「女性達(?)が賑やかに作るさまは実に華やかでございますね」
空木が発した言葉に全会一致で間違いを唱えることも出来るが、そこは優しい仲間達。「不慣れな腕なりに、わたくしも頑張ることに致しましょう」――そう意気込む空木に水を差さないようスルーした。
そんな空木が作るレシピは、暑い季節になると食べたくなるアレ――
「つるりと喉を通るあの涼しさ――そう、心太で御座います」
低カロリーでヘルシー。さっぱりとした味わいが魅力の、夏の風物詩。
「こちらであれば、なにを添えるかで味が変わりますゆえ、甘いものが好きなわたくしは黒蜜を。甘いものが苦手な方は三杯酢などを」
そう言い終えるも、心に引っかかりを残すのは、記憶。
過去の中で生まれた“事実”――。
「苦手な……誰、が……?」
わからない。
今は、まだ。
空木はふるりと首を振ると、手にした材料で作業を始めた。
「確か、天草を煮詰めて型に入れ冷やすものだというのを書物で読んだ覚えがあります」
先ずは天草をもみ洗いし、つけ置いたそれをそのまま火にかける。コツは火加減。煮出す時間はいうと――
「煮出す……?」
沸騰する液を見つめながら思考停止する空木。火から下ろすまでかかる時間がわからず、空木が心太よりも早く固まっていると、見かねたパティシエが手を貸してくれた。
無事に心太液を漉すところまで進める。だが、液を固める為、型へ入れる最中にはぼたぼたと液を溢し――
あれ? 美しさは?
型から突き出す際、心太突きの刃で指を切り――
物語性とは!?
誰にも見られないようにこっそりと癒しの力を使ったりなんかして。
「飲み物は冷えた緑茶が合いましょうか。もうすぐ暑い日々が来ましょうが、楽しみで御座いますね」
そこで、空木のお腹がぐぅと鳴った。
他の参加者はどのような菓子を作っているのだろう。恐らく、この空腹を満たすには溢れんばかりの美味であると想像がつく。一口でも味わわせてもらうことが出来るのなら――
「美味なるものをくださる方に、悪い方はいらっしゃいませぬ!」
拳、ぐっ。
とりあえず運ぼ。ところてん、運ぼ。
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「さて、パティシエ諸君にも手伝ってもらおうか?」
狐狩りの公爵ルナール・レルム(ma0312)が手がけるのは、完璧なスイーツと甘美なる物語。そして、感激だ。
青の食紅と共に柔らかく煮た極薄切りの甘い林檎を、細長いパイ生地の上に一枚ずつずらしながらのせ、端からくるりと巻く。形を整え、予熱したオーブンで焼けば青薔薇のアップルパイが出来るのだが、これで完成ではない。冷やし、甘味を凝縮させる。
ルナールが冷蔵庫をぱたんと閉めると、何気なく振り返った視界の中で、服装こそ馴染みはないもののそのかんばせと彼女が纏う空気は、彼が感じたままの可憐な蝶。
鳥籠屋『鴉』の制服を身に纏った魅朱(ma0599)が、作業に没頭していた。だが、彼女にしては珍しく「むむ……」と、眉間に皺を寄せている。どうやら、深煎りの珈琲を抽出しているようだ。
「魅朱嬢」
「あ……ルナール……」
「珈琲の抽出か。濃厚で華やかな香りだな」
「ん……透明度の高いアガーゼリーにしたくて……味を薄めたくないから、深煎りにしたの……。でも……無理に濃く抽出しようとすると雑味やえぐみが出ちゃうみたいで、難しいなって……」
「ふむ、手を貸すか?」
「んー……んん……私が作った私の“レシピ”……最後まで自分の力で頑張りたいの……」
「そうか。俺の手を必要としたい時は、遠慮せず声をかけるがいい」
「ん……ありがとう……。あ……でもね……」
魅朱は手にしていたケトルをコンロに置くと、ふ、と、睫毛を上げ、ねだるような上目遣いでルナールを見た。
「頑張ったら……前みたいに、頭……撫でてくれる……?」
意味は違えど彼の手を希求する彼女に、ルナールはやれやれと情の籠もった微笑みを返そうとして、ふと、魅朱の襟元から色を覗かせるレース地に目がいった。見覚えのあるハンカチだ。自分が与り知らない所で彼女が泣かぬよう、願いを込めて渡したそれは、魅朱の心に寄り添うように仕舞われている。
「貴女がそう望むのなら」
ルナールは確りと目を合わせ、穏やかに微笑んで見せたのであった。
ファルセットらの眼下に、二つの“物語”が咲く。
一つは、細部の飾り付けまで美しく魅せるルナールのスイーツ。
もう一つは、時間と色の移り変わりを楽しむ魅朱のスイーツだ。
形や材料、レシピすら異なる二つのスイーツだが、結びつけている表現をファルセット達が知るには、二つの物語を堪能してからになる。
「初夏とチョコは相性が悪い? 風通しの良いこれならば問題無い」
当然という自信に満ちたルナールの言葉に、ファルセット達の視線が皿へ注がれた。
皿に咲く青薔薇は、格子状のチョコレートドームで守られていた。ボウルに張った水を凍らせ、氷塊の底の丸みを利用し、溶かしたブラックチョコレートで格子模様を描く。半球の形に冷え固まったら青薔薇へ被せるというわけだ。
「冷たいパイというのは珍しく、且つ美味しいと評判を呼ぶだろうな」
食す為にスプーンの背でドームを割ると、中から幸せを呼ぶ青薔薇が顔を覗かせる。アラザンを朝露のように美しく飾り、添えられているのは白いレモンシャーベットとミントの葉だ。
「周りにはブルーベリー、カシス、ブラックベリー、ハックルベリーを飾った。主役の青薔薇を引き立てる、名脇役の小さな花々だ」
「ベリーの酸味とアップルパイの甘さが絶妙だな。いやいや、何よりこのスイーツは完成された美だ。だが――」
「爽やかな風味で初夏を感じ、見た目にも拘り美しく楽しめるデザイン。語るならば、青薔薇の“奇跡”を自らの手で見つける物語――と言ったところか」
「Tres bien!」
ファルセットが満足そうに口の端を上げた。
「この金箔を散らしたバタフライピーティー、レモン汁に反応して色が変わるんだな」
「金箔は星、輪切りのレモンを添えれば月だ、月を絞れば夜が明ける」
「洒落てんな。バタフライピーといやぁ、魅朱のドリンクもそうなんかしら」
ジルバは魅朱が用意したグラスを手に取ると、光に透かすように掲げ見た。
「あ……うん……。私のはバタフライピーのシロップを使ったの……。サイダーをゆっくり注げば、淡い夜明けの空色になるから……」
「花を閉じ込めた氷も綺麗だな。雪解けの氷みてぇだ」
ジルバは空模様を濁らせないようにサイダーを一口味わうと、隣のグラスジャーへ視線を据えた。センスの良いアンティーク風のグラスジャーには、季節の色や味が三層になって詰め込まれている。
「てっぺんにエディブルフラワーの赤薔薇……初夏の花、添えてみたの……。層と一緒に重ねた物語は……“ひねもす”……」
「ひねもす?」
「漢字では、終日って書くの……。一日はあっという間に過ぎてしまうけど、せめてこの空間では……このスイーツを食べている間は、一日の色をゆっくり楽しんで欲しい……そんな想いを、込めて……」
ファルセットはブリムから覗く瞳を細めて笑み、感嘆の吐息を漏らした。
グラスジャーの上から朝の白――ヨーグルトゼリーに砂糖漬けのレモンスライスを飾り、爽やかさを出した。昼の赤には、華やかなロゼシャンパンのクラッシュゼリーの中に赤薔薇の花弁を浮かべ、夜の黒――。アラザンを散らした星降る夜空の珈琲ゼリーが、一日の色を沈める。グラスジャーを据えた皿には、白、赤、黒の薔薇の花弁を飾り、鮮やかなコントラストを成していた。
「上品な味わいに酔いしれて一日を終えるスイーツと言ったところかな。味のバランスといい、色合いといい、実によく考えられている。ふむ、色合いと言えば……」
ファルセットがそう言いかけると、ルナールが魅朱の隣で満足そうに双眸を細めた。
「魅朱嬢と色が対になるよう打ち合わせた、気づくと面白いだろう?」
一つは物語を形作る奇跡の青薔薇。もう一つは物語に寄り添う愛情の赤薔薇。
隣り合えば対となる青と赤だが、互いの良さを引き出し合う色でもある。そこで、徐に――くぅ。魅朱の腹から小さな鳴き声が聞こえた。
「お腹空いた……ルナールが作ったの、食べたい……」
「安心するがいい。ファルセット嬢達への披露が済んだ後、みなで試食が出来るよう余分に作っておいたのでな」
流石、公爵。抜かりはない。
●
「此度の縁、解ける事無き様にと祈り織ろう……よしなにの?」
そう緩やかに頬を傾け、初見のジルバとファルセットへ挨拶を交わしたのは、悠然と時をゆく鈴東風姫(ma0771)だ。
「ファルセットの望む物とはちと違うのやもしれぬが、甘味と共に喉を潤すものも又然りとわらわは考えて居るのじゃが、どうかのう?」
澄んだ泉の底で輝くような青の双眸が、にっこりと淑やかに笑む。
“藤花の空”と名付けられたそのスイーツは、いや――ドリンクと云った方がいいのだろうか。鈴東風姫が手がけたレシピは、洛神花茶と蝶豆花茶のアイスティーであった。ハイビスカスの緋色に染まる明けの空。そこへ、たっぷりの氷を入れ、バタフライピーの蒼く染まる宵の空を注ぐ。
からん、くるくるり。
マドラーで混ぜられた氷が空を羽ばたくと――「混ぜれば紫……藤の花の様であろ?」、明けの明星と宵の明星の明暗。夢の随に咲く、一時の彩り。
「なるほど。ゆえの“藤花の空”か。僅かな揺らめきで移り変わる色合いが絶妙に美しいが、スイーツと呼ぶには甘さが全くないのだが?」
「咀嚼できるものだけがスイーツかえ?」
鈴東風姫はファルセットの指摘に、ふふ、と、吐息で微笑み、次ぐ。
「甘味は無く洛神花の酸味が有る故、甘味を苦手とする者は然ながらで喉を潤すのが良かろう。甘味を加えたければ別添えのシロップじゃ。花蜜も良いのう」
「それがどう繋がるんだい?」
「その藤花の空は、ゼリーにしても美味であるぞ」
「ゼリー……ああ、嗚呼! なるほど、レシピの幅か」
「ふふ。しかし……客人の纏う白こそが、この空に輝く明星……といったところか。藤は“歓迎”、明星たる金星は“愛と絆”……どれも大事であろ。――ふむ。わらわは茶屋故の、斯様な品であればいつでも注文を賜ろうぞ?」
鈴東風姫は縁を紡ぐように言った後「そう言えば……」と、視線を横へ移しながら歩みを進める。
「櫻、おんしに手土産じゃ」
鈴東風姫が右の袂から取り出した小袋を、櫻の前へ静かに据えた。片肘をついて窓の外を眺めていた翡翠の視線が、ふ、と、それへ落とされる。
「甘味は好かぬのであろ? 店の茶菓子の戯れに作ったものではあるが、おんしが頻りに言うて居った唐辛子を混ぜたあられじゃ。赤に緑と色味も鮮やかであろ? 山葵に芥子、柚子胡椒もあるぞ?」
色鮮やかで味豊かな心遣い。
櫻は肘をついたままの姿勢で「まめな子だね」と、彼女を一瞥する。
「菓子も又、魔女の七つ道具の一つじゃよ」
微笑みの鈴をくすくすと鳴らす鈴東風姫であった。
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斯くして、ファルセットへのお披露目は終了。
提案された全てのレシピは、『Blanche』の初夏のスイーツとして提供されることが決定した。
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後に始まるのは、参加者達の中での試食会。
賑やかに生まれていく欠片を眺めながら、鈴東風姫は火のついていない蝶の煙管を手の中でくるりと戯れさせる。
「残すも伝うも想いのみ……否、此度は違ったようじゃの。まこと、何時の世も縁とは愉快なものじゃ」
ふわり――風のない店内で、耳飾りが優しく揺れたような気がした。




